疎外感を覚える。
もちろん、自分を偽って道化や善良を演じれば、ある程度はそこで受け入れてもらえる。
でも、それは自分の居場所じゃない。
でも、僕は彼とは違う。
彼は居場所を探し続けて失敗した。僕は居場所を探すことをそもそも諦めた。
代わりに、僕は「よそ者」になることを選択した。
それは身の回りのモノ全てを客観的に説明しようとする。
それは時に冷徹なまでにモノを他人事として受け止めさせる。
それは居場所の無い僕に「よそ者」として生きる道を与えてくれる。
だから僕は社会学を学んでいる。
資本主義に代わるシステムはまだ誰も構築できていないので具体的なことを言えないのがくやしいのですが、少なくとも真冬に寝るところもなく投げ出される人が出るようなシステムが健全だとはいまいち思えず……。
こういうとき資本主義がどうとかよく言われるが、話を大きくしすぎじゃないかと。資本主義じゃない北朝鮮だって冬の寒さや飢えで苦しむ人はいるわけだし、そもそも資本主義と呼ばれる国の間でも時代によってもそれぞれ社会システムは違うわけで何でもかんでも資本主義でひとくくりにしすぎな気もする。資本主義にかわるものがないとしても現状の社会を改善できないということにはならないはず。
中国とインドで半分以上になるわけでそれだけでも一部とはいえないんじゃなかろうか。それ以外でも中東も東南アジアもロシアや南米も欧米先進国や日本より成長率高いことから考えても世界レベルでの格差は縮まってるはず。
何もしない人が衣食住確保できるシステムが健全かどうか、俺は知らん
だから、なんて言うか、俺が住居を失う事があったら少しでも暖かい所に行こうと思う
障害や病気の人は働けないってのはもっともだけど、そういう人は縁者が世話するモンなのかなぁ。縁者にとってはいいことなんもないけど
国、国ってなんだろうなぁ
難しい事はわかんないけど、海外の恵まれない人達を無償治療するのに国の金使うより、現状では国内のピンチな同胞の為にその予算を使った方がいいんじゃね?とか思う
海外を助けるのは自国に余裕がある時だけネ。みたいな割り切りができないのが国っていうデカいシステムの悪い所じゃないかしらと
今削るべきは、何やっても特に感謝されたりしない他国への支援で、それを国内の同じ国籍を持った人達へ与えるフェイズじゃないかしらと、勝手に思う
別に全然勘違いしてないが?
それとも業界団体労働組合宗教団体の支持者はろくに考えてない人ばかりだけど、無党派はマスコミの報道やブームに流されずに考えて投票してる人ばかりだといいたいのか?
業界団体・労働組合・宗教団体の支持者はろくに考えてない馬鹿ばっかりだな。
「無党派」層とやらはどちらかといえばマスコミの報道やブームに『流される馬鹿』ばっかりじゃねーか?
違うのか?
少なくとも地元で選挙戦たたかってる議員の話を生で聞くくらいのことしないで「考えてる」って言えんのか?
