2014-02-13

http://anond.hatelabo.jp/20140213015659

私が鬱病だった時は、「死にたい」じゃなくて「消えたい」と思っていた。

本当は死にたくなんてないのだけれど、

自分のような人間が生きていると周りに多大な迷惑をかけるのだから、早く死ななくてはならない、と思っていた。

身近な人たちに負担をかけていることはもちろん、社会環境リソースを食うことすら申し訳なくて、

一日も早く死ななければならないと思っていたが、怖くて死ねなかった。

今日死ねなくてごめんなさい。

一方で自分死ぬことで周りの人たちが(一時的にかもしれないが)深く傷付くとも思っていた。

「なぜ相談に乗ってやれなかったのか」と自分を責めるかもしれない。

そう思うとやっぱり死ねなくて、それならまるで最初からいなかったみたいに消えたいと思っていた。

世間の人々がまっとうに生きている午後3時、

ベッドの中で布団を頭から被って、

「私はいない」「私はどこにもいない」「最初からいなかった」

と繰り返し念じると心が落ち着いた。

窓の外からは下校中の小学生の声と、隣家の老女が弾く大正琴の音が聞こえていた。

私のいない世界は暖かで、光とそよ風に満ちていた。

-----

治療甲斐あってあのころの私はもういないけれど、最初からいなかったというわけではない。

今もときどき布団をめくって、こうして頭を撫でてやる。

おまえは生きていてもいい。

  • 皆そう 消えてなくなりたい→自分のいた痕跡を全て消してしまいたい→現実的に無理→死のう→でも死んだら迷惑かかる そのループ 普通はどこかでループが止まる。考えても意味ない...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん