ディズニー映画自体の読み解きはおいておくとして、日本のブログ界隈で「ありのまま」は、確かに「『女性』であると言うだけで固有性の発露が抑圧されてきた『女性』」への呼びかけと読まれて、それゆえに話題となったのは事実と思う。
で、一方の『男性』において、「固有性の発露に対する抑圧」は、「性」のレベルでは存在しなかったので、もっと内面的な何かに対するメッセージと受けとられた、という話の流れなんだと思うんだけど。
その結果、
「女性として期待される社会的役割から自由である私」とは、男性社会への女性の進出、という意味合いになるけど
「男性として期待される社会的役割から自由である私」とは、女性の専門分野とされた社会への男性の進出……とはならず、よりパーソナルな、つくられた『男らしさ』からの逃走(非モテ、ヲタ、草食系、ヒッキー…)となっちゃうんだ、ということだと思うけど。どうかな。
http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20140808/1407525621 よくわかんないんだけどさ。『ありのまま』って『人それぞれの固有性』を発露することでしょ? だから『女性』であると言うだけで固有性の発露...
ディズニー映画自体の読み解きはおいておくとして、日本のブログ界隈で「ありのまま」は、確かに「『女性』であると言うだけで固有性の発露が抑圧されてきた『女性』」への呼びか...
「ありのまま」のはずの、社会進出を目指す女性もロールモデルの不在を嘆いる現実。
そりゃ、 アナと雪の女王の「ありのまま」という言葉も、 「『女性』であると言うだけで固有性の発露が抑圧されてきた『女性』」という物語も、 固有性の発露なんかじゃなく社会的...
女性には「抑圧から解放された女性」という手本が示されるようになったが、 男性の手本である「男性性のゴリ押し」は通用しない世界に変わってしまって、 しかも「ありのまま」の男...