両親は共働きのため、私は幼少期を祖父母と長く過ごした。
春になれば山菜を採り
夏になれば蝉を追いかけ
秋になれば一面に咲く彼岸花を見て
冬になれば大きな雪だるまを作った。
祖父母からは沢山のことを教わった。
友達よりも早く字が書けるようになったし、
ボタン付けも、犬のしつけも、
いろいろなことが1人でできるようになった。
アケビの実が驚くほど甘いことだって私は知っている。
祖父が末期のがんでこの世を去った時、私は小学校低学年。
病院に行けば病気は全部治るものだと思っていた。
お見舞いの時間は退屈で、暇だ暇だと言った。
そんな私を見て、
祖父がにこっと笑ったのを覚えている。
祖母が間質性肺炎でこの世を去った時、私は中学生。
学校の人間関係で悩み、また反抗期の真っ最中だった。
「ご飯はいらない」と言って部屋に閉じこもる祖母に
「ご飯食べないと、病気良くならないから!」
と語気を強めた。
あの時、お見舞いが暇だなんて言わなければ。
持って行った鶴がきちんと千羽だったなら。
祖母の大好きなイチジクを持って行っていれば。
もっと柔らかい言葉をかけられていれば。
貰ったあれほど大きな愛情を
私は返すことができなかった。
それどころか。
祖父母に会いたい。
会ってありがとうと言えたらいいのに。
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