哲学には常識を疑えるようになる、という非常に重要な効能があるんじゃないかな。
『方法序説』のデカルトも、当たり前だと思われてることを疑って疑って疑って……
でも疑ってる当の俺の存在は疑えなくね? という思想で有名だよね。
多分哲学をやれば、哲学しない人に比べたら、一般に常識としてまかり通っていることが疑えるようになると思う。
極端な話、みんなが哲学してデカルトくらい疑り深くなったとしたら(デカルトですら不徹底だという人もいるみたいですが)、
世の悪癖とか、形骸化した悪習みたいなものは完全に撤廃できるかも知れない。
「その風習、今も続ける意味あんの?」と声を大にして問えるようになるかも知れない。
それによって世の中が良くなる、と言えるかも知れない。
理屈こねまわすことに楽しみを感じない人に哲学やらせるメリットとして俺が思い浮かぶのは、まあこんなもんかなぁ。
やらされた本人は別に楽しくないかもしれないけどね。世の中としては多少マシになるかも知れない、という感じ。
もちろん社会全体が懐疑主義なのであれば、議論の時間がクソ長くなる、というデメリットもあるかもしれない。
陳腐化しまくってる、「哲学って役に立つの?」みたいなことの亜種なんだけどさ。 哲学書は方法序説と饗宴くらいしか読んだことない全くの門外漢の私。 暇つぶしにwikipediaの哲学系...
哲学には常識を疑えるようになる、という非常に重要な効能があるんじゃないかな。 『方法序説』のデカルトも、当たり前だと思われてることを疑って疑って疑って…… でも疑ってる当...
プラトンやアリストテレスら自由人であった古代ギリシア人たちは、知を愛する能力のある者は青年全員ではない事をすでにいいあてています。 全員が哲学をする社会は、人類が何らか...
哲学って楽に生きるために役立つものだと思っている。 思考力とか何らかの能力ではなくて、生きる上での糧になるような。 知っているだけで、つらい世の中を生きやすくなるような。...
哲学やってる奴に囲まれた時期があったけど、あいつら哲学やって生きるのが楽になってなんかないよ。哲学やることで問題の深淵(っぽいもの)にはまってもがいている自分が大好き...
知恵を愛さない人は、基本的に知識を得る事の快が他の快より小さい生まれ育ちなのだから、こういう意見で「楽」が他の快楽で支配されている。例えば繁殖欲だの運動欲だのといった...
生活に根ざした知恵も愛してみろよとか時々思うわな
要はあなたは知恵を愛していないから他人を罵倒する事が目的なわけだ。
面白そうなので参加。 知を愛さない人っているじゃない。 できるだけあれこれ考えず、理屈をこねくり回さずに生きていきたい、学問なんて大嫌い、みたいな人。 果たしてそういう...
哲学って創作文学や評論と何が違うの?
創作文学つまり文芸は「つくること」だけど、哲学は単に真理の探求だから考えることにすぎない。後者は対話や文章の中で考えることも含まれているため、内容が著述される事がある...
横だけど。 創作文学には、表面的なストーリーがある。哲学は表面にない。 評論は良し悪し優劣を論じること。
なるほどー。横ありがとう。 評論は評価をするためにあるもので、評価基準として哲学を利用されることとはまた別ってことになるのかな。 愚である邪であるという言葉に至る時点で...
こういう詭弁家を否定するためにあるのが、そのストーリー=たとえ話を除いた厳密に智恵を問う哲学だ。プラトン洞窟の比喩にあるとおり、物語は本来のイデアの写しでしかないから...
再び横です。 評論は評価をするためにあるもので、評価基準として哲学を利用されることとはまた別ってことになるのかな。 「何のためにあるか?」を聞かれてたんですか? 「評価...
再びさんすみませんいろいろたりなくて。 青い枠一つ目の評論って、報告とかみたいに伝えるためだけに言語化するのじゃなくって、なにか結果を示唆するものだとおもっていたので...