神経症の人は、本当によく生きている
普通だったら嫌になって生きる事を投げ出してしまうだろう事を耐えている
耐えていると言うと、直面化・意識化してるようにも思えるかもしれないが、必ずしもそうではない
言語(内言・外言)として表出はされていないが、彼らはそれをイメージとして持っている
俗な言葉でいうなら「あれ?何か変だな?モヤモヤするな?上手くいかないな?」という感覚だ
彼らは常にそういう感覚を持っているし、身体や行動にもそれが表れてしまう
そして、彼ら最大の不幸はこうだ
「もし言語化していないそれを言語レベルまで意識化して表出しても、問題の本質は何も解決しておらず、むしろ直面化することで初めてそれに対処し始める」と言う事だ
これは本当に酷な事だ
彼らや彼女らは、もう自身ではどうにもできないと思っている問題から離れて何とか生きていこうとしてそれを遠ざけ、意識化しないようにしているのだ
そういう彼らをもう一度その問題と向き合わせるというのは、本当に本当に酷な事であろう
彼らが再度の意識化をした後に語られるその内容には、聞いてる側ですら共感を喚起してやまない力がある
そう、そこで語られる彼らの主観的人生は、それを体験していない一般人を持ってすら「……そりゃあ、死にたくもなるよね」と思わせるものであるのだ