あれ、子供としては不満なのよ。
落ちるかもしれない2パーセントってなんなんだ?って
絶対に、万に一でも落ちたくない試験なのに50に一も落ちる可能性があるとかふざけんなよ!って。
どんなに頑張っても98パーセントより上にはいかないって理性ではわかってても駄目なんだよ。
だから少しの可能性でもつぶすために必死になるの。
むしろ昔のような階級社会に戻っていく過程だと思う。
DQN地域に生まれた子供が、難関校を受験する以外逃げ道はないと思いつめてしまうのもよくある事だし
親がそれに同調して、必死になるのもよくある事だ。
歪むくらいの負荷かかることをガンガンやって、運良く歪まなかった奴だけが勝ち続けられるっていう感じの構造になってる気がする。
実際歪むんだけど、受験視野にいれてるとこのくらいやってケアレスミス消さないと安心できないのも事実なんだよね。
中学受験は正答率7割じゃ落ちるし
むかーしの記憶だけど。
iPhone用のTwitterクライアントで特定文字列を含むTweetを非表示に出来るものをご存じないか?
http://anond.hatelabo.jp/20110112164738
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同じツリー
うちの親は低学歴だけどそれでなんとかなってたせいか、全く勉強しろと言わなかった。その代わり手に職付けて職人になれと言われた。
対バンがどこも知らない所ばかりで行き辛い。
ライブハウスで知らないバンドの知らない曲を聞くことほど娯楽としてつまらない時間の過ごし方は他にない。
目当てだけ見て帰ればいいがそれはコストパフォーマンスが悪すぎていただけない。
ていうかバンドなんてもう有名な曲のコピーバンドだけで良いじゃん。なんでわざわざ需要もないのに苦労してつまらないオリジナル曲作る必要があるの。
俺ももう結構歳食ってしまったし、元の専門が純粋理学系なので、今更どうにもならんですね。ちなみに修士出です。
仮に無理矢理入ったとしても業績面で同世代と圧倒的に差があるし、企業に行くような専門じゃないし。
どうにかこうにか学位くらいは欲しいんですけどね。仕事とも元の専攻とも関係無いことをシコシコ勉強してますが、一人でテーマ決めて論文書くとかは実際かなり困難ですね。
日本のどっかのよくわからん大学院の博士課程くらいなら入れるような気もしますが…。
GPAは昔計算したことあるけど忘れました。学部時代なら専門科目が全部優だったので、3.5くらいはあるかもしれないです。
親の話は、経歴とか入試上は関係ないですけど、やっぱ生育環境で圧倒的に差がつくなあと感じますよ。
俺なんて中高生の頃は右も左も何もわからず数学の本とか読んでましたけど、あそこで少しでもまともなガイドラインを示してくれる人がいたら違っただろうなあと思います。
やる気が出ないので、どうやったらやる気が出るかを考えている。
まぁ、僕自身のおきまりの逃避方法なんだけどね。
思うに、作業興奮を生じさせるためには、「何をやったらいいかわかってて、もう少しでできそうな感じ」
の状態を作ってやることがいいんじゃないかと。
ジグソーパズルと一緒だ。最後のあと数ピースを残して「飽きた」って言う人ってあんまいないと思うんだ。
枠がしっかり決まっていることで引き出せる快感があるのだ。
RPGもそうだ。ゴールが明確にわかっているから楽しいのだ。レベル上げも楽しいのだ。
つまらないなーって思うって事は、ゴールがぼやけちゃってるのかもしれない。
ゴールに依然感じていた快感を、感じられなくなってきているのかもしれない。
ゴールに、より快感を感じられるような、なんらかの工夫が必要だ。
その作業はなんのためにやってるのか。それが満たされるとどんなことが起こるのか。
ゴール自体が快感であればあるほど、その過程の作業に集中することができる。
一昔前は、エロ動画をダウンロードするために色々な知識が必要だった。
まずダウンロードしたファイルを解凍するソフトが必要だったり、
やっとそろえたと思ったらコーデックが足りなかったり。
そもそも、動画をダウンロードできるサイトをみつけるのも大変で、
でも、そういうくそめんどくさい作業を乗り越えて動画を再生してきたのだよ我々は。
これはまぁ、極端な例というか。
目的が持つ快楽、それに対する期待だけで作業をやりきれる希有な例というか。
