「アイツ」から逃れることはできない
「アイツ」は、すぐ追いかけてくる
たとえ、「アイツ」から逃げているつもりでも・・・
それすら「アイツ」の思惑
そう、「アイツ」が準備しているのは、「無限後退」
短く、容易く、慣れ親しんだ知識を得て
俺達は満足感を感じる
短いコメントを残し
語りたいという欲望
知的に装いたいという欲望
優越感を味わいたいという欲望
「アイツ」は、そこにつけ込んで来る
永遠のように長く、難しく、奇抜な知識
あまりに周到に用意された理論
完璧すぎる
目を逸らしたい
それでも、目を逸らす事すら「アイツ」の思惑
罵倒も、暴言も、攻撃も、「アイツ」の掌の上で踊らされているだけ
それでも、それすら「アイツ」の思惑
無知に耐えられない者
彼らは「アイツ」に仕向けられた知を追いかける
だが、ゴールはない
迷宮の永続・・・
無限の後退・・・
魔術の呪縛・・・
「アイツ」から逃れることはできない
「アイツ」は、すぐ追いかけてくる
たとえ、「アイツ」から逃げているつもりでも・・・
それすら「アイツ」の思惑
そう、「アイツ」が準備しているのは、「無限後退」
メタになればいいのだろうか?
諦めればいいのだろうか?
しかし、それすら・・・
http://anond.hatelabo.jp/20090201210222
ってことになる?
でも効率的だし合理的ではあるよ。
確実に結婚というゴールに到達できるし、条件も設定しているから後でもめる恐れもない。
一般に恥ずかしいことなのかな。お見合いは。
引きこもりは保養者の労力を浪費するだけで何も生産的でない寄生虫だし、社会的に見ても勉学の余地の残されていない頭の悪いゴミクズだし、肉体労働の面から考えてもあの腐った体でまともに働けるわけでもない。
死ねばいいと思います。
いやそういう問題じゃなくて、普通の人間はまず合コンなり周囲の人間関係なりから恋人を探すのが【普通】だってだけだから…。
つまり大多数は【普通】の行動をとる以上、相談所に登録してくる人間は【普通】の行動で恋人を見つけられなかった余りものか、【普通】の行動ができない変人か、のどちらかが大多数になるから…。
つくづく何を書けばいいか分からん。というか書いてる場合じゃない。そんな場合じゃないんだ。でも何かしなくちゃいけない気がする。そうそれは勉強のはずなんだ。するべきなのはテストに備えての勉強のはずなんだ。でもちっとも手をつけられない。どうしてか。かったるいからだ。めんどくさい。やってどうなるんだと思う。したって意味がないんじゃないか。単位を取って進級してそれでどうするってんだ。特に目標はなく惰性で進学しようとしているだけだ。それでどうする。何事か成し遂げたいことでもあるのか。しいて言えば楽をしたい。オタク趣味に興じていたい。できるならそれだけ突き詰めていきたい。でもそうしたい理由もかっちょ悪いもんだ。なるべく他人との接触をとらずに現実から目をそむけていたい。他人との直接的な接触を避けて生きてくことなどできないだろうし、完全に排してしまうことにも恐怖が募る。少しくらいは接点を持っていたいとも思う。だけどあまりべたべたとは嫌だし長い時間を共にするのも避けたい。空気を保ちきれない。会話していなくちゃいけないというのはつらい。しないでいてもなんともないってこともあるのだろうが、信じられない。前にそんな状況を味わった気もするけれど一時的なもんだ。長いこと一緒にいたせいでそういう嫌悪感が麻痺していただけじゃないかと思う。だって寝て起きたらまた気まずさに心痛める他者との接触になるのだから。一時的なことなのだ。常に一緒に居続けることによって思考と感覚が雑になっているだけなのだ。というかこんなことを書きたいわけではない。書いてる場合じゃない。