どちらかというと注意すべきはこっちなんじゃない?
毎日新聞英字サイトコラムWaiWaiが断り書きをしていた件について少し - 法華狼の日記
飽くまでも三面記事として、ニュースとは違いますよ、と断ってバカニュースを紹介してただけなのに、そこに物凄い勢いでキレ気味の人々が押し寄せるのはちょっとホラーを感じる。抗議を受けた後、運動が盛り上がってからの毎日の対応が褒められたものでないことには同意するのだけど、だからと言って売日・売国なんて扱いをするのはとても正気の沙汰と思えない。ほとんど陰謀論の世界だよ。こういう批判もやっぱり「切り崩し」にしか見えないのかな・・・。
もちろん、毎日側も、取材対象に対して何度も似たようなレッテル貼り・容赦のない報道を行ってきた訳だけど、同じやり方でwebが毎日に復讐しても全然喜べやしない。それって結局、立場が変わっただけで、そういうデマゴーグ・印象操作を通じて因縁をつける手法は何ら変わるところが無いわけだから。
もしそういう手法がこれからも変わらずに続くなら、今度は毎日の代わりにwebが暴君として君臨するだけでしょ?それってやっぱりまずいんじゃないの。
この話題は、個人的には自分のブログに書くのはちょっと気が引けるので、増田を使わせていただきます。もーしわけない。
なるべく分かる人にはばれるよう、普段の文体で書いてみる。
実はおいらには恋人「らしき」お相手が居ます。でもその馴れ初めって言うのが世間体的に言えばとてもじゃないけど誉められた物じゃあないのですよ。
おいらには友達が居ました。彼女は、その友達の奥さんでした。
ある日、その友達がうつ病になりました。実際のところ、彼らが結婚する前から、彼にはそういう気があったというか、その手のお薬大好きだったというか、南条あやシンパだったというか、まぁそんな感じだったのですが、いい加減冗談ではすまない状態になってきてしまって、アームカットは繰り返すわブログでは構ってちゃんになるわ突然死ぬとか言い出して夜中に家を飛び出すわで結構大変だったんです。とくに奥さんが。
で、おいらとしては、当時はやっぱり親友だと思っていたし、同業者でもあったしで、助けたいと思ったのですよ。それで、腐れ縁の仲間内ってのが他にも数名いたんだけど、実質おいらが中心に、何かしら理由をつけて時々お見舞いに行ったり、電話とかで相談に乗ったり、「死にたいようわーん」な電話を受けて話を聞いたりとかしていたわけだ。
ところがそうやって行動に出たのが仇となったと言うべきか、いや、仇だなんておいらは思いたくないんだけど、まぁよーするに彼女と関係を持ってしまった。おいらはそのとき少なからず自分の弱さと芯の無さを恥じたし、その思いは今でも引きずっていて、暗い影を落としている。彼女も彼女で、彼からも彼の家族からも理不尽なほどに頼られる日々に疲弊し、外部に救いを求めてしまっていた面はあったとはいえ、そういう状況に至ってしまったことをやっぱり恥じていたし、彼への不誠実を今でも気に病んでいる。絶対に許されないことをしたという思いで僕らは通じているし、その思いで通じているからこそ、お互いに次のステップへ踏み出せずに時を過ごしている、っていう面もある。
ただ、あのときおいらが行動を起こさなかった場合に、彼女がどうなっていたのか、っていうのは、想像するととても恐ろしくて、おぞましくて、それだけはどうしても避けなきゃならなかった。なにより、あいつが愛するかけがえのない存在を、あいつ自身が苦しめているという状況を傍観できるほど、おいらはできた人間じゃなかったんだ。彼女はあのとき明らかに介護うつになっていたし、今でも心療内科に通って薬を服用し続けている。お酒はなるべく控えるように言っているし、実際控えていらっさるんだけど、時々仲間内で飲みに行って図らずも飲み過ぎてしまったりすると、帰り道に突然過呼吸を起こして泣き叫びながら、近くを通る車の音とかに過剰反応して「××くん死なないでーっ、死んじゃ嫌ぁーっ」とか叫んだり、「おねがい●●、××くん助けて、助けて、、、」とか懇願してきたりするんだ (もちろん記憶は残ってないけど)。彼女の背負う十字架は、きっとおいらの背負うそれとは比較にならないほど重く鋭くて、それを思うとそれはそれで、おいらも辛くなってくる。
その友達とはここ 2年ほど交流どころかお互いに音信もなくて、実際彼がその後どうなったかはおいらは知らない。病気が完治せずとも、多少は和らいで、あるいは和らがなくとも病気とうまく付き合いながら、それでも生き続けてくれていることをおいらは願う。そんなおいらは、自分でも反吐が出るほど、つくづく身勝手だ。許して欲しいなんてこれっぽっちも思わないし、むしろいつおいらのことを殺しに来ても、仕方がないんじゃないかとすら思う。
で、そんな経験をしてしまったおいらとしては、ナンパ容認派の論に反発する代表的な指摘としての、「相手のあることなんだから、誠意を持って接するべきだ」とする論については、実に耳が痛い限りで、事実として起こっていることと、その出来事に参加する人間の力関係を勘案した結果、友人を裏切って悪人になり切るという選択しかできなかったおいらに言わせれば、理想論だよな、としか思えないんだ。一言に相手と言ったって、慕うべき異性ただ一人じゃないんだぜ。あなたに掛け替えのない人ができたとして、その人にはすでに慕うべき別の人がいるのかも知れないし、それが居ないとしても、その人には親兄弟も居れば友人も居るだろう。異性だが恋人ではない、しかし相談相手だとか仕事仲間だとかと言うことで絶対に切り離せない間柄の人、というのもいるかも知れない (ソウルメイトなんて陳腐な言葉じゃ語り尽くせないような)。あるいは逆に、彼 (彼女) を恨む人間だっているかも知れないし、血縁関係の中でも君の常識とはかけ離れた常識で日々の活動が回っているかも知れない。親同士が折り合えない場合だってあり得るし、君の両親が君の大切な人を苦しめることだってあり得るんだ。誰かと関係を持つっていうことは、すなわちそういういろんな人との二次的な関係をも受け入れる、っていうことだ。じゃあそのすべての人々に対して、誰もが全く困らないように配慮しきることが必要なのか? それのみを以て「誠意」と評されるべきなのか?
もちろん、理想は「みんな仲良く」かもしれないな。おいらはそれを強要する学校教育を敵視する。どうやったって仲良くなれない相手はいる。どうやっても仲良くなりようのない状況はある。でもそれだって全部受け入れた上で、それでも行動しないことには、愛しい相手と結ばれるどころか、自分の意志を貫くことすら、できやしないんじゃないのか?
だからといって、じゃあ女をモノとしか思っていないナンパ DQN 野郎が許せるのかって言われりゃあ、そりゃあまあ彼らが本当にそういう精神性で動いているならおいらだって軽蔑するけれども、実際問題としてナンパしてるやつらがみんながみんなそんな非人間なのかと言われると、おいらとしては疑問を抱かざるを得ない。おいらの友人にも軟派野郎は居るけんども (いっしょにやろうぜって誘われたこともある、ノらなかったけど)、彼がそのときそのときで付き合っていた女性に対する誠意ってのは尋常じゃなかったし、確かに端から見れば女とっかえひっかえなんだけど、誰かとの関係が失敗に終わる度に、割と長い時間を一人の時間に割いては、自分の至らない部分についてしっかりと直視してた。それもただ反省するだけじゃなくて、そういう物の一つ一つに対して、割り切れる物と割り切れない物とをしっかり区別もしていた。
こういう人はどうなるかって言うと、人とのつきあい方がどんどんうまくなっていくんだ。そして誰に対しても臆せず接せられるようになる。人生経験がものすごく豊富になる。だから人間関係で困っている人に対しても、ものすごく適切にアドバイスできるようになる。
そりゃあ、若い内は無茶もするだろう。考え至らないところが多いから、結果論として人を人として見れていなかった部分ってのが仇になる。でもそうやって痛い目見た結果として、めちゃめちゃ懐の大きい大人ができあがる。そういう人間に、出会いを求めることの大切さを説かれちゃったりすると、偶発的な出会いに由来する付き合い以外を否定したがる純情ボーヤ的には、返せる言葉を失っちゃうんだ。
