2008-12-28

同窓会に呼ばれなかった

過去記憶の中にのみ存在するものである。

他人と共有した時間は、それぞれの記憶にある限り過去として存在する。

共有した人間が皆その記憶を失ったとき、過去は失われたといっていいだろう。

つまり、自分は覚えてるけど相手はすっかり忘れている、といった過去がある場合、自分が「本当に」忘れることはできないとしても忘れた「つもり」になって、文字に書いたりしないのはもちろん思い出すことさえもしなければ形式的に過去は消すことができる。

これを一歩進めて考えてみると、誰かと共有した過去だけでなく、その「誰か」という人間に対しても同じような発想が適用できるのではないだろうか。

どういうことかというと、小学校のある同級生のことを僕は覚えているが相手は僕のことを忘れてしまっている、という状況において、僕もその相手のことを今後知らないふりを対外的に、そして自分自身に対しても暗示的に行うことによって、その人との同級生としての過去を消すことができるんじゃないだろうか。という話。

  • 人を殺す方法を考えた結果 自分が引っ越して二度と対象者と関わらなければ それは完全犯罪をして自分と対象者の縁を切ったのと一緒だから、主観的に見て殺す事と一緒だと思った 引...

  • 挙げられた例では学校にある書類で崩されてしまうけど やはりなんらかの事実で崩れてしまうが社会ではそれは往々にしてありえる サラリーマンの希薄な名刺交換において過去に挨拶し...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん