2014-04-12

塀の上にある空き缶

昔、こち亀か何かであった「塀の上にある空き缶」の話が印象に残っている。

ある家の塀にはいつも空き缶がいくつも置かれて(捨てられて)いた。なぜそこに捨てるかというと、トラックの運転手が信号待ちしている時に、丁度良い高さの塀だからそこに放置するという理由だった。しかし、他にも理由があった。それは「他の人も捨てているから」だった。

空き缶が1つ置いてあるだけで、2つ3つと増えていく。1つも置かれていない状況だと、罪悪感があってなかなかそこに捨てられなくても、既に捨てられている(他人が罪を犯した)状態だと、自分もそれに便乗しやすい。自分の罪悪感も薄れるといったわけだ。

この話を思い出したのは、某掲示板2chではない)で俺の投稿に批判レスが複数付いていたからだ。俺はあくまで質問者に対して自分意見投稿しただけだが、質問者から否定されるならともかく、外野から批判された。しかも、一言レス「だからなんだよ」だ。そいつレスを皮切りに、俺の投稿には俺の考え方を否定するのではなく、単なる一言罵倒レスが続いた。

これも空き缶現象と同じではないだろうか。1人が批判コメをすることで、それに釣られて便乗してしまうという。はてブでもよく見かけるが、なんとも嘆かわしい心理だ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん