来月ぐらいに都内へ引っ越すんだけど、部屋探しに手間取ってる。
情報が多すぎるんじゃー!
不動産サイトなんて普段巡らないから、サイトの善し悪しがわかんない。
引っ越し自体はひとり暮らしを始めてから数回やってるので慣れてきてるけど、部屋探しは運頼り。
今度は広めの部屋で家賃も高めを探しているので、外したらかなり落ち込むのでかなり慎重気味。
だから、サイト巡りに戸惑ってるのかも。
米澤穂信は重くて好きじゃないって人多いと思うんですが(というか自分)、「春季限定いちごタルト事件」は
甘いものが大好きな女子高生と、適当に生きていきたい男子高校生の青春甘ずっぱミステリーです。
表紙からしてかわいいので、書店で見てみて下さい。
穴だらけの論理で無茶な主張をすべきではない。自分の主張の根拠を挙げることができないならば主張を取り下げるべきだ。
新卒採用が機会の平等を阻害していると言うならまだわかるが、中途採用も活発だと聞く。
つまり十分とはいえないまでも、機会の平等は以前より改善されつつあるとは言えるのだろう。
全人類にすばらしい教育を施せたらいいけど、それは難しい。根本的に解決することも難しい。
そこで出てくるのが次善の策となるのだが、それは君が主張する「理論上の手段」よりも理論上劣ることは
やむを得ないのではないか。「他に方法がない」とはそういう意味である。
ところで機会を平等といっても、どこまで平等に与えればいいのだろう。
政府がどうにかする段階のことではなくて、現場において、具体的に何がどのように
改善されるか見えてこない。もう少し具体的に論じてみてはどうだろう。いわば君の理想郷だな。
そのような政治的判断は別問題だと述べただろうが。そもそも、君は「自己責任」の名のもとに問題自体を否定したわけで、その君が問題解決の手法について論じるのは自己矛盾もよいところだ。
情報の偏在については問題があるといっているので、否定はしていない。
金銭的な問題についても、東大でも博士課程は無料になるなど地道な改革は進んでいるが、
昔のように私財をなげうつような人が出てこないか、上を伸ばすのもいいけど、
底上げしたほうがもっといいのではないか、と夢想はする。
何が言いたいのかさっぱりわからん。君は俺の話を理解できているのか?
具体的には、情報のフィルタリング(君は東大にいけない、女は勉強しても無駄という偏見)などの意識改革と、
金銭面での改善が必要と言うことだろう。
未成年に情報を与えるのは、教師か親であって、彼らが情報弱者でなくすことが先決ではあるが、
親教師の意識改革だけでなく、子供が親や教師以外の別チャンネルからも情報を得られる環境を整える。
例えば、郷土で成功した人をモデルとして使って公演などをすることも一つだろうし、
君自身が成功も失敗も含めて有益な情報を提供すると、提案に説得力が増すので是非おすすめする。
「○○は問題だ」と主張したことについて「じゃあお前が問題を解決すればいいじゃないか」なんて馬鹿なこといったら中学生でもぶっ飛ばされるぞ
機会を与えてくれといっても、どういう機会をどのように与えればイメージが湧かない。
そもそも情報が少ないのか、情報へのアクセス権がないことなのか、
情報へのアクセス権は確保されているが、それが子供の行動へ繋がっていかないのか。
親と子個別に論じてみてはどうだろう。
勉強という抽象的なことではわかりにくいから、13歳のハローワークという試みがある。
これも立派な試みだろうとは思うが、仕事の実像を見せることと、そこへどうやってたどり着くかの間には
まだまだギャップがあるように見える。
また杉並区の和田中学校で行われていることも、昔の寺子屋に近いものであるのだろう。
現状で行われていることを私の知っている範囲で二例あげてみたが、これについてはどう考えているのか聞きたい。
だったら他の種類のものを挙げるか、せめて他の可能性が存在する傍証を示せと言っているだろう。
「ないのであれば」と主張しているのは君であるが、なぜ「ない」と考えるに到ったかを示されていない。
例えば学歴に男女差があると言われるが、脳の仕組みとして男女差がある、という内在的な理由も考えられるが、
君のように外在していると考えることも出来る。しかしそのためには追加で証拠を示さないと意味がない。
ローコストにというのは、配分を考慮しての意ではなく、こと情報提供に関しては
現実にローコスで可能なのだから、君の余力の範囲内でできはしないだろうかということである。
機会の平等というのは、言うは易く、行なうは難しである。どこから計って平等であるか、
それは本当に機会の平等に寄与するのか、機会の平等と思って与えたものが、逆に不平等を生まないかなど、
議論は困難を極めるだろう。
ただそれだけの熱意があるのなら、機会の平等のために現状で、何がどれだけ行われており、
それらの効果について調査結果を出してみてはどうだろう。そうすることで、君の主張する
機会の平等がどういうものかもはっきりしてくるように見えるし、理解もされやすくなるだろう。
それはともかくとして、海外へ留学する権利を格安でとるために、とりあえず官僚になり、
帰国後転職し、さっと留学費用を国庫に返納し、数年働いて後は美女をとっかえひっかえしながら
海を見ながら余生をおくる。
これも自分に与えられるであろう機会の平等を見極めて、逆算したすばらしい人生設計ではあるのだろうが
一方でなぜか批判も多い。
宮部みゆきがありましたね!そういえば。とりあえず「我らが隣人の犯罪」かな。オチもあるし。わりと明るいし……http://anond.hatelabo.jp/20080609120128でもおすすめ頂いたし。発掘してこなければ。
(http://anond.hatelabo.jp/20080609101614)
加納朋子が気に入ったみたいなので北村薫もぴったりですね。うっかり忘れていました。ありがとうございます。
