2014-03-18

黒子のバスケ脅迫事件の手記に思うこと

http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140315-00033576/

なんもかも分かっててやってるんです!

俺はクズですんで死にます

クズ死ぬよりほかにないじゃん、そう思うでしょ!!!

と開き直っている人には、何を言っても届かないだろうし

何を言っても届かない壁を築けたことにこの人は安心してるんだろう。

そんなことないよ、クズも生きていけるくらいの懐があるよ、世の中は!

と、この人の壁を乗り越えて手を差し伸べてくれる社会を、心の奥底で期待していなくは、ない、のだろうと思う。

なぜなら、この人は自分死ぬだけではなく、「『クズは』死ぬべきだ」と主語を広げるから

社会に居場所がない人が一定数いることを告発し、社会を肯定するふりしてその対応策を考えることを放棄し、

不適応者たち』は『死ぬ』ことを声高に叫ぶ。

クズを許容するなんてそんなん無理でしょ? そんなのクズの甘えでしょ?

わかってますよだから死にますよ!

文句ないでしょ! イケメンは楽しくこの世を謳歌してくれよ!!!

個人的にはこれを思い出す。

きっと渡邊某には全く届かない言葉だと思うけど、これ以外に自分は具体的な対応策を知らない。

「へんてこで、よわいやつはさ。けっきょくんとこ、ひとりなんだ」

「ひとりで生きてくためにさ、へんてこは、それぞれじぶんのわざをみがかなきゃなんない」

「それがつまり、へんてこさに誇りをもっていられる、たったひとつ方法から

いしいしんじ『麦ふみクーツェ』)

『へんてこで、よわい』人間だって、『へんてこさに誇りをもって』生きる方法はあるのになあ

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