それによく考えた上で棄権する人だっているはずだ。
でた。
オレはこれがイチバンだめだと思ってる考え方だ。「良心的棄権」論な。
こういうこと言う奴は、口を揃えて言うよな。「投票すべき政治家がいない/政党がない」「マスコミの情報はあてにならない」「不完全な情報で一票を投じることは踊らされて誰かの利益になるんじゃないか」「だから投票しないことがオレの良心に基づく唯一の選択だ」とな。
アホか。
まず「すべき政治家がいない、政党がない」というなら、立候補すべきだ。自分が一票を委ねるべき政治家が本当にいないと思うなら。それが議会制(代表制)民主主義における原則だ。だから基本的に立候補は広く開かれている。けど、まあそんなのはダダこねてるだけだろう?要は。そんなこと言う奴で、本当にいかなる候補者とも異なる画期的で素晴らしい政策を持ってる奴というのは、外山恒一以外では見たことがないな。まあ彼は立候補するわけで、その辺筋を通しているのは偉いと思う。まあ彼の場合は「選挙」という制度を利用して街宣活動の合法化をはかってるという部分もあるわけだが、その程度の小悪は選挙制度を尊重する彼の善の前ではかすむ。
次に「情報が不完全」云々の言い訳だが、「投票しない」なら無罪だと本気で思ってるから批判してるんだ。「投票しない」じゃなくて「棄権する」だ。それは一つの意志行動だ。それも「選挙を否定する」という意志行動だ。棄権することで「選挙を否定する」という選択と主張をしていることを自覚しろ、と、オレはただそう言ってるだけだ。そこに強く反発するのは、本当のところ自分でも分かっているからなんじゃないのか。自分らのやってることが反社会的な行動だということを。
投票しないこと、『組織票を有利にすることを否定』するのは、別に創価憎しという話じゃない。宗教団体に限らず労組系でもそうだし、そもそも自民についてもそれは問題な点だ。結局の所人員をかけて、選挙カーでやたら名前だけ連呼したり忙しい時間に電話かけまくるといった迷惑なだけの行為を『選挙活動』とかみなしてる馬鹿馬鹿しい風景全てが、とにかくオレは嫌で嫌で仕方ないんだ。考えずに投票する奴は勿論論外にダメだ。だが、考えずに投票しちゃう奴に「投票するな」というのは無理だ(そりゃ選挙妨害だし他人の権利を否定することになるからな)。だからせめて投票出来る奴は考えて投票しろ、と言ってる。一票の価値を相対的に下げるためにも、だ。
「迷惑だから投票しない」じゃない。「投票しないことこそが迷惑」なんだ。
いいか、無人島で考えてみるぞ。
漂着した10人がみんなで「選挙でリーダー決めてまとまって動こうぜ」と決めました。誰も特別すごい人がいない中で、でも誰か代表を決めないと何も決まらないと思ったからです。怪しい二人組が「自分たちは別にやらせて貰いたい」と言いましたが、『固まっていないとみんな助からない、だからまとまっていなくちゃ』という意見が多数を占めて、選挙することになったのです。
ところが一人が言いました「オレ今日熱っぽいし、考えるのメンドくせー、つーか別に誰がリーダーでもいいすわ」。周囲は、まあこういう奴だし仕方ないなと思いつつ9人の投票でリーダーを決めました。
ところが、彼は一人部屋にこもってグチグチ言っていたのです。「○○は暗いし××は顔が悪い、□□はリーダーって器じゃねーよなー」…それを聞いた仲間が言いました。「んじゃお前がリーダーやれって」彼は言います「それは無理」。
そのうち、彼は周りに言い始めます。「オレもオレなりに考えて投票とかしないわけよ。」それに賛同する人が一人、二人、と出始め、あるときの選挙は投票したのが4人になりました。Aに1票Bに1票、そしてたった二人で周囲と交わらなかった二人組の片方が二票を集めてリーダーになりました。彼は「俺たち二人は別でやる」案を主張し始めました。他の人は「なんだそれ」「つーか、こんな選挙意味ねーだろ!」とブチキレました。「だって投票したの4人だけだぜ!こいつら二人が組めばどーしよーもねーだろ。つーか投票しねえお前ら、何考えてんのよ?!」最初に投票をやめた彼を含めて、誰も何も言いません。『誰かなんとかしてくれるだろう』と思っていたから。
…結果、集団はバラバラになり、あっという間に全員遭難してしまいました。
(おしまい)
なあ、この話を読んで、それでも「良心的投票拒否」なんていうおとぎ話が存在しうると思うかい?
というわけで、関係大ありだ。
また有村かを使い始めたのが本人だからなあ。
俺も嫌だなと思う、筋も違ってると思うし
けど止めようがないからな
追記 もしかして固定IDって固定IDを明らかにする奴が嫌ってことじゃなくて固定IDの話題が出てくること自体が嫌ってことか?
