私は呪う。人の幸せを呪う。
やり方は簡単だ。幸せを歌う奴らに、嫌な一面を見出すコメントをつけるだけ。
そもそも、幸せなどと言っている奴らはすべからく思考停止しているのだ。どんなものごとも多面的であり、マイナスの可能性は常に潜んでいる。それに考えが及んでいないのだから思考停止であるし、まさしく幸せな頭をしているとしか言いようがない。
そのお幸せな頭を現実に戻してやっているのだから、この呪いが正しいと信念を持つことができる。
しかし、この呪いをかけるという行為には、トリックが含まれている。私は幸せになれないというトリックだ。
どんなものごとも多面的であり、マイナスの可能性は常に潜んでいるのなら、幸せになるにはマイナスの可能性を無視しなければならない。だが、私の行為は常にマイナスに目を向ける行為であり、つまり私は幸せになれない。
それでも、考えるということが正しいと私は思う。幸せよりも真実の方が大切である。
知らぬ者は幸いである?それは真実だと思うが、その幸せはいらない。