増田もそうだが、Twitterなどで断定的な主観的な価値観の発露を見て「主語が大きい定期」などとコメントをする人間は、そもそもWebのコンテキストすら理解できていない愚か者である。プロテクターでガチガチに固めた意見をネットでわざわざいう必要のない、という必然のコンテキストを読み取れない人間であり、そもそも論ずるに値しないのだが、まだ彼らは、ネットに接続できているのだろうか。主語が大きいのは主観であるかぎり必然であり、弁別精神への涵養はそこには存在しようがない。
Permalink | 記事への反応(2) | 12:08
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「主語が大きい」の何が彼をここまで追い詰めてしまうのか そしてなぜ削除してしまうのか
「主語が〜」「観測範囲が〜」「ブーメラン」これ言ってる連中は、本人は気のきいたことを言ってるつもりみたいだけど、使われすぎて頭悪そうにしか見えないな。