フられるのが怖いかね、そりゃそれはぼくも怖いけれど、でもさ、誰かを好きになってしまったのなら
それはもう恥じも外見もなく、愛を乞うしかないのがぼくらの如き「中々愛されないひと」の道ではないかと思うのだけれど。
それは違う。
以前論破されたナンパ師様っていうのが果たしてどのような人なのか、
ぼくにはさっぱりわからないのだけれど。
だって、誰かに恋をしちゃったんだろう?
相手が自分を「一緒にメシはイヤだなぁ」と思っていようがいるまいが、
とにかく相手が自分を好きになってくれるように勤める他ないじゃないか。
相手が自分を好きじゃないところから始まるのは恋愛ではない、みたいな考え方もあるかもしれないけれど。
頑張りもしないで「相手がどう考えてるかわからない!」なんて、理解が全く出来ない。
じゃああんたどうすんの?って話。
たどり着くべきところが一つしかないなら、その過程で相手がどう思っているかなんて
「どういう風に作戦を組むか」以外で考える必要ないでしょう。いや、諦めるってんなら別にいいけど。
そんなんで諦めついたら恋愛じゃねーわな。
>こうして、「相手がどう思っていようと自分は相手がすきなのだ、ということを伝えるしかない」
>みたいなことを言えば、「性犯罪者」と言われてしまう。
お前は日本語が不自由な人ですか?
>じゃあ、「俺と二人ってイヤかな?」と「俺は二人で行きたいんだ!」という方向に押すか
>そんで、相手の思惑なんて気にする必要あんの?
とはっきり言ったのであって、
>「相手がどう思っていようと自分は相手がすきなのだ、ということを伝えるしかない」
とは決して言ってませんよね。
最初からそういう表現じゃなかったということは、お前は最初はそういう発想だったんだよ。都合よく言い繕ってるんじゃねーよ。
なんか色々別トピで書いているうちに思ったのだけれど、非モテという人種はもしかしたら
「愛を乞わない」のではないかと思うようになった。
だってね。全く別の二人の男女がいて、まるで当たり前のように愛が生まれるなんて、そう滅多にあるわけないじゃないか。
相手が自分のことをそれほど好きではないことを自覚しながらも、それでもなんとか好かれようと
あらゆる手段を講じて「愛を乞う」ことが、ぼくの思う「非モテ」における恋愛ではないかと少し前まで
ぼくは考えていたのだけれど。(ぼくは自分が非モテであると思ってるしね)
どうやら、「乞いもしない」人のことを「非モテ」と呼ぶのではないかと思った。
フられるのが怖いかね、そりゃそれはぼくも怖いけれど、でもさ、誰かを好きになってしまったのなら
それはもう恥じも外見もなく、愛を乞うしかないのがぼくらの如き「中々愛されないひと」の道ではないかと思うのだけれど。
この基準で言えば、道を歩いていて突然求愛されない人は「非モテ」になってしまうなぁ、と思った。
「相手が自分のことを愛していないようだから、自分は相手を諦める」なんてやってたら
そんなん永久に孤独に決まってるじゃねーの。だって俺ら、ルックスの不自由な人なんだから。
「女のくせに生意気だ」っていう言葉そのままは言わないけどそういいたいんだなって顔に出てる。自分とあいての学歴を比較して、女の方が低いもしくは同等だとそういう顔をする人が多い。上だとむしろ何でも知ってるんだから俺なんかと話したくもないでしょっていじけてる顔をする人が多い。それが50~75%。内50%くらいは無駄に突っかかってくる。言葉じりをとらえたり無駄に全否定したり。事柄の全否定にとどまらずに人格否定までするとか。議論に胸のでかさとか美人かどうかは関係ないっつーのって感じだが、追い詰められるとだいたい捨て台詞を吐くので坊やはしょうがないなぁと思ったりする。年食ってくるとだんだんなくなって三十代になればほぼ関係ないけど二十代前半は特にひどいね。
ああ、以前論破されたナンパ師の人ですか! 釣れますか?
