ある人が、「『べき論』を考えながらだと、コーディングが進まない」とぼやいていた。
それを聞いてて、なんとなく思い浮かんだこと。忘れないように書いておく。
気持ちはすごくわかる。
良いコードを書こうとした場合、今手に入れられる知識から、最良のコードを書きたいと思うのは俺も一緒だから。
でも、それを言い訳にコーディングが進まなくなるってのは、ある種本末転倒なんじゃ、とも思うんだよね。
何をするにせよ、まず先に「したいこと」「しなければならないこと」があって、その手段としてのコーディングだと思うんだ。
「べき論」は手段・手法・チームワークその他諸々のための技術ではあるけれど、「したいこと」自体じゃないはず。
で、べき論で悩むってことは、まだまだ力不足・コーディングの経験不足なんじゃないか、って思う。
はっきり言って、べき論は複数の微妙な選択肢から、現在の状態に最も合っている答えを選ぶための簡単なバイアスとして使うものであって、ウンウン唸りながらああでもない、こうでもないと立ち止まるようなものじゃないと思うんだ。
話を飛ばすと、人生なんて、誰かの夢のなかの1場面でしかないかもしれない。そうじゃないなんて証明、しようがない。
だったら、人様の迷惑にならない程度に、自分の足を止めるような『べき論』なんかにとらわれず、したいことに向かって邁進していればいいと思うんだ。
多分そうしているうちに、分かれ道が来た時、経験が勝手にどうするべきか教えてくれるようになる。
ああ、人の経験から自分の知恵に変換出来るような賢者はこの例には当てはまらないと思うので注意。
そもそも賢者はべき論で悩んだりせず、分かれ道を選べる人たちだと思うけど。
というわけで、足を動かそう俺。