陳腐化しまくってる、「哲学って役に立つの?」みたいなことの亜種なんだけどさ。
哲学書は方法序説と饗宴くらいしか読んだことない全くの門外漢の私。
暇つぶしにwikipediaの哲学系のページを少し見たりして、あー、そこそこ面白いなー、
でもこんなこと考えてどうすんのかなー、とか思ったんです。
「哲学がって役に立つ?」って問いをする人は大体、
そんでそれに対しては、
思考力を養うことで~だの、全ての学問の基礎として~だの答える人が多くて、
そういう効用は確かにある気がするけど、
でも多分、それらの能力を得ることは哲学をする人たちの目的じゃないと思う。
哲学する目的って、哲学すること自体というか、考えること自体というか、
要するに「知りたいと自然に思うから考えるのだ」みたいに私には見えるのね。
知りたいという欲求を満たすことで人生を豊かにする、みたいな言い方もできるかも。
一種の娯楽、楽しみである、と。
知を愛する人にとっての、娯楽。
んで、ここでタイトルが絡んでくるんだけど。
知を愛さない人っているじゃない。
できるだけあれこれ考えず、理屈をこねくり回さずに生きていきたい、
学問なんて大嫌い、みたいな人。
果たしてそういう人に、哲学は何かをもたらすのかな、という疑問を持ったの。
そういう人たちに無理やり哲学をやらせたとして、何か喜びが生まれるのだろうか、
哲学に限らず、他の一部の学問……特に抽象的な学問をあてはめても同じ疑問が生まれるんだけど。
実学、例えば経営学なら、無理やりやらせても、働く上で役に立ったりするのは意味があると思う。
経営学ってそういう風に使われることが核心だろうし。
頑張ればご飯の種にすることはできるだろうけど、そういう使い方は、
それらの学問の本来目指すところではない、と思うのでなんか違う。
意味を持つってなんだ、役に立つってなんだ、とかが曖昧な疑問で申し訳ないのだけど。
考え事が嫌いな人にも哲学をやらせるべき理由はあるのかしらん。
私はないような気がするのだけど、
そうだねないよ、とか、いやこれこれこういう意味があるよ、というリアクションがもらえると嬉しい。
話を広げれば、学ぶこと・考えることが嫌いな人に、
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要はあなたは知恵を愛していないから他人を罵倒する事が目的なわけだ。
面白そうなので参加。 知を愛さない人っているじゃない。 できるだけあれこれ考えず、理屈をこねくり回さずに生きていきたい、学問なんて大嫌い、みたいな人。 果たしてそういう...
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再び横です。 評論は評価をするためにあるもので、評価基準として哲学を利用されることとはまた別ってことになるのかな。 「何のためにあるか?」を聞かれてたんですか? 「評価...
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