だから、誤解を承知でこれだけは言っておきたい。
出会いを求めること自体は、悪い事じゃない。むしろとてもいいことだ。
誠意とかは「後付け」でいい。割とそれで十分だ。
おいらはどちらの精神性がより正しいのかを議論するのはナンセンスだと思う。
もちろん、自身に築いてしまった倫理観を打ち崩すのは簡単な事じゃないし、それを超えて向こう側にいる人と打ち解けあえって言うのも無理な話だ。
ただ、この相容れない精神性が、利害を共有して組んだときには、割と大きな力になるんじゃないかな、と言うのはなんとなーく妄想する。
純情無垢で geek な君は、彼らに自分らが作った商品のすばらしさを説得する練習をしておくといいかもしれない。
走り書きだから誤字とかありそうな気がするし、あとでちょくちょく修正加えるかもー。
いやいや
「俺、実は○○子のことが好きなんだ」
「エッ・・・(あの顔も性格も悪いデブスの○○子のことが????)」
数ヶ月後
「うまくいったよ、付き合うことになった。増田のおかげだ、ありがとう」
とか
「私はブスだから彼氏いない暦年齢ですよーー」
がデートしているのを目撃したりとか
(彼氏も身近だったので隠していた)
とか
(休出避けるための言い訳だろ、どうせお気に入りのキャラだろ)
が実在することが判明したり
とか日常茶飯事なので
その詭弁を許す攻撃側の脇が甘いって事かと。
これが言われる背景は二つあると思う。
『これは精神が自らを、しかも永久に、投げ込んでしまう宿命である(何となれば、宿命は永遠のものだから)。賭博者の地獄は、それから決して医されまいとする決心である。凡ての情念、凡ての犯罪について同じことが言える。煉獄は自己の中に何らかの期待を前提とする悔悟である。しかしたとえわたくしが悔い改めるために一千の世紀を持っているとしても、私は自分が同一であり、それをどうすることもできないと誓うことができる。この決心は傲慢である。欲しようと欲しないという憤激の中に人はこの決心そのものを選び、それを護ることを誓うのである。凡ての人はその最初の衝動において絶望する方を好むのである。しかしその時思想は自分自身に対する恐れに捉われる。それは死を欲しながらそれができないことであり、それが永遠を意味する。凡ての地獄に落ちた人は赦免を拒否する。一つの争論を見るがよい。人間が考え直すことができないでいるのを見るがよい。考え直すことは自分を赦すことである。』 - アラン - 定義集
つまり、僕は自分が地獄にいると思うのだけれど、それを自分は出て行くことを拒否している、ということ?そしてしかもそこに入ったらもう二度と出てこられないといこと?自分を赦せないのは自分だけ?他の人だって、自分を赦せないから、僕らはこんなにさびしい人生を生きている気がする。
してるのかな?
「自分は非モテである」というアイデンティティに依存してるんだろう。
だから非モテから脱出することは自らのアイデンティティを否定することに等しくて、
脱出するための方法や事例を示す人間を敵とみなすのだろう。
救い様が無いってこういうことを言うんだね。
擁護するつもりなんか無くてただの感想だったんだけどな。変わったもんだなぁ、って。
で、そういう空気が形成されてるんだからそれに従ったらいいと思う。てか従わざるを得ないじゃん?
マナーは守ればいいと思うよ?でも路上でタバコ吸ってる→即、頭おかしいってのはちょっとショートしてる気もするけど。
ま、でもある種の嫌悪感ってさ、主張内容ではなくて絡み方とか主張の仕方に対して生じるんだと思うね
元増田っすけど
「waiwaiがやってきたことの是非や真偽に触れる」のが「waiwai」批判者の誠実さ、だとすると、
「waiwai批判者がやってきたことの是非や真偽に触れる」のが「waiwai批判者」批判の誠実さだよね。
その二つが同レベルだとは思えないっすよ。
それとも「犯罪者Aに対して行われるBの犯罪的行為」は、「Aの犯罪性ゆえに(Bの犯罪性は)免責される」とでも?