それなら俺は全然気にならないや
挙げられた例では学校にある書類で崩されてしまうけど
やはりなんらかの事実で崩れてしまうが社会ではそれは往々にしてありえる
サラリーマンの希薄な名刺交換において過去に挨拶したか微妙な時に相手から初めましてと言われ記憶を捻じ曲げ初めてだったことにして話が進む
人を殺す方法を考えた結果
それは完全犯罪をして自分と対象者の縁を切ったのと一緒だから、主観的に見て殺す事と一緒だと思った
引っ越せばいい
見当違いというか、あの文章には意味が無いような。特に前半
業界団体労働組合宗教団体の支持者はろくに考えてない人ばかりだけど、無党派はマスコミの報道やブームに流されずに考えて投票してる人ばかりだといいたいのか?
たぶんそうなんだと思う。変な優越感に浸ってるだけだと思うよあの子は
他人と共有した時間は、それぞれの記憶にある限り過去として存在する。
共有した人間が皆その記憶を失ったとき、過去は失われたといっていいだろう。
つまり、自分は覚えてるけど相手はすっかり忘れている、といった過去がある場合、自分が「本当に」忘れることはできないとしても忘れた「つもり」になって、文字に書いたりしないのはもちろん思い出すことさえもしなければ形式的に過去は消すことができる。
これを一歩進めて考えてみると、誰かと共有した過去だけでなく、その「誰か」という人間に対しても同じような発想が適用できるのではないだろうか。
どういうことかというと、小学校のある同級生のことを僕は覚えているが相手は僕のことを忘れてしまっている、という状況において、僕もその相手のことを今後知らないふりを対外的に、そして自分自身に対しても暗示的に行うことによって、その人との同級生としての過去を消すことができるんじゃないだろうか。という話。
資本主義に代わるシステムはまだ誰も構築できていないので具体的なことを言えないのがくやしいのですが、少なくとも真冬に寝るところもなく投げ出される人が出るようなシステムが健全だとはいまいち思えず……。
グローバリズムの結果として世界の経済格差が縮まった……本当にそうなんでしょうかね?
一部のアジアとインドぐらいしかその現象は当てはまらないような気がするのですが。
個々人の経済格差は明らかに悪化していますし。
労働者にもいろいろな人と立場があると思うので、一概に悲惨とか強欲とかは言えないと思いますが、要はこれです。
「せめて人間らしく」。
それって本当なのかね
俺の周りでいうと、そんな人いなかった
勉強ができる人はみんなに好かれてたから。
でもその馬鹿にされ方も、嫌な感じではなく、ちょっとからかう程度だけどね。
で、はれブされてる自称頭のいい人の文章読んでて、思った
「あーこんなやつ隣にいたら、むかつくだろうな」って
俺のクラスの頭の良い子が何で好かれてたかって考えたんだけど
もうね、理由ってこれ以上でもこれ以下でもないと思うよ。
べつに、いじめられる方に問題があるとはいわないけど
ひろゆ子消しちゃったね。
こういうフレーズを臆面もなく言えることが気持ち悪いし、これ使えるな!と思ってネタのストックにつっこんだ一人のおっさんも同じ。
というか小遣い
離婚後、実家に帰り祖母の家に行くと決まって小遣いを祖母が手渡してくる
本来なら逆に僕が何かをすべきなのだが離れているのでなかなか何かをすることが出来ない
一番いいのはひ孫をあわせてやれることなのだろうが居場所さえ分からない次第
なのでせめてもと思い祖母に顔を見せに行く
それだけのことなのだけどそれでも喜んでくれればと思うので行くだけなのだ
じゃぁ受取るなよと思われるのかもしれないけど望んでなくても提供してくれようとする好意を受取り喜ぶことで祖母も喜んでくれたらと思ったりする
なんだかんだいえ貰ったお金を使っているのだから
と言われたら反論できない
しても「でも使ってるよね」と言われるだけだから
それでも老いさらばえていく祖母から受取る時の虚しさ程堪えるものはない