っていうことは、やっぱり女性は育児をしなければいけないっていうのは、
現在の男性中心社会を形成する上で決定的な要因にはなっていないってことですね。
http://anond.hatelabo.jp/20100212220657
内心は確定不可能である、という前提が生きていれば出来てくると思うんだけれども。
他人がどのように自分を思っているかなんてのは、わかりようがないよね。
でも、恋愛というのは基本的に「相手に自分を押し込む」場だと思うんだ。
だってね、相手は本当にイヤになったらイヤだと意思表示すればいいんだから。
相手が「現在」自分と「差し向かいでメシはちょっといやだな」と思っていても、
「差し向かいでメシを食いたい」のが、恋する側なのだから。
そして、ある種の頑張りを経ないで「この人と一緒にいたいな」なんて、少年誌的な恋愛状況に
いたるのは、非常に稀なことだ。なんとなーく一緒にいたり、あるいはちょっとめんどいけど一緒にいたりするうちに
人は人を、なんとなーく好きになるもんなんだ。所謂、非モテを自称する人はまるで少年誌の「愛」や「恋」のような
二元論の地平で恋愛が進むと思っている。でも違う、恋愛というのは
たとえ、自分がそれほど愛されていないことを自覚しながらも、それでも「求愛」するしかないんだよね。
もちろん、これは「求める」のであって「脅迫する」ではないことを自覚しなければならないけれども。
こうして、「相手がどう思っていようと自分は相手がすきなのだ、ということを伝えるしかない」
みたいなことを言えば、「性犯罪者」と言われてしまう。
しかしね、恋愛とは基本的に愛を乞うものであって、ある日突然二酸化マンガンとオキシドールが反応するみたいに
フラスコの中で起こるわけではないんだよ。そういうことがたまにある、というだけで。
嫌われていようがなんだろうが、恋っていうのは起こるもんだ。
最善を尽くすしかないんだよ、最善も尽くさず「俺はどうせダメだ」なんてね。
自殺を勧めるほかないじゃないか。
トヨタのリコール問題だが、なにあれ? ちょっとプロとしてあの態度はまずかったと、正直思った。結局トヨタリコール問題は全権が社長に(つまり最も適した対応が出来る人に)委ねられることになり、その後沈静していくと思う。
なので、ちょっとこれを機会に、適切なクレーム対応というのを書いてみたい。
前回、トヨタのプリウスのABS問題に対する対応が、全くなっていなかった事を説明した。ひとことで言えばここにたどり着く。
お客の不安を解消しないと駄目なわけで、それはフィーリングの問題だから車の問題ではないって、つまりこれはお客のせいにしているわけだねえ…。
トヨタのリコール問題があれほどまでに大きくなったのは、これは車の問題ではない、お客の使い方の問題だ、お客の感じ方の問題だと責任をお客に転嫁してしまったこの一点にある。これはクレーム処理の基礎のキも知らないことになる。
さて、いったい、クレーム処理とは何だろう?