どうすれば勉強に積極的に向かえるかということを模索したいのだ。ついネットをしてしまう。英語なんぞ見たくもない。数学の演習を解く気にもなれない。でもやっておかないと今週のテスト地獄に対応できない。でもつい「勉強なんていやいややるもんではない、きちんとした理由を見出してこそ打ち込むべきだ」と自らを正当化しようとしてしまう。そのせいでこんな下らん現実逃避文を書いてしまうのだ。非常によろしくない。勉強をしたくないがしなくてはいけない状況に追い込まれたとき、いつもこんな風にして悩み解決のためという名目で何の意味もなく読み返す気にもなれない文を書いてしまう。いつからこんな癖がついてしまったのか。文章を書くようになってましになっている部分なんてあるのだろうか。客観的に自分を見つめられるようになるとかいうがそりゃまた個人差があるだろう。そんな気はしていない。というか内に向かう気質がさらに育まれている気がしてならない。それはまだ数をこなせていないからなのだろうか。わからない。もっと自分のようなやつがたくさんいるとわかれば安心するのだろう。だがそれではただ安堵を得るだけ得て何もしない自分が再び現れてくるだけではないか。それではいかんのだ。せめて少しずつ進歩していきたいからこそこうして書いているのだ。だがこのままだとある程度の文量を打ち込んだらわずかな達成感を胸に対して勉強もしていないのに明日を迎えてしまいそうだ。だが実際いま自分の中には達成感に似た充足感がにじみ出つつある。これでよいのだろうか。そんなことは分からない。いやよくない。とにかく眼前には来年楽をするためにも今のうちに多く単位を取る、それ以上に確実に進級するためにもテストに備えて勉強をするという目標があるのだ。だがそんな刹那的な生活の中に身を置いたままでいいのだろうかという逃げに似た思いが、こんなタイミングで邪魔をする。一見すると正しいように見えるから困るのだ。もしテストの重圧に囚われていないものが目を輝かせて言ったならああ若いなこいつとそこそこの評価をいただけるのだろうが今の自分が言えばテストがいやな学生のごまかしに過ぎないのだ。それだけ分かっていて勉強せずにこんなことしてるのはなぜだろう。わかってると言いつつ全然わかってないのだろうか。口先だけ、言葉の上では意味をなしているが頭の中ではどうにかして勉強せずにすませる方法があるのだと信じ切ってしまっているのだろうか。濁していうことでもない、確実にそう思っている。中学高校とそうしてギリギリで進学してきた。ほんとにギリギリだ。本気でやったら底知れない力でも眠ってるんじゃないかと思ってしまうほどだ。でもそれは視野がせまっくるしいだけだ。実のところはそこらにいる大多数の大学生とどっこいかそれ以下だろう。でも自分の中の玉座には俺はなかなかにすごいという傲慢さが座っている。どうしても降りようとしない。おそらく本気で取り組んで打ち負かされたことというのがないからだろう。その点ばかりは覆せまい。本気でやったことがある気がしてない。ないだろう。自分の評価が低すぎるだけで、もう充分本気で生きてるのかもしれない。まさかこの状態が、この適当にやり過ごして生きてると思ってる状態が俺の本気なのだろうか。まさか。そんなことは考えたくもない。だってそれなら適当に愚痴りつつそこそこに生きてまた愚痴りながら死ぬだけじゃないのか。それで人並みに幸せを感じていられればいいけれど今の俺はだいぶ抑圧されている気がしてならない。我慢ばっかだ。耐えるとかじゃなくてしなくていい我慢ばかりしている。心底楽しいと思ったことがこの4年近くない。一切ない。わけでもないかもしれないが、少なくとも生きててよかったと思えるほどの体験はない。最高だと思えた一日はない。とてつもなく広く思えた世界は思い出の中にしかなく、最近の視界は脳の反映でしかない。