2011-01-12

どうやったらやる気って出るか適当に考えてみる



やる気が出ないので、どうやったらやる気が出るかを考えている。

まぁ、僕自身のおきまりの逃避方法なんだけどね。


思うに、作業興奮を生じさせるためには、「何をやったらいいかわかってて、もう少しでできそうな感じ」

の状態を作ってやることがいいんじゃないかと。


ジグソーパズルと一緒だ。最後のあと数ピースを残して「飽きた」って言う人ってあんまいないと思うんだ。


ジグソーパズルは直感的にあとどれくらいで完成かがわかる。

ちゃんと、ゴールがある。それがポイントなんじゃないかと。


枠がしっかり決まっていることで引き出せる快感があるのだ。


RPGもそうだ。ゴールが明確にわかっているか楽しいのだ。レベル上げも楽しいのだ。


まらないなーって思うって事は、ゴールがぼやけちゃってるのかもしれない。

ゴールに依然感じていた快感を、感じられなくなってきているのかもしれない。


そういうときは、快感を補給してやる必要があると思うのだ。


ゴールに、より快感を感じられるような、なんらかの工夫が必要だ。


その作業はなんのためにやってるのか。それが満たされるとどんなことが起こるのか。

ゴール自体が快感であればあるほど、その過程の作業に集中することができる。


一昔前は、エロ動画ダウンロードするために色々な知識が必要だった。

まずダウンロードしたファイル解凍するソフトが必要だったり、

その動画再生するためのソフトも必要だったり。

やっとそろえたと思ったらコーデックが足りなかったり。

そもそも、動画ダウンロードできるサイトをみつけるのも大変で、

そのサイト入り口も巧妙に隠されていたりして。


でも、そういうくそめんどくさい作業を乗り越えて動画再生してきたのだよ我々は。


これはまぁ、極端な例というか。

目的が持つ快楽、それに対する期待だけで作業をやりきれる希有な例というか。


こういう作業って、別に作業それ自体を楽しんでいるわけではない。

目的があまりにも魅力的すぎて欲求に直接的過ぎる。


それでも、まるで解決策がわからないばあい、いくら魅力的な動画だったとしても、

その再生はあきらめるしかない。


なんとなく、解決できそう、ゴールまで行けそう、っていう感覚が必要なのだ。

そういう直感的に「できそう」っていう感覚が無いと、行動が誘発されないのだ。


何かを作ろうというモチベーションも同じだと思う。

プログラミング普通の人は、こういうアプリが欲しいなーというアイディアが浮かんでも、

それを作るためのプログラミングの知識がないから、まず、それを自分で作ろうという発想にはならない。


多分、「あ、これくらいなら自分で作れそう」って思えたなら、そういうアプリを作る過程は、

それはそれは楽しい過程になるはずなのだ。


から、まずは「自分にもできそうだ」っていう確信を得るために、どうするかってことになってくるんだよね。


自分にもできそう、っていう確信が得られるくらい、自分の「道具」を増やしていく、っていうか。

そのための勉強が必要なわけだけど、つまりはこの「勉強」をするときに、

枠を作ってやればいいんじゃないの、ってことになってくる。


最終的な到達地点は、商品になるくらいのアプリケーションを作ることだとしよう。

まぁ、絵を描いて食っていくとか、そういうのでもいいや。


その到達地点をゴールに据えたところで、自分としては何もやる気にならない。

あまりに大きすぎるジグソーパズルを買ってしまってげんなり、みたいな。


わくわくするとかそういう肉体的な快感を引き出すためには、もっともっと、

自分自身にリアルで無くてはいけない。性欲ほどで無いにしても、

もっと今の自分の欲求に近づけてやらないといけないのだ。


そう、今の自分の欲求に近づける、これが重要だ。


例えば「とりあえず何か将来的に役に立ちそうな知識を身につけるべく勉強したい」

っていう、不安背中を押されているような欲求があるとしよう。

だったらそれをまずは利用する。とりあえず勉強したいという欲望を。


でもそれだけじゃ足りないのだ。もっと直接的に、自分の欲求に結びつける何かが必要だ。


生産、そう。生産だ。アウトプットが必要だ。排泄が必要なのだ。


自分のやっていることに、プロセス快感を感じるためには、どうしたってその途中途中に

排泄行為が必要になってくるのだ。中途半端でもいい。今の自分でもアウトプットできる何かを、

カスでもいいから排出してやる。その排出されたものを見る。臭いをかぐ。

そういうプロセスが多分、快感なんじゃないかと思うのだ。


ほら、自分の髪をかいたりしたあとに臭いをかぎたくなるじゃない。

自分体臭をかぎたくなるじゃない。あれとちょっとにてると思う。


自分が排出したものを、自分で確認する。そのプロセスって実は快感なのだ。

それをだれかに見られるとしたらなおのこと快感だ。

見られた上に「気持ち悪…」とかそういうフィードバックがもらえるとしらもう最高だ。


もう、何かを勉強するならはじめっからアウトプットをこまめに実践するといいってことだ。


ほんの少ししか勉強してなくて何も生み出せないと思うかもしれないけど、

しかに誰かに見せるようなものは絶対に生み出せないと思うけど、

それでもカスくらいはひねり出せる。


そういうアウトプットをこまめに捻出していく、っていうのが、

多分、自分のやる気を増長させていくんじゃないかな。


つーことはだよ。この発想を、日々のToDoたいなのを考えるときに役立てていこうとすると、こうなる。


今日は○○を勉強する」


たいな作業の決め方はやる気が起きない。インプットしかしてないから。


「○○を勉強することにより△△ができるようになるはずだから今日は□□を作る」


たいに、最終的にアウトプットの形でフィニッシュさせるといいんじゃないかと。

自分への問いかけはこうだ。

今日は何ができるようになりたいの?」

日記にはこう記す。

今日はこれができるようになった。」

何々をした、とか、何々をする、とかでは足りないのだ。

自分今日、それを実践したことによって何ができるようになったのかを

ほんのちょっと考えてやるといいんじゃないかな。

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