たとえば目の前に怒り狂ったお客がいる。
このとき、あなたは「何をゴールとして」クレーム処理に取りかかればいいのだろうか? フィーリングの問題だと突き放すというお手本を日本の大企業トヨタは示してくれた訳だが、その結果が惨憺たる有様になったことは火を見るより明らか。実際に、その真実が「フィーリングの問題だった」としても、これは正しくないのだ。それはクレーム処理ではないと。
まず、ここをスタート地点とする。
考えてみよう。
ECサイトの店長のような仕事をしていると、クレームというのは必ず発生する。
トラフィックにもよるが、穏健な問い合わせまで数に入れれば、百件の購入に一回ぐらいだろうか。なので販売単価一万円のECサイトで月商一千万円だとすれば、月に十件ぐらいはクレーム処理をすることになる。
実際にはもっと販売単価が低かったり、もっと規模が大きい数人のチームのECサイトで、クレーム担当が立っていると言う状況だったりするので、もうちょっと件数が多いものであるが、せいぜい日に十件ぐらいにしかならない。
そういうと、思いのほか少ないと思うかもしれない。
実際、お客というのは、何か腹が立つことがあっても、わざわざ文句を言ってくることは少ない。なんと言ってもお客はわざわざ文章を書いて、それをメールで送ってくるわけで、そんな面倒な事をするよりも、ほとんどのお客は二度とその店を利用しないことを選ぶ。
ECサイトの人間が最も恐れるのは、この何も声を発せずに立ち去っていくお客で、むしろ声を上げてくれるクレーマーはありがたいお客なのだ。
また、楽天系のECサイトでは、マントラのようにクレームはチャンスという言葉が流布されている。クレームをわざわざしてくれる人に懇切丁寧に対応することによって、そのクレーマーが重要顧客に変わる、というマントラだ。
実際の所、わざわざクレームをしてくれる行動的なお客は、味方にし優良顧客に転換できれば、知人に積極的に宣伝をし、お客がお客を呼ぶ状態に持ちこめる確率が高い。つまり、クレーム処理でたった1人のクレーマーに適切に対処すれば、優良顧客の打ち出の小槌になる、そんな寸法なのだ。
クレームとはこんな状況である。
自社のサービスを利用したお客が、
支払った金額 or 労力の、
結果に納得がいかず or 結果が想像と全く違い、
怒って文句を言う or その状況を改善しようとする or 助けを求める
こうみてみると、クレームとは顧客の中で発生している問題であることが分かる。
一見すると、お客は「プリウスには欠陥がある」と怒って文句をつけるので、焦点が「プリウス」にあるように見える。このときに自己防衛的に「いや、プリウスには何ら問題がない」と言ってはいけないのである。
なんたって、これはお客の中で発生しているのだから。
クレームは商品に発生してるんじゃない、顧客の中で起きてるんだ!
これを呟いてから、クレーム処理はしたいものだ。
そしてこう説明してみれば、分かるように、ゴールは商品に何ら欠陥がないことを証明することではない。お客の中で発生している「理不尽な思いをした」という心をなだめ、そこで発生している問題を解決するところにあるのだ。
しかし、このように書いてくると、かなりDQNなお客に引きずり回されるイメージがわいて来るだろうが、そうではない。クレーム処理をしながら、クレーム担当は、そのお客がいるお客か、いらんお客なのかを冷静に見極める。そして、こちらが誠意を持って対応してもどうも意味がなさそうだと判断すれば、さっさとそのお客は切ってしまう。
クレーム処理とは一種の投資みたいなもので、その投資に見合うリターンが貰えそうにないのであれば、商売なのだから、もう二度とこの店にはやって来ないことを覚悟して、いいようにあしらって(文句が出ない程度には丁重に扱って)出ていって貰う。
とはいっても、本当に真の意味でDQNなお客というのはほとんどいない。
大抵は、丁寧な対応をすれば、それに見合った態度を取るようになる。
困るのは、この真のDQNと優良顧客に転換できる普通のクレーマーは、しばらく対応をつづけないと、どちらなのか判断がつかないところにあるのだ。
そして、モンスター・ペアレントとか、パワークレーマーなどと言われる人々が増えているように見えるのは、この真のDQNが増えているのではなく、適切なクレーム対応が出来ていないことが原因であるように思う。