こういう作業って、別に作業それ自体を楽しんでいるわけではない。
目的があまりにも魅力的すぎて欲求に直接的過ぎる。
それでも、まるで解決策がわからないばあい、いくら魅力的な動画だったとしても、
なんとなく、解決できそう、ゴールまで行けそう、っていう感覚が必要なのだ。
そういう直感的に「できそう」っていう感覚が無いと、行動が誘発されないのだ。
何かを作ろうというモチベーションも同じだと思う。
プログラミング。普通の人は、こういうアプリが欲しいなーというアイディアが浮かんでも、
それを作るためのプログラミングの知識がないから、まず、それを自分で作ろうという発想にはならない。
多分、「あ、これくらいなら自分で作れそう」って思えたなら、そういうアプリを作る過程は、
それはそれは楽しい過程になるはずなのだ。
だから、まずは「自分にもできそうだ」っていう確信を得るために、どうするかってことになってくるんだよね。
自分にもできそう、っていう確信が得られるくらい、自分の「道具」を増やしていく、っていうか。
そのための勉強が必要なわけだけど、つまりはこの「勉強」をするときに、
枠を作ってやればいいんじゃないの、ってことになってくる。
最終的な到達地点は、商品になるくらいのアプリケーションを作ることだとしよう。
まぁ、絵を描いて食っていくとか、そういうのでもいいや。
その到達地点をゴールに据えたところで、自分としては何もやる気にならない。
あまりに大きすぎるジグソーパズルを買ってしまってげんなり、みたいな。
わくわくするとかそういう肉体的な快感を引き出すためには、もっともっと、
自分自身にリアルで無くてはいけない。性欲ほどで無いにしても、
もっと今の自分の欲求に近づけてやらないといけないのだ。
例えば「とりあえず何か将来的に役に立ちそうな知識を身につけるべく勉強をしたい」
っていう、不安に背中を押されているような欲求があるとしよう。
だったらそれをまずは利用する。とりあえず勉強したいという欲望を。
でもそれだけじゃ足りないのだ。もっと直接的に、自分の欲求に結びつける何かが必要だ。
生産、そう。生産だ。アウトプットが必要だ。排泄が必要なのだ。
自分のやっていることに、プロセスに快感を感じるためには、どうしたってその途中途中に
排泄行為が必要になってくるのだ。中途半端でもいい。今の自分でもアウトプットできる何かを、
カスでもいいから排出してやる。その排出されたものを見る。臭いをかぐ。
ほら、自分の髪をかいたりしたあとに臭いをかぎたくなるじゃない。
自分の体臭をかぎたくなるじゃない。あれとちょっとにてると思う。
自分が排出したものを、自分で確認する。そのプロセスって実は快感なのだ。
見られた上に「気持ち悪…」とかそういうフィードバックがもらえるとしらもう最高だ。
もう、何かを勉強するならはじめっからアウトプットをこまめに実践するといいってことだ。
ほんの少ししか勉強してなくて何も生み出せないと思うかもしれないけど、
たしかに誰かに見せるようなものは絶対に生み出せないと思うけど、
それでもカスくらいはひねり出せる。
そういうアウトプットをこまめに捻出していく、っていうのが、
つーことはだよ。この発想を、日々のToDoみたいなのを考えるときに役立てていこうとすると、こうなる。
みたいな作業の決め方はやる気が起きない。インプットしかしてないから。
「○○を勉強することにより△△ができるようになるはずだから、今日は□□を作る」
みたいに、最終的にアウトプットの形でフィニッシュさせるといいんじゃないかと。
日記にはこう記す。
「今日はこれができるようになった。」
何々をした、とか、何々をする、とかでは足りないのだ。
自分が今日、それを実践したことによって何ができるようになったのかを
ほんのちょっと考えてやるといいんじゃないかな。
それ、お嬢様っていうより若干知能に障害がある人なんじゃね?
話すのが異様にとろい、一文字一文字伸ばす
はーーーーーじーーーーーーめーーーーーまーーーーーーしーーーーてーーーーーって感じ
笑う時に口に手を当て「おほほほ」と嫌みなく笑う
両親の事を「おととさま、おかかさま」と呼ぶ
人に手伝いをお願いする為に電話をして、要件を30分話しても相手に伝わらない
年越しの時、台所で立ったまま俎板の前で寝る
とよく解らん自慢をする。