運動に限って言うと、軌道というよりもリズム/タイミング(要は緩急)な気がするのは私だけかね?
あれを「ピストン運動」とか呼ぶから、エンジンのシリンダーのような無機質な動きを連想して、貧しい動きになってしまう。
むしろ「ストローク」とか言うべき。1ストローク1ストロークを大事に。行きも帰りも重要。
だから一言で言うと、必要なのは運動神経じゃなくて、音楽のセンスだな。
繰り返しの中にも、緩と急、疎と密があって、呼吸と言葉とで流れができてゆく。
多少の肉体の鍛錬を必要とする点も、音楽と同じ。基礎練習を必要とする感情表現なんだよ。
耐久力の面で言えば、ポイントは股関節の柔軟性と、括約筋かな。あとは何しろ、精神的な落ち着き。
この辺はタントラをかじったHowToものでも十分参考になると思う。
ここまで書いて急に思い浮かんだんだけど、
愛し合っていて相性もいい相手とのセックスでも、同じセックスは2度はないんだよね。
かといって何かに残しておけるようなものでもないし、寂しいもんだよね。
和姦系ポルノだって頭からっぽな女だらけ。
ほら、比率を問題にする論法の典型例。まあそれは実際そのとおりだと思うが。
それでそこまで本気で恐怖を覚え規制を求められる心理が分からないわけだよ。俺には。
ゲイポルノに憤ってる男ってそんなにいるか? 漠然と「男」がポルノ的性欲の対象になっているわけだ。消費するのは男だから、あんまり一般ポルノと大差ない。陵辱っぽいのも多くある。
そういうのを、生理的にキモいと思う奴はいるだろうが、怖いとか規制すべきだとか言ってるやつがどんだけいる?
男のほうが女よりも精神の自由に対して寛容なのかもしれんね。
男の俺が、男に手を握られたり、触られたり、好きといわれたりしたときは、非常に身の危険を感じた。
ああ、そういう人もちゃんといるのね。それは納得した。
正直言ってあれを受け入れているファン(男性?)がいることが信じられない。
読者層の男たちが、自分が一方的な性的妄想に使われうるということについて、それほどの嫌悪感を抱いてないのか、あるいは実感がないんじゃないかな。
すべての行為は原因ではなくひきがね。
っ離人症
http://dissociation.xrea.jp/disorder/dissociation/disorder_dissociation_rijin.html
百害あって一利なしとは言ったものだが、
吸っている人間同士に生まれる連帯感というかノリというか、
そういうものがあるってなんで言ってくれなかったの?
すげえ雑談しやすいぜ?
吸ってる銘柄をネタに初対面の人とうち解けることが出来たりするぜ?
先天的「いいこちゃん」だった俺は、
いいこと一つもないのに。
金かかるのに。
健康に悪いのに。
息クサくなるのに。
喫煙所のあの煙たさの中にいられる感覚も全く理解できなかった。
「こいつら全員馬鹿だ・・・」
そんな自分の考えを変えたのは、
影響を受けやすい人間だからなー。
なんかガツンとくるものがあったんだよ。書いた人ありがとう。
閑話休題。
俺は近所のローソンの自販機でマイセンのオリジナルを購入した。
でも吸い方が全く分からない・・・
ネットで調べた。
「吸いながらでないと火がつかない」なんて教科書に書いてなかったぞ・・・
「意外と灰は落ちずに頑張る」なんて吸わない奴はしらねーよ。
「口の中に煙を入れるだけでは気持ちよくはならない」なんてわかんねーよ。
たばこに関して、なんで知らないことがこんなに多いんだ?
実質知識ゼロじゃねえか。
読書量の少なさが悪いのか?
いや違う。
思えば、中高時代にたばこを吸っちゃうような知人がいなかったからだ。
大学でもそうだった。
ところが社会人になって面食らった。
みんな「吸える」(←ここ重要)んだ・・・
いろんな人種と付き合わなかった報いだろう。
「なんで体に悪いものを自ら進んで摂取してるんだろう?馬鹿じゃあないのかあいつらは。」
俺たちは少数派だった・・・。
吸い方をネットで調べた。
23で。ああ情けない。
初めてのたばこは緊張した。
久々に緊張した。
少年が初めてたばこを吸った瞬間の描写があったのを思い出した。
自分の周りに大きなわっかが出来て、クラクラして世界が変わったような感覚になる絵だった(一コマ)。
緊張。
俺はくわえた。
火をつけた。
吸った。
音にするなら「クラーン」。
脳に衝撃が走った。
酒を飲んだときと同じような「頭のクラクラする気持ちよさ」があった。
しかし吸った後の苦さ(後味は銘柄によってかなり異なるということを知るのはその数日後。)がキツイ。
息くせえよ。
飯に煙の味が付くよ。
馬鹿じゃないのか?
俺は「慣れる」ことが肝心だと思い、
いろんな種類を試してみた。
吸わないと分からないことがあまりにも多すぎた。
数え切れない。
文化になって当然だ。
たばこのおかげかどうかは分からないが、
「始業の少し前に喫煙所に向かってたばこを吸う」関係の人間が数人出来た。
ちょっとした疑問や悩みや軽い趣味の話がしやすい。
楽しい。
今から駅前のたばこ屋に行く。
人口数万人の地方都市にしては充実したしなぞろえの店(しんせいとか峰とかコブラとかアークロイヤルがあるくらいのレベルだが)だ。
まだ30箱くらいしか買ってない。
少なすぎる。
あのエントリーを読んでなかったら、俺はたばこを知らないままだったんだろうか。
それともどこかにきっかけが落ちてるんだろうか。
そこで、系に観測者も含める事で、初めて量子力学のような微小領域の記述が出来るようになった、ってことじゃないのかな?