よくクレームにまつわる話で、あり得ないほど変な怒り方をしているクレーマーを馬鹿にする本などを見る。これは実のところ、クレーム対応に失敗し、お客を烈火の如くに怒らせてしまい、そのあげくにクレーマーがあり得ないことを言い始めなければならなくなってしまった典型例であるので、実際の所、笑われるべきはクレーム対応者である。
たとえばECサイトで、お客さまが商品が買えないと怒っていたとする。
ものすごい怒りようで、孫の誕生日にこの商品を送ってやるつもりだったのに、いったいどうしてくれるんだ、責任とれ! と来ていたとする。でよくよく調べてみると、そのお客は会員登録をしておらず、それであるならば当然に買えるわけがない。そうお客に告げると、会員登録はしたという。いや、してませんよ、いや、した。禅問答である。
この事態の真相は、このお客は会員登録フォームから会員情報を入力したのだが、メールアドレスに対して送られた認証用のURLをクリックしていないので、正式な会員にはなっていないであったとする。
このとき、
「というか、メール認証しないと、正式に会員登録が完了しないって書いてあるじゃんwww」
と笑ったり、
「というか、ヘルプぐらいみろよwww」
とお客を馬鹿にするクレーム担当がいたとすれば、ECの現場では張り倒されるだろう。
このときの正しい態度は、もしかしたらメール認証って言う言葉の意味が分からなかったのかもしれない、ひょっとしたら会員登録が済んだと誤解させる何かを見せてしまったのかもしれない、であって、顧客を笑うことではない。
基本的にお客というのはプロである販売員よりも、持っている知識が圧倒的に少ない。
たとえば、「プロバイダーメールのみ登録できます」という言葉の意味が分からないお客というのは、かなりの確率で存在していると思われる。
たとえこちらはそのサイトのシステムをデータベースから、何から何まで知っていたとしても、顧客からは完全なブラックボックスであり、少なくとも状況が全く分からないという事はお客を不安にさせる。
お客が不安を覚え、クレーム担当が適切な対応を取らず敵対してしまえば、お客は疑心暗鬼になり、もう何を言っても信じなくなるだろう。
これはプリウスに起こったことだ。
プリウスのABSのことを確かにトヨタの人間は熟知し、何が原因であるかを的確に把握していたであろう。しかし、お客からみればそれはブラックボックスで、不安の原因であり、フィーリングの問題だと一方的にお客のせいにされれば、もう態度は硬化し、いくら説明をしても「嘘をついている」になってしまう。
完全な敗北だ。
クレーマーは基本的に間違っているのだ。
これは事実である。
しかし違うのである。
クレームは商品に発生してるんじゃない、顧客の中で起きてるんだ!
まずはここがスタートなのだ。
(つづく)
まあ、若くてモテそうな奴は焦ってソープ行かなくてもいいんじゃねえの。
それはそれとしてSGRってなんだ?創価学会?
と思って検索したらそういう店名なのな。Super Gold Rushか。
勢い余っておばけ屋敷というピンサロを見つけてしまった。別に行きたくはない。
ていうか農耕民族は基本的に共働きだよな。狩猟が云々言うけどそれ何千年前の話だよって思う。弥生時代にはすでに農耕民族になってるのにさあ。
>そんで、相手の思惑なんて気にする必要あんの?
爆発的にウゼエ。相手の思惑なんて気にする必要あるに決まってるだろうが。
それともお前の恋愛観は「相手の思惑なんて気にしないでモノにすればよい」なのか? 荒涼たる女性観だな。女性をモノ扱いしている。よくそれで21世紀に社会人面して生きていけるな。
元増田だが、そもそも大騒ぎしようという狙いではなく、
さりげなくアピールしようというのが狙いなのだが。
だから、そんなに露骨なメッセージが問題になるならシンボルカラーを示して、
暗黙のうちに意思表示をして、それをテレビに映るようにしようというのが俺の狙い。
第一、「スポーツイベントに政治闘争持ち込むなアホ」と言われても、
モスクワ五輪とロサンゼルス五輪のボイコット、北京五輪の聖火リレー騒動など、
それにくらべればはるかに穏やかな代物なんですけどな。
一応、応援という体裁を取れば、警察の届け出も許可もいらないし。
初心者にはやりやすいんじゃないかと思ってるんだ。
女の泣き落としは問題視すらしないのはなぜだろうね?
今まで誰も実行しなかった理由を考えたことはあるか?