これ以上の成長を望める気がしない。世界は16歳で完結したのではないか。これ以上新しさを感じることもないのではないか。もしかするとそういうすばらしく思えた何かとか世界とか視界だとかいうのは思い出の中にしかないものなのだろうか。そんな気もしてくる。ではそんなものに囚われているこの日常もまた思い出してみたら適当に美化されていくのだろうか、どうなのだろうか。そんなことはわからない。事故は変化する。していなくてもそう思いこめばそうなる。きっと未来の自分はそう思い込む。そんなことはどうでもいいのだ。今の自分がすべきことは眼前のことだけだ。勉強。この言葉が重くのしかかってくる。して良かったという実感もないのにしろと言われてするものそれが勉強だ。あくまで自分の中でだが。楽しくて自主的にやってる人もいるんだろう。といいつつもそういう人間の存在を信じてはいない。というかいないだろう。いてたまるか。少しでいいから純粋にそうやって勉強できる心を分けてくれ。一瞬でいいから代わってくれ。どういう幻想なんだ。教えてくれよ。とにかく俺はしたくない。したいと思う理由も、そういう方向に導いてくれる趣味も考えも俺は持っていない。他人の考えにひたすら感化されて生きてきた俺にそんな自主的な思いなど湧いたことがあるのだろうか。自分で分からないのだから問いかけても無駄だろう。それでも問いかけてしまうのはなぜだろう。知らん。とにもかくにも単位を落とすだの赤点を取るだのというのは俺にとっては脅威だ。そんなことをしてみろ。また後々苦労が増える。そうだ。こうしていやいやながらにも勉強を向かおうとしてしまうのは未来の邪魔な要素だけは増やすまいという消極的な希望によるのだろう。願望だ。別に何か得たいわけではない。むしろ減らしたいのだ。余計な不安要素を排除しておき、せめて明日歩くであろう道を整備して歩きやすくしておこうという意思だ。願望でもないな。回避だ。余計なことをしないで済むようにという回避だ。いやどうだろう。もっと何か理由がある。することがないのだ。何をしていいか分からない。したいことなどない。楽しいと言えることは思いつかない。でも楽なことはしていたい。それがゆえに勉強という辛いものから目をそむけ、それよりは楽なことに逃げているのだ。楽しいことがあるならそのために頑張れるかもしれない。しかし俺は楽しいは知らず楽しか知らない。楽しいと楽では積極性が死ぬほど違う。楽しさとは何だったかももう分からない。めんどくさいこととの比較で楽なことを導きだす筋しか分からない。どうしようもないクズだ。楽しさを求める努力はわずかにしている。しているはずだ、だが見つからない。まだ探し足りないのだろうか。いや気づけていないだけか。どうなのか。存在していないのか。理解できていないのか。んなこと分からん。昔楽しかったゲームをやってみるが今はすぐ飽きる。すでに飽きている状態でちょっと気が向いたのでやったからだろうか。そもそも飽きていたという。そんなことは承知済みだ。大体のことに飽きている。つまらんのだ。楽しむ努力が足りないのか。そもそも楽しいってなんだ。わからん。迷走している気がする。いや迷走しているな。こうしてどんどん時間を消費していく。これは楽しいかもしれない。どうだろう。だが意味はない。目の前には見ることすら嫌気がする英文が書かれた教科書があるがどうするわけでもない。ただキーをたたくだけだ。もう嫌だぜ。治療法を知っている人がいるなら教えてほしい。もうわけが分からない。単純に考えてみようと思ったが長続きしない。自分で心に決め込もうとしたことは一日たてば一気に冷える。そんでどっかに消え失せる。どこに行くやら。思考の端に姿が見えるがもう触る気がしないのだ。自分の手あかがついてる考えなど使う気になれない。そもそも内にこもりすぎなんだろうか。