仕事をしていないものが、自己を正当化する為に、よく「働きアリ」の話をするのだけど、
つまり、今、働いているアリが死んでくれたら、自分たちが次に働くと言いたいのだろうけど、それはない。
今、仕事の2極化が起こっているのは、誰かから与えられる仕事を待っている人間と、
自分で自ら仕事を発見し、(問題をキャッチし)、解決している人間の間で2極化が起こっている。
つまり、仕事は膨大(処理しきれないほどの問題が膨大に)に横たわっているけれど、それを見れない人間と、見れる人間がいるのであって、
仕事があることを見れない人間は、見れる人間が死んでも、一生見れない。
見る事のできない仕事をするのは難易度が高いので、それよりも低い難易度でも出来ていない。
つまり、仕事が来てるのに、拒否して、「なんで、私がしないといけないの?」というのが口癖の人も多い。
そんな人間(今働けていない人間)が、現在、働きアリの後釜になれるかというとなれない。
現在働きアリの残した成果を食いつぶすタダ乗りライダーになるだけ。
そして今、膨大にある仕事というのは、人類が食いつぶしてしまった蓄えを1から積み上げなくてはいけないような仕事なので、無償労働も多く割に合わない。
つまり、100の仕事をして、100の収入が入るのではなく、100の仕事をして、1の収入しか入らない仕事ばかりしかないののだ。
アリの生態系を例えに持ち出しても、質が違う。