死にたくないと、生きたいと願うのが当たり前でない世界になりつつある
理性や文明の発達で、生存本能にさえ干渉するようになった
人間は今まで様々なものを許容範囲においてきた
言語や人種・民族、肌の色や文化、言語・職業・地位
姿形に始まり、眼に見えない価値観や概念まで、同じ場所に置く事を可能としてきた
生死に関する思想も、そういう段階を迎えつつあるのだろうか
例えば、自殺を選ぶ事が珍しい事ではなくなり
社会的にも、日常の延長線上の通常の行為として認められる時が来るのだろうか
「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない」と言う言葉があるが
十分に発達した文化や理性は、(それ以前から見れば)無秩序や不条理と見分けが付かないのではないだろうか
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