むしろ逆だと思うよ。Aをある点において批判しようという人間は、そもそも自分がAと同じような罪を犯すことについて人一倍謙虚でなくてはならない、とね。それができない人間には、そもそも対象を批判する資格がない。汝らのうちまず罪無き者が石もて打てですよ。waiwaiを批判する人は、捏造や扇動的な手法をこそもっとも自重しなければならなかったはずなんだよ。
どーしよーもなくブサイクな女とかいなかったのか!
いっぱいいるよ
でも、彼氏のいたことのないどーしよーもなくブサイクな女は見たことがないな
不倫、二股のキープの方じゃ彼氏じゃないって言うんならもう少し増えるかも知れないけどね。
美人で自称彼氏がいたことがない人は連日のように告白されているし
想像も付かないね
まだ付き合ってせいぜい数ヶ月か。
これから色々あると思うけど、そんとき同じこと言えるかが見物だ。
おそらく解決不可能な問題が発生すると思うけど頑張ってくれ。
サブカルと自称するならスタボイやQJやInvitationくらい読みなよ。その手の雑誌が大作映画合わせで組むアニメ特集で頻出する固有名詞ばっかりじゃないか、あのリスト。どんだけヌルいんだ、キミは。
元のリストのエントリを書いた元増田みたいなやつが自称オタクで、このエントリ主みたいなのが自称サブカルとか、最近の若者を取り巻く文化状況ってやつはこんなにも寒いのか?
30にしてなんというピュアさ。
横レスだが、30になるまで童貞守って魔法使いになって、しかも「媚びること」に抵抗を覚えてたら立派な非モテでしょ。
でも、それがこういうエピソードで彼女ができた。いい話じゃん。
それとも何、「非モテ」は未来永劫彼女ができないものなの?「彼女なんてのは都市伝説です」派?それはちょっとストイック過ぎないか?
絵画の受け渡しが行われたとは書いてないから、Cが代金としてAに80万円払っただけで、絵はCの手元に渡っていないということじゃないの?
うおおおお!
なるほど。そーゆー意味か。
それならCが金返せというのも少し分かるよ。
聞いてみるものだ。
wikiで見るだけでも、結構条例はあるね。
そのほとんどは、環境美化とかに絡めた条例になってる。
(そもそも、歩きタバコを迷惑行為と位置付けた条例もある)
ずっと言い続けたのに吸殻が減らなかったのだから仕方がなかろうな。
吸殻を掃除するのは、捨てた奴じゃないし。
道端でパン食って、その場でビニールを捨ててることと、大差ないわけなんだが。
なんで擁護するのか意味不明。
やっぱ、女にモテたい!って内容のエントリーが伸びるのは、それだけ皆必死なんだろうけどさ。
今俺は、とりあえず相手がいるからいいけど、いないときは同じ心境だった。マジで、色々試行錯誤した。
恋愛教則本とか買って、必死にその通り実行した。その本の作者がアメリカ人で、あっちの文化とこっちの文化ではズレがあるような内容の部分でも構わず実行した。
それが実ったかどうかは良く分からんけど、なんとか彼女は出来た。
とにかく言えることは、とにかく行動するしかないってことじゃねぇかな。どーしよーもなくダセェ奴は、まず服装から。次に髪型とか眉毛とか整えてそれなりにフツーの見た目に戻すことから始めろ。
やっぱ時代によって、フツーの格好ってものがある。それをうまく取り入れないと女から「あいつは駄目だな」って烙印を押されてしまう。
結局は、人間なんて見た目から入っていくもんだ。その見た目で躓くと後で取り返すのは、かなり厳しい。就職の面接だって一緒だ。第一印象が大事だとどこの転職サイトでも言ってる。
第一印象が大事なワケは、それ以外に情報が無いからだ。まだ話したこともない、この人がどんな人なのかまだ分からない。だからとりあえず判断できる見た目からという流れになるんだ。
どんな不細工だろうが、ある程度着飾ればそれなりにはなる。太ってる?甘えんな、痩せろ。ここで言ってることはとりあえず中肉中背の奴に限ってだ。
とりあえず、見た目がまともになったら、モテる友達を頼れ。モテる友達ってのは、それだけ回りに女がいる。だから合コンや紹介のチャンスも多い。コバンザメみたいなやり方だが、ナンパみたいな精神的ストレスはある程度軽減される。それにモテる友達っていうバックボーンがあるから、女の方もある程度こっちに対して安心をしている。
何?モテる友達がいない?今まで、ヲタクみたいな連中とばっか集まってたから、そんなイケメングループの友達なんかいないだって!?