もっと交流をすればいいのか?んなこたずっと前にも思ったさ。しばらく触れてはいなかったが。しかし会話だとかなんてのはそもそも体力をすこぶる消費する行為だ。好き好んでする奴が信じられない。もしかしてそっち側にはそれだけする価値のある楽しさがあるのだろうか。どうなのだろう。概観を教えてほしい。体感させていただきたい。できないだろうが。長いことしゃべくるだけで何が楽しい?自分が理解されていく感じ?寂しさが少なからず緩和されてく感じ?楽しい感じ?わかんねーって。そんなに思考の探り合いが楽しいか。俺はつかれたよそんなもん。いっそのこと会話するときなんて頭がパーになってくれりゃいいんだ。めんどくさい考慮なんぞしないでいられればいいんだ。人を傷つけたところでいに関さない心でいいんだ。そもそも傷つけてるかな、とかわざわざ思考する必要がないんだ。んなこた誰にも分からない。それでも考えてしまうのはなぜか?そうするのが快感なのか?だとしたら俺は相当のマゾだ。自分を傷つけて喜ぶ自傷馬鹿とおんなじじゃないか。失言か。どうでもいい。そんな理解できないもんを考える必要などないだろう。といいつつもやっぱりなあ。こうしためんどくさい行為を経てでも会話せざるを得ないんだろう俺は。みんながそうして苦しんでるってんなら喜んで同調しつつ繰り返すだろうが、そうしてるかなんてのもわかりゃしない。どんなにあがいても俺一人でやってんだろって気持ちは抜けない。他人の存在を信じきれない。いないんじゃね。ばかばかしい。なら好き勝手に生きればいいんだ。そうできない時点で何かを信じている。でも惰性かもしれないぞ。仕方なく生きちゃってるのかもしれないぞ。だとしてもそんな流れを断ち切るこたできない。どうでもいいんだもの。こうしているうちにもどっかでセックスしてるやつがいるのだろうか。しねよ。失言か。謝らないよ。聞いてないし。あーテストとかどうでもよくなってこない。思い出すと焦燥感は現われる。解消したいのかどうにかして取り組みたいのか自分でも分からない。ただそうだなやりたくないな。手をつけたくないな。たるいな。めんどいな。どうにもならんな。勉強することで俺の心が疲弊して擦り切れていく気がする。やりたくないことをすると自分が擦り切れて死にたくなりそうな気がする。言い訳なんだろうか。でもそうなんだ。やりたくないことはしなくていいとか誰かいってたな。でも自分が強情だとそういう言葉でも脳みそはほぐれないんだよ。なんだかなあ。わからん。五感と意識を自分でオンオフできたらよかろうに。そしたらどうやってオンするんだっての。しんでるじゃん。せいぜい寝ることしかできないか。あーだったらずっと眠っていたいよ。つくづくそういうときはこの世界は自分の妄想説を支持したくなるよ。他人がいないなら俺が何かする必要ないじゃん。俺の妄想なんだから。あーひとりでいるときはそういう説が頭を占めるけれど他人をいるとどうしてもそんな考えに基づいて生きてなどいられない。そりゃそうだ。他人といるときそれなら狂人だ。どうあっても他者を意識してしまうんだろう。ほんと困るぜ。常に正攻法で生きていきたいらしい俺は。いやなのに。自分が嫌だ。何ともうまくいかんもんだ。ここまででどれくらい書いたか見てみたがいい感じに気持ち悪い。いいゴミを書けた。やはり文量を出せると気持ちがいい。優越感がわき出てくる。こんな長文書けるやつはいないだろうなっていう優越感。すてき。ばかばかしいけどそう感じてしまうんだから仕方がない。取り繕っても満足はないし、んなこと書いたところで満足するでもない。でもできれば正直に書きたくもあったりでめんどくさい。葛藤こそ人間の本質というがあんまりややこしいのはどうかと思うぜ。3手ぐらいでクリアできる葛藤であってもらいたいものだ。なんでもかんでも。