恋愛にピリオドが打たれるとき。双方がその関係に限界を感じ、どちらからともなくという場合もあろうが、多くはフる側、フられる側という、立場上の違いを生むと思う。そして、フられる側にしてみれば、その落ち度をはっきり自覚していることもあれば、そうではないこともあろう。
後者の場合。突然に切り出された別れ話に、釈然とできるはずがない。しかし、こちらの立場は弱い。長短さまざまな別れの口上が述べられ、ほどなく自分にとっての元カレ、元カノになるその人は、次のように言うかもしれない。
人をフっておいて、何と白々しいことか。ここでの「ありがとう」なんてのは、これまでの恋を一方的に総括し、きれいなもので終わらせようとする、恋のシャットダウンの呪文に他ならない。「ありがとう」と言われれば、「どういたしまして」と返すしかないではないか。フられる側が、まったく顧みられていないのである。すぐに事態が飲み込めないような人からすれば、何が何やらといった具合かもしれぬ。ひどい話である。
いや、待て。ああ、そうか!「(フられてくれて、)ありがとう」、そういうことか!ははあ、そうだったのか!
まあ、いずれにしても、別れ際の「ありがとう」ほど、本来の目的を果たせない「ありがとう」というのも、そうそうないと思う。これからのブロークンハートの現場において、フる立場になる人には、いっそ人思いに激しくジルバなど踊りつつ、別れのセリフの絶叫とともに遁走する、そういった余計な湿っぽさを挟む余地のない、クレイジーな振る舞いをするぐらいの気概を期待したく思う。