リドリースコットがエイリアンとかブレードランナーとかで汚しや暗いシーンや煙を好んで使用したのは、結局のところ当時の技術では美術のアラをそのようにして隠さなければならないからだった。
この為、技術が進歩した現代ではリドリー・スコットはそういう技をもう使っていない。プロメテウス、エイリアン コヴェナントを見ればよい。あるいは、キングダム・オブ・ヘブンを見ればよい。キングダム・オブ・ヘブンでは砂漠のごちゃごちゃした街(イスラエル)を舞台としており、夕日と砂塵でごまかすなんてことは簡単だっただろうが、それをしていない。
そういう点でリドリー・スコットはノスタルジーとは無縁だった。結果として現代のリドリー・スコット映画のビジュアルについてファンから決して最高の評価が得られているとは言いづらい。しかし、彼は現代の技術と自分の力量のなかで最高のビジュアルを目指し続けている。
一方ドゥニ・ヴィルヌーヴのあれは単なるノスタルジーに過ぎないし、評価や興行収入があのようなことになるのも当然なのではないだろうか。
興行収入がとか言うのはどうだろう 今の観客がよくわかんない昔の映画のシリーズものを見たがるか? 予告もよくわかんないし、ハリソン・フォードもおじいちゃんだし ストーリーの...