『前田敦子はキリストを越えた』という新書が話題になっている。
山形浩生氏などはさっそく「ごみくず」と評しており、確かにごみくずではあるのだが、少なくとも話題になるごみくずであることも確かだ。
はてなにおいても青二才が注目を集めている。周知の通り、青二才の文章はひどいものだ。彼が注目を集めているのは、ひとえに彼がバカであることに起因している。
もちろんただバカであるだけではいけない。いじりがいのあるバカでなくてはダメだ。誰でも気軽に「あいつはバカだ」と指摘できる明白な突っ込みどころを持ち、かつ本人は至って真面目なんだという顔をしていなければならない。
青二才もキリスト越えも明らかにバカなのであるが、まさにその明らかにバカであることによって耳目を集めている。そして人々にある種の楽しみを提供している。書かれた内容に価値があるのではなく、書かれた内容をバカにするところまでセットで価値を提供しているのだ。
ネットの成熟によって、言論を発表するだけなら誰でもできるようになった。ちょっと気の利いたやつなら、評論家気取りくらいはたやすいものだ。その中で、中途半端な評論より、むしろ話題になるバカのほうが価値を生むのは、必然的な時代の流れなのではないだろうか。