しかしどこでこれやめたもんか。参った。もっと書いて画面を埋め尽くしたいけど何か目的が変わっちゃう。そもそもそうしたかったのだろうか。何でもいいからアウトプットしたかったのだろうか。しかし時間は過ぎるのでますます月曜日のテストが不安になる。でも不安をそのままにするスキルを持っちゃってるのだ。当たって砕けてなお反省しないでいやいや生きるというスタイルが定着している。そんなのやめたいという葛藤もやらないとまずいという不安も手を着けずにいられる怠惰を知ってしまった。どうすればいいのだ。といいつつ何もしない姿勢をだ。これは仕方がない。このままでいこう。とあきらめられればいいのだがこの性格の特性上見かけ上の抗いはふつふつ出てきてしまう。実にややこしい。意志の力でも高めて頑張ってみる?(笑)知らんがな。もういいよ。諦めようぜ。でも惰性の慣性力は消えないんだよなあ。めっちゃだるいぜ。ああ、人間もメモリ拡張外付けHDD接続できればいいのに。うわーどうにもなんねー飯食って寝るなこのままだと・・・
http://anond.hatelabo.jp/20090201204817
学内・社内恋愛だって結局飲み会で仲良くなることが多いんだからそれだって合コンみたいなもんだ。
結婚という目的が最初に掲げられているかいないかの違いであって、本質的には違いないのでは?
入り口がそうだったってだけであって、中に入ってからは恋愛と同等だと思うけどな。
それも当人たちの行動しだいだけど。
当たり前だろ…。
余ったからわざわざ紹介所なんかに行くんだよ。
「俺は余りものなんかじゃない!」って思うなら、自由市場で嫁をgetしてくればいい。
「結婚式とかで、相談所で出会ったってこと隠しますよね。友達の紹介とかってなってて。」
「あはは、だって余りもの同士がくっつきましたなんて言いたくないじゃないですか、当然ですよ」
こう思っているのか・・
去年、日雇いの派遣で、トラックから部材を降ろすという仕事をやった。
一人現場で、自分ともう一人トラックの運転手しかいないという仕事なのだけれど、楽できる時は駐禁対策の補助要員として座ってるだけでいいし、人数が少ない分タイトにやろうと、濃密に仕事をする場合もある。ただ最悪なのは、ひどい人に当たった時。逃げ場がないから。
遅刻せずに現場について、現場から電話してちゃんと所在を明らかにして、いまにしても思うとこのときからちょっと怪しかったなと思わないでもない。
登場したのは小太りの坊主頭で、こうのしのしと下半身を押し出して歩くタイプ。
「わからないことあったらいきけよ」
とは言うものの、トラックの後部を開けてから無言。
この積んである部材のどっからどこまでを下ろすか、聞くのは俺の仕事?
どこまで下ろすんですかと聞くと。
「部材を下ろせ、やったことないのか」
とか言う。いやだからどっからどこまで。
最初に三カ所回るとは聞いていたから、下ろす物はそれぞれ違うんでしょと。
なんでも足を痛めているらしく。
「だから人を頼んだ」
そんなもんだから、もう最初から怒ったハチみたいに、ずっとぶんぶんぶんぶんしてる。
だから細心の注意を払ったと思う。
こっちも確かに非力だった。一人現場だと特に非力は目立つし、二人でギリギリ運べる重たいテーブルを階段で持ち上げるのは、すごく事故りそうで怖かったし、ドライバーも自分のペースでしか仕事をしなくて、ぐいぐい押したり引っ張ったり、容赦がない。足が痛いのもあって、全然こらえしょうもない感じ。
次の現場で。
「荷物の置き場所を聞いてこい」
そう言うので聞きにいって、でも置く部材(このときはテーブルだった)の量が分からなくて直接話してもらうようにしたら。
「置き場所聞いてこいっていったろ!」
と怒鳴る。
直接話をして問題解決してもらうのではだめらしい。