だったら一人で頑張るしかないな。つーか今からイケメンの友達を作るしかない。どうやって?とりあえず、週末のクラブとかそーゆー場所に行ってみろ。カッコよさげな人いるから。
「クラブとか無理!」とかは無しね。俺なんか出会い求めて毎週一人で行ってたんだから。もちろん最初は緊張しまくったから店入るまでに、2時間ぐらい店の前をウロウロしたりしたけど、徐々になれてくから。
とりあえず、カウンターのかっこいい兄ちゃんと知り合いになれたし、女にも逆ナンされてお持ち帰りした事もあった。あーゆー場所ってなんか酒のんでて皆良い気分だからな。
うだうだ書いたけど、行動したらそれだけ結果としてやってきたことが残る。お洒落するために服買ったり、髪形整えたりするのは形として残る。以前の自分とは違う形になってる。んで、だんだん精神的にも徐々に自信がついていく。
ちょっとづつ自信をつけていって、クラブとかに行ったりも出来る。だからいきなり彼女はできるもんじゃない。それなりのステップが必要なんだよ。とりあえず彼女つくるまでのステップは10や20なんてもんじゃない。細かく分ければ1000ぐらいのステップがあるもんだと考えて行動しろ。
何事もうまくいくという自信がもてるまで、動かない生き方をするより、当って砕けろで失敗しながら生きていくほうがはるかに成長できる。失敗はやっぱり嫌なもんだ。ストレスになったりする。だけど、同時に貴重な経験が出来る。知ってると知らないとでは、次に動くときに大きな差が出る。
http://anond.hatelabo.jp/20080725060736
↑で言及されてる「彼女ほしい人」の気持ちは分かるよ。
俺も「恋人は欲しい」「でも、そのために女性に媚びて、自分を変えるなんてなにかおかしい」と思っていた。
自分は典型的なオタ顔であったので、大人になるまでもずっとそのことで嘲笑されてきた。
そうした嘲笑を受けながらずっと生きていると、コンプレックスと同時に、「意地」も生まれる。少なくとも自分はそうだった。
奴らが否定する自分を貫いてやる、みたいな。
だから、自分を曲げるということに強い抵抗を感じていた。
あまりうまく言えないが、自分の心象を簡単に説明するとそんな感じ。
まあでも、今のままの自分で、彼女なんてそうそうできるわけがない、とは思っていた。
そんな感じでついに30歳を迎えようとしていた今年。
彼女に出会った。
詳細は書かないが、とにかく俺は彼女を好きになった。だから思いのたけをおもいきりぶつけた。彼女はその思いを受け止めてくれた。俺たちは付き合うことになった。
俺がやったことは、自分の思いを正直に伝えることだけだった。結局大事なのはそのことだけではないのか?
元増田は「恋人欲しいけどそのために頑張りたくもない」と彼は思っている、というけど、
その「頑張り」をどこに持っていくか、という話で、
「自分が恋人にしたいのはこの人だ!」と思ったときに、全力でがんばればいいんじゃないの?
もちろん、そういう女性と出会えるかどうか、という問題はある。俺は運がよかった。
元増田のいう「頑張り」とはつまり「出会い」の可能性を高めるために、自分を磨け、ということだろうし、それはそれで分からないでもない。みんな運まかせでいい女性を待て、とはさすがに俺もいえない。でも運がよければ、そのときに「頑張れば」俺みたいな展開はありうるのだ。考え方としては「アリ」ではないだろうか。
ところで、彼女ができて。
自分の考えも、変わってきた。彼女に嫌われたくないと思うし、だから外見にも多少は気をつかうようになった。媚びる、という表現は少し抵抗があるが、
彼女のために、自分を変えることも悪くはないと思うようになっている。
人間の意地なんて、案外簡単なことで消え去ってしまうものですね。前は自分に課せられた重い枷のように感じてたのだけどね。