脱原発・脱成長を言い出す人って、しばしば技術から距離を置いて豊かな時間を取り戻そう、と言うけど、そうしたスローライフ的な豊かさを支えていたのが原発のように、現状無理のあるシステムだった訳で・・・
ゆとりのある生活のインフラに生じていた無理を許容しないとなれば、今度は庶民の生活が無理のある、無駄の許されない窮屈なものになるのは必然・・・
本当に社会運動そのものが生活の全て、自分の全てな人はその窮屈さも我慢できるかもしれないが
結局、リスク根絶は無理でもリスク低減して生活環境を維持するしかない
例えば、現在は安全な交通機関の代名詞のような鉄道も、半世紀前はとてつもない悲劇の繰り返しだった訳だし
それを危険なものだと割切るでも諦めるのでもなく、安全性の追求を止めなかったからこそ、現在の安全性がある、それを忘れてはいけない