情報を敷居なく共有し合うことって薄っぺらいなあって思った。ある情報を提示することも消費することもそう。薄っぺらい。ぺらっぺらい。
実感なのだから、うまく情報利用できていないだけなんだろうとも思う。また情報を共有しあうことを悪く言うつもりはないし、悪くなんて言えないとも思う。
ただ、どうしようもなくぺらっぺらく感じる。共有し合うことや共感し合うことが一番の目的とかしてしまっているような状況って、傍から見ると情けないと思う。
主体性を保つことと、社会性を磨くことって両立できるんだろうけど、自分にはまだ難しい。
責任を伴うことだし、矢面に立つことだし、何よりも微温湯から出なければならないことだから怖い。
変化に乏しい湯船から一歩上がってみれば、そこには極寒の雪原があるのかもしれないし、灼熱の砂漠が広がっているのかもしれない。
未知の動植物が依然として跋扈している密林かもわからないし、めまぐるしく変化するコンクリートジャングルに放り出されてしまうのことだって考えられる。
例えどんな貧相な状況だったとしても、長らく続いていた平穏を抜け出すことは度胸試しに似ていて、なんてことのない跳躍が何よりも困難なのだ。
なんかおかしな方向に文章が流れてしまったけれど、結局は安穏とした状況から抜けだそうと試みることが大事だっていう当たり前の考えを新たにしたってだけのことだ。
その決意。新年の目標よりも脆くて、新年度の決意よりも儚い塵芥みたいな決意だけど、今だけ、少なくとも今日だけは漲らせて置きたいと思う。
>少なくとも今日だけは って、もう16:00過ぎてるけど、がんがれお。 言葉って、相手と受け投げしてキャッチボールしてるようでいても、 実はお互いの妄想で好きなこと放言してるだ...