いやそれは違う。
黒体放射とか原子の安定性とか(詳細は説明しない、ぐぐれ)、古典力学的な理論の帰結と矛盾するような現象が次々と見つかって、個々の現象を説明するためのアドホックな理論がその都度できてきたんだけど、それらをつなぎ合わせたところできたのが「量子力学」という理論体系だった。
で、これが数式レベルではともかく、その解釈としては理解に苦しむ部分があって、今までの物理学のように事前の情報から現象を原理的に確定的に予言できるということがなく、確率的にしかものが言えないということがわかってきた。
だとすると、で、問題はその「確率的」というのが見かけ上のことなのかそうでないか、だ。つまり、情報が不足しているために物事が一見確率的に起こっているか(くじ引きが当たりかはずれか、みたいな話ね)、それとも本当に確率的にランダムにしかものごとが起こっていないのか、ということが議論になった。で、色々試した結果どうも前者の解釈では辻褄のあわないことがいくつもあるだろうということはわかってきたのだが、問題は前者と後者の線引きでこれがそう簡単ではなく、「観測」が混乱の原因だというのはわかってきたんだが、本当に物理的に意味のある「観測」とは一体何か、ということで揉めたわけだ。その話の中で一番極端な例として挙がってきたのが「シュレーディンガーの猫」というわけなんだが、確かにこの解釈を否定する根拠も難しかった。まして実験で確かめるとなると原理的にも装置の制約上も問題が当時はあった(現在でもある)。
実用上の問題としては、こんな細かい話を無視しても「使う」ことは十分可能で、例えば半導体を作ったりするときにはこんなことは気にしなくてもよかった。それで、現在に至るまで大半の物理学者・化学者はこの話を棚上げして理論を「使う」側にまわっているんだが、一部でどうしてもこの問題が気になるという人がいて、本業のかたわら時々手を出したりしているというのが現状なんだよ。
いっそ世界中イスラム教国になればいいんじゃね?……って思った。笑った。
でもまあ、それはそれでありっつーかなんつーか。タブーが全部なくなったらそれはそれで困るしな。
理想は規制派と自由派のトムジェリ状態なんだろうな。
供給側の問題じゃないでしょう。
それだけの大きさのマーケットがあり、その流通・消費を許容する(自分自身は消費しなくとも)文化があるということを問題にしているわけでしょう。
その思考実験の解釈にいろいろあるということだね。「観測」とは「見る」ことだなどと素朴に考えていたらそんな変なことがおこるだろうと。ただ当時は実験で確かめる術がなかったものだから、「観測」とは「見る」ことだと主張しても否定する根拠がなく、そうした素朴な見解が長生きしてしまってる原因なんですよ。「観測」とは何かというのが現在でもまだ未解決の部分があるということは当の物理屋でも知らない人は意外と多いです。
本質的には一夫多妻制だと思うよ、今でも。浮気が本能っていうのもそうだし
俺もシロウトなんだけどね。
別に、「観測したことが観測対象に影響を与える」なんてことは全然珍しいことでもないんだよね。
というか「観測は必ず観測対象に影響を与える」というのが量子力学なんじゃなかったっけ?
古典力学は観測者を系に含めないけれど、実際には系外から観測することは出来ない。
そこで、系に観測者も含める事で、初めて量子力学のような微小領域の記述が出来るようになった、ってことじゃないのかな?
でもって、シュレーディンガーの猫なんだけれど、結局あれは一番わかりやすく真っ当な見方、解釈の仕方はどれか、って話だよね。
鉛筆に重さを感じるのは、地球と鉛筆に引き合う力が働くから、と考えるのか、地球に向かって落ち込む空間に抗い加速させてるから、と考えるのか、そんな話じゃないのか?
不思議なのは、どうしてそんなに嫌いで貶めてるのに女性に欲情するのかってこと。
女性は欲情=好意・愛情に近いから余計に理解に苦しむのではないかな。
いっそ時々女が全員死んじゃうウイルスでも流行ればいいのにと思うこともある。
そしたら男の好きな男だけの楽園が出来るはず。
http://anond.hatelabo.jp/20080320073242
とっかえひっかえやるのって、オナニーと違いないんじゃないかなぁ。
んで、それってセックスの充足感が感じられない気がするんだよなぁ。
言葉責めって言うけれど、それも、相手を交換可能なものとして見下していたら、
AV見ているのと同じで、充足感がないと思う。
セックスもコミュニケーションで、挿入→摩擦→射精はセックスという行程の一部でしかないし、
その行為すらも、同時に行われるコミュニケーションの付属物に過ぎないと思う。
ていうか、セックスがただ挿入するってだけのことだと思っている人は、人生のかなりの部分を
損している気がするよ。
良好なコミュニケーションが生み出すセックスの快楽と安らぎと興奮は、実際に経験してみないと分からない。
AV見たって絶対分からない。
Marco11 uzeeeeeee