私は文章を書くのが苦手です。何度言われても、上手に書くことができません。
文章を読むのは好きです。
放っておくと、インターネットや本を通して、一日中文章を読んでいます。
私には、上手な文章と下手な文章の違いが、なんとなくわかります。
上手な文章は、私の中にするすると水のように入り込んで、渇いた心を満たします。
上手な文章は、予想外の方向から力強いパンチが飛び込んできたときみたいに、頭を揺さぶります。
上手な文章は、まっ暗闇の中にどこまでも私を引きずりこんで「この先はどこまで続いているのだろう」と恐ろしい気持ちにさせます。
こんな風に書くと
「どんな文章が上手で、どんな文章が下手かわかるのであれば、あなたが上手と思えるような文章を書けばよいのではないか?」
と思う人もいるでしょう。
そうではないのです。
「プロ野球選手の投げ方のほうがきれいだな」と気づくことは簡単です。
でも、プロ野球選手と同じようなきれいな投げ方で「ビュンッ」という早い球を投げることはとても難しい。
私は、同じことが「文章を書く」ということにも当てはまると思います。
私の文章は、きっと、誰の心も満たさないし、誰の頭も揺さぶらないし、誰を不安にさせることもありません。
そのことは、私をとても悲しくさせます。
私は、誰かの文章に満たされ、揺さぶられ、不安にさせられた分だけ、私の文章で誰かを満たし、揺さぶり、不安にさせたい。
きっと私は、誰かに褒めてほしいのです。誰かに「あなたはすごいね」って言ってほしいのです。
私の中で、上手な文章を書くことができる、ということはとてもかっこいいことです。
俳優よりもアイドルよりもミュージシャンよりも、上手な文章を書くひとのほうがずっとずっとかっこいいと思っています。
「おしゃれだね」
よりも
「歌がうまいね」
よりも
「文章が上手だね」
毎日絵を描けば、少しずつ絵がうまくなるように、毎日練習すれば、スポーツが上達するように、私の文章も、少しでいいから上手になってほしい。
これは、私の願いです。