このときはプレハブの一階と二階で、ドライバーと業者さんにそれほど会話に大きな困難があったとは思えなかった。
それから荷物を搬入するために外した引き戸がうまく戻らなくて、直し方を見つけて直したら、ふいとそのまま一言もなく行ってしまう。
こっちは緊張しっぱなし。
事務机とか、一人で運べるだろみたいな態度で、ドライバーコンテナの奥から動く気配なし。
これで俺が怪我をしたら、派遣がかってにやったという言うつもりなのかなあ……。
で、トラックを荷下ろし場所にトラックを近づけるっていうんで。
「荷物押さえてろ」
っていうので、積んであるテーブルを押さえるのかと思って、コンテナが開きっぱなしのまま荷台に乗り込んで押さえていた。
電ドリが荷台を滑って、地面にどしゃん。
冷や汗が、どっ。
工事現場だったのだけど、職人さんが居る前でものすごい勢いで罵倒された。
どれぐらいの罵倒のされ方かというと。
「興奮しないでください」
と職人さんがたしなめるぐらい。
「でもほんとにこいつ使えないですから!」
なおも罵倒。
現場はそこで三カ所目だったのだけれど、終わってトラックに戻ってからも罵倒。
「そんなんがからいつまでも派遣で使えねえんだよ!」
「足が痛えから呼んだのに、意味ねぇんだよ!」
俺だけのせいかよ、と思わないでもなかった。
でも、すごく神妙にしてた。ミスはミスで、もっと力があれば問題は一つも起こらなかったのかも知れない。
だからずっと、申し訳ありませんって、すごく丁寧に言っていた。怖い人だったから。
ひとしきり罵倒が終わって、「作業票」というから用意していたのを渡して、サインをしてもらった。
それを手で直して、それからそっと扉を閉めた。
反省しきり、そう思って脱いでいたオーバーを着直して、さて帰るかと思ってた。
「ちょっと、おまえ!」
最初、なんか忘れ物でもしたのかと思った。
全然心当たりがなかったから。
しかもちょっとタイムラグがあったし。
「今の扉の閉め方はなんだ!」
ものすごく丁寧に閉めたのだ、こっちは。ぶんぶんぶんぶんしてるからそれはものすごく気を遣ったし、だからタオルなんてことまで覚えてる。
こう、肩で風を切るみたいに坊主頭がのしのし向かってくる。
こっちがぶちきれた。
「ちゃんと丁寧に扉、しめたろが!」
威厳もへったくれもないなあと。でも他にどういう言い方があったのか。「僕アルバイトぉぉお!」とかなるなる。なるよ。俺もなった。
この話は友達にさんざん愚痴として話してるけど、そこでぶち切れるとはきっと相手も思ってなかってぞ、と言う。そんなもんだろか。だとしたら、ドライバーの人は、なにをしたかったんだろか。
こっちも手でこう、ぽんとドライバーの胸を突き返した。まあ、さわったぐらいだ。
「手出したな? 手出したな?」
とかのたまう。手出したよ、うん。それ以上は派遣会社に言うてくれんか。
胸をついたけど、それであんた怪我でもしたんか?
仕事はいたらなかった。一生懸命やったけどいたらなかった、それは申し訳ない。それはすごく自分で自分を恥じている。申し訳ないと思う。一生懸命やったけど申し訳ないと思う。
それと扉の閉め方に言いがかりをつけるのと、どういう関係がある?
「そんなのは関係ない」
とか言う。じゃあ、なにが?
「態度が気にくわない」
絶句。
そんなん、責任もてん。態度が気にくわなければ、なにしてもいい?
この人のつとめる会社を調べてみた。
なんのこっちゃと。
怪我したドライバー出すぐらいなら、補助に正社員をつけろよと。
過ぎた話であります。
clapackが使えるようにならねえええええええええ
clapackの関数呼び出すとundefined referenceとか言われるぞおおおおおお
クソがああああああああああああああああああああああああ