「スポーツイベントに政治闘争持ち込むなアホ」と叩かれるだけ。
仮に叩かれなかったとしても、「じゃあ俺らも」とその手の団体や勢力が集まりまくって一般人が寄りつかなくなってイベント自体が衰退していくのがオチ。
デモになるとさすがにまずいから、個々人でばらばらの場所でやる。
何がまずいのか理解できない。そういう主張こそデモでやるべきなんじゃないのか。
・文無しの十代が「エリート」まで駆け上がることは、決して難しいことではない。
・世の中の人間の95パーセントは努力などしたことがないし、これから先もしない。
・同情の余地のある人間なんてほとんどいない。
・不幸になる人間はなるべくして、不幸になる。
・エリートと「エリート中のエリート」の間には、一般人と「エリート」以上の壁がある。
・これを越えるのはもしかするとムリかもしれない。
・人生はある一点まで走りあがると、「モテ」とか「非モテ」とかそういう話ではなくなる。
・そんな奴は死ねばいいと思った。
子供が一人なら問題ないけど、昔は多産多死だろ?
妊娠におよそ1年、授乳に1年と考えて、子供が4人なら、授乳と妊娠期間が完全にかぶっても5年は子供の面倒を見なきゃいけない。
それに、赤ん坊ってのは、いつ何をするかわからないから、常に監視しなきゃいけない。
え、それ「どっち?」なんて知る必要があるんだろうか。
仮に、「あなたと二人は無理です」って意味だろうと、あるいは「あなたのほかの人との関わりを見てみたいです」だろうと、
あんたやることになんか変わりあんのかなー、って思う。
だって、好きなんでしょ。まぁ、平たく言えばゲットしたいわけだ。手をつなぎたいし、ヤりたいし、俺のもんにしてー
と思うわけだ。
そんで、相手の思惑なんて気にする必要あんの?
相手が内心でなにを思ってるかなんて、絶対に知りようがないし、知ったところで諦めがつくわけでもない。
じゃあ、「俺と二人ってイヤかな?」と「俺は二人で行きたいんだ!」という方向に押すか
あるいは、ちょっと回り道を覚悟して適切な同伴者を選ぶことしかやることないじゃない。
何言ってんのかさっぱりわかんね。
到達すべき場所がはっきりしてるなら、その過程で相手の思惑なんて慮る必要ないじゃない。
相手がどう思ってようとこっちの目指す場所はハッキリしてんだから。
相手がなに思ってるかより自分が何を目指してるか大事にしろよってお話。
そりゃ、ね。相手が「二人はもうちょっとイヤだなー」と思ってることが確定して、
しかも、「それならもう諦めよう」と思えるんなら話は別になるんだけどさ。
その程度で諦めつくもんでもないでしょ。じゃあ、そんなこと気にしても仕方ないじゃない。
アホか、と思ってしまうわ。
ピンサロっていうか安い風俗全般は時によっては本当にぞんざいに扱われるため、
ルックスか話術に秀でているか、ちょっとやそっとじゃヘコたれない精神力を持った
やたらとソープを勧める奴がまるで雨後のタケノコの如くあちこちに増えている。
なので俺は逆に反証を唱えてみようと思う。
肝心なのは「挿入した事があるか無いか」では無い。
「自力で好きな女を口説き落として性交渉まで辿り着く技術が備わっているかどうか」だ。
金を払ってプロの女性に抱いてもらい、挿入行為を終えたとしても
むしろ、「脱童貞した」と言って自信がついた気になるほうがマズい。
もしくは、「なんだSEXとはこんなものか」と全てを分かったようになる方がマズい。
ズブの童貞の方がまだ清々しい。
実力でモンスターを狩れないからPARでステいじくって裏ボス倒して満足した気になっているが、
ちゃんと正規の道程を踏まえた上で倒すからこそ希少価値があるんだろう。
もしくは、自分でアミもって森に入って大型のクワガタムシを捕まえる奴と、
売り物の大型のクワガタムシを取って見せびらかす奴の違いみたいなもんだ。