2016-11-13

話に「オチ」がないといけないという風潮

ブログ記事を書いてるんだけれど、誰なのかな、「オチ」が必要だって教わったのって。そういう風潮があるよ、って。

日常生活対話では「オチ」がなくてたまたまスルスル流れて行ってなんとなく合意に達するってものなんだから、「オチ」なんて要らないと思っている。

というか、「オチ」を作らないといけないという風潮はテレビ番組の(明石家さんまあたりが生み出した)悪影響だとさえ思っている。


最果タヒのインタヴューを読んで気ガラクになった。

http://blog.hatenablog.com/entry/saihateinterview201611

日常での会話だとどうしてもオチを求められたり、理解されないといけなかったりして、それが当時めんどくさくてめんどくさくて仕方なかった私にとって、自分感情情報をただひたすら投げ出して、「みんな好きに読めばいいよ」みたいな態度でいることのできるインターネットは魅力的でした。

いやそれだけだよ。文字通り「オチ」はこの話にはない。ただ、「オチ」を求める風潮ってファシズムじゃないかなと思っただけのことなんで。

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