(http://anond.hatelabo.jp/20080609120128)
米澤穂信……は私があまり好きではないので持ってないのですよね……「犬はどこだ」はあるんですが、あれは長編ですしね……
http://anond.hatelabo.jp/20080609103052
一番大切な条件を忘れていました……"カタカナ名前は無理。海外翻訳&カタカナ名前はもっと無理"なのです……
http://anond.hatelabo.jp/20080609154208
反応を色々とありがとうございました。
坂木司とかの創元推理系と、古典ミステリで短いものから貸していこうかなーと思案しております(まあぱっとは思いつかないわけですが)。あとファンタジーとSFをこっそり紛れ込ませて慣れてもらおう、とか。梶尾真治あたりで攻めてみるか……
やっぱり薦めた本を読んでくれて、「面白かった!次貸して!」って言ってもらえるのは本当に嬉しいことですね。
体の健康診断はあるのに、心の健康診断がないのはおかしいと思います。
特に中学から大学にかけては学校がその負担金を出して無償で行うべきだし、
中卒から働いている人でも、社会人3年目くらいまで、大卒でも20代前半くらいまでは、
国民全員が診断を受けられるような補助金が出る仕組みが必要だと思います。
病んでる人は絶対自分で気づかないし、周囲が指摘しても納得してくれません。
きちんとした対応をしてほしいです。税金がーとか言う人は、なんでこんなところに
うん、そういうカルマだとかそういう"迷信"も、自己責任だとかの"因果関係"もそう違いのある話じゃないと思うんだよね。
だいぶ話は変わるかもしらんけど、結局そこにあるのは偶然を"なんらかの形で理由づけしたい欲望"であってさ、で、それは形は変われどずっとある訳じゃん、それはもう近代以前から。もうそれは業だとしか言い様が無いのかもしらんけど、何に由来するんだろう。
で、神も信仰もない中でどうやってそれを解決していくんだろうかって思う。そこで自己責任教はきついよー。自分が直面した不条理の原因は全て自分にあるんだって一人抱えこまなきゃならないんだから。
まぁ、気も狂うわ。だからといって他人を不条理に巻き込むのは絶対に違うけど。いい具合に何か他人に迷惑をかけないように、他人のせいにしながらのほほんと生きていきたいと思うんだけどなー。
# ISBN-10: 410211341X
# ISBN-13: 978-4102113417
ヒルトン作・菊池重三郎訳『チップス先生さようなら』(新潮文庫)
# ISBN-10: 4102062017
# ISBN-13: 978-4102062012
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080609-OYT1T00202.htm
犯行3日前の今月5日、いったん出勤した後に突然「作業着がない」などと大声をあげ、無断で帰ってしまったという。
元同級生は「人を寄せ付けない雰囲気があった」「ナイフを持ち歩いているとのうわさがあった」と話す。
「車が駄目になるほどの事故を起こしたが、死にきれなかった」と話していたという。
軽いアスペルガー傾向じゃね? 間違ってたらごめんね。
建前と本音があるわな。彼はそういうモラルを踏み越えたところに無自覚に踏み込んでいった訳で、その姿を不用意に晒してしまったのはすごく間抜けだっていうことに気がついたほうがいい。そりゃ反発も喰うわ。
別に撮影するのも配信するのも面白いか面白くないかで言ったら面白いし、別にいいと思う、思うけど、その一方でカメラを向けることは一方的な暴力になりうるって自覚がないと見ていていらつく。彼はあまりに無防備すぎる。
ローアングラーもそうだけど、カメラの向こう側の出来事は他人事だと思ってるんだよ。一方的に見ていて良い立場にいると思ってんだよ。別に彼は特権的な立場にいる訳じゃないし、だから見ると同時に見られてるのにね。
文章にそういう自覚とか開き直りとか、自省の思いが感じられれば擁護してあげたいと思うんだけどな。ただ「面白かった」じゃね…。
今回はナイフの規制。
なんというか対症療法でしかないわなあ。
やる奴は銃やナイフがなくてもそこらで売ってる包丁でもやるだろう。
さらに今回は車も使われたけど、それはどうすんの?
ちなみに宅間守もダンプで人をはねることを考えていたらしい。
それこそ、近代以前は不条理な死に対して前世のカルマなんかを持ち出して、何とかしてその死を意味づけしようとしてたんだろうね。
時々タイトルのような心境に陥る。秋葉原のような事件があった日は特にだ。人は普通に人を殺めることが出来て、そしてそれを特段の理由なく「なんとなく」で実行出来てしまうのが人間の本質なのではないだろうか。
無論、そんなことを毎日やられてはたまったものではないので、刑法や人と人とのつながりといった社会システムによって押さえつけようとしている。しかし、「人を殺めるとあなたの命も無くなることになるよ」と脅されてもなお人は人を殺めてしまうところを見ていると、それが自分の命よりも価値があることなのかと聞いてみたくなる。
地球上のすべての人間が毎日日が昇ると目覚め、会社や学校など決まった場所に行き、日が沈むとそれぞれの家に帰るという規則性を持って行動していること自体がおかしいのかもしれない。話し合いで物事を進めるとか、人との関係性に気をつけるとか、そういった僕らの側のルールを無視されてしまうと僕らはあまりにも無力だ。
事件や事故、戦争や環境破壊など直接間接と含めると、この地球上でもっとも多くの同類を殺してきたのが人間という生き物ではないだろうか。もし神というものがいてその視点で地球を眺めてみれば、毎日毎日お互いを殺し合っている不思議な生き物に見えるのかもしれない。