一丁前に希死念慮などと呼んでいたこの死にたさに似た感情が、ただ生きていたくないのだと気がついた。
ただただ責任から逃れたい。なんのタスクもなく、誰に何かを強いられるわけでもなく、雨が降れば凍えて、晴れればそれで満足する生活がしたい。
それでいてへらへらと笑っていれば誰かを何かで満足させられるような。そんな都合のいい存在でいたい。
ああ、私の体はこうまでして体に悪いものを排除して、都合の良いものだけに手を取り死にたくなくて生きているのだ。
そう考えると、ますます私がかんじていた死にたさのようなものが、それ自体に吐き気を伴うような類のものでないことに失望し、安堵する。
自分の中の正体がわかったところで、いさぎよく電車にでも飛び込んでみようと思ったが、今の私ならレールの上で受け身を取り、吐きながらホームの下に転がりこむだろう。
つじつま会わせに生まれた
もう文体模写とかしても食いついて語りたがってくれる若い子いないよ? マジなんだったらしばらくパソコンスマホやめて、書くのも休んで、海か渓流沿いの山にでもいってボーっとし...