我々人類はどのような状況においても平等にうんこを漏らす権利を有している。これはどこでもぶりぶりとうんこを垂れ流していいということではない。うんこはトイレでするのが基本だ。どこでもうんこしていいとなれば、うんこを漏らすという概念がなくなり、ただの排便になってしまう。だから、基本的にはトイレでうんこをしなければならないし、うんこ漏らしは特別、スペシャルなイベントでなければならない。
我々はいつだってどこだってうんこを漏らしていい。漏らすべきである。漏らさない人生に一体どれだけの価値が有るのか。
我々はもっとうんこを漏らしていい。もっと気軽に肛門を緩めていい。軽はずみに力んでみてもいい。もっともっと自由に漏らしていくべきなのだ。
一回うんこを漏らす度に思い出が一つできる。その一つ一つが人生を彩る茶色の花になる。そして、人生が終わった時、その茶色の花々を見て、ああ、俺はこんなにうんこを漏らしてきたのか。いい人生だった。そう笑いながら旅立つことができるのだ。