はてなキーワード: カマとは
ごくろうさま。
だからなぜお前は俺の家庭を妄想で批判してるんだ?
おまえの家庭がそうだからか?
そんな事書かれちゃ疑心暗儀しちゃうじゃねえか(笑)
今晩嫁とセックス後色々聞いてやってくるよ。
なんかありがとね。
付け足し。
>↑の増田と私は別人なんだけどなあ。同一人物認定されてる?
安心しな、してないよ。
セックスしなかったんだが、嫁が起きてきたからちょっと聞いてみた
「俺に何か言いたい事とかないか?不満でも、何でも」
嫁「んートイレ行きたい」
愛しい奴です。
トイレから出てきて
「最近カマってやれなくてごめんな、何か溜めてる事があったら言ってくれよ」
嫁「んーどうしようかなー」
「?。迷ったら吐いちゃえよw」
嫁「愛してる」
これからもがんばろう。
引きこもニートのやろうと話してたら、「メシを自分で作ってんだから俺はマシ」とか言ってんの。意味わかんないよね。「俺は自分のぶんのメシをドアの前に置いといてもらうとかそんなクソ野郎とは違う、自分のぶんのメシは自分で作る、しかもレシピ本を見てちゃんと凝った料理も作ってる。だから俺は偉い。何もしてないニートとは違う、俺は労働をしてる」とか言うわけ。
おおおおおおおい、本気で言ってんのかぁああああああああ。
食材は親が買ってきてくれてて冷蔵庫に入ってる。それを取り出してレシピ本のとおりに調理して、それを食う。それが労働なのか。と聞いたら、「メシ食うのが労働なわけないだろ、アホか。メシ作るのが労働だよ。俺は自給自足してる」と。
そんな俺理論を語られて混乱したしそいつの自信満々な顔がヤになってきたから、その場では話を変えて、おおきく振りかぶってのアニメの声のしっくり感についてひたすら褒め称えるトークに移ったんだけど。三橋は再現不可能だと思ってたのにもうスゲーじゃんあのピッタリ感、動きの再現もスゲー。ビックル一気飲み!とか熱く共感しまくったあと、家に帰ってから考えた。
自給自足って、労働を考えるときに一番いいモデルケースだとか思ったんだよ。自分が働いて生産したぶんだけ、自分が消費できる。カネとか無いからスゲーシンプルでわかりやすい。ヤツの場合はどうかというと、ヤツがたどり着いた無人島が、「電気とガスは勝手に流れてくるから冷蔵庫とコンロは使えて、あと冷蔵庫の中には勝手に食材が補充される」という魔法の島だっと仮定したら、もしかしたらヤツがやっていることは確かに労働なんじゃなかろうか、と思った。
経済学とかよく知らないけど、労働ってのは、価値を増やす行動のことなんでしょ。労働って概念は、「頑張ったのを褒める主義」でなく、完全なまでの「成果主義」ってことだ。ヤシの実があって、それを超苦労して素手で割って1時間で1個ぶんのヤシの実ジュースを取り出すのと、専用器具を使って5分で2個ぶんのヤシの実ジュースを取り出してあとは寝てるのと、比べたらどう考えたってラクしてるヤツの方がたくさん生産してる。
ちょっと蛇足だったか。
昔って、寝てるだけで狼に襲われるとか、そういうのがリアルにあったわけじゃん。でもイマって、そんなこと考えなくてもふつうに寝てれば普通に生きて翌朝目を覚ますことができるわけじゃん。昔はさ、ムラみたいなとこで何人か交代で見張りをして、なんか異変があったら叫んでみんなを起こすみたいな仕事があったわけよね。でもイマは無い。そんなことしなくても、安全な夜っていうのは所与みたいなモンとして存在してる。
たしかに労働だったはずだけど、その労働の結果得られるモノが当たり前のモノになったとき、その労働は消え去る。
でも人間の感覚って相対的なモンで、感覚がシフトして、いままで「つらい労働」と「ふつうの行動」と「楽しい消費」みたいな関係が成り立ってたとこから「つらい労働」がなくなると、「ふつうの行動」が「労働」って感じになって、それに引きずられて「楽しい消費」が「消費」って感じになって、どんどん「楽しさ不感症」になっていく。ひどいのになると、非コミュだかなんだか知らないが、ヒトと酒を飲むのも労働とか言い出す。
狩りをしてたころなんて、狩りなんてのは命がけのやりたくもない仕事だろうさ。イマは文脈上、血沸き肉踊るスリル、みたいな、そういうのはちょっと考えない方向にしてちょ。そんなやりたくもない狩りが成功して、ムラにデカい肉塊を引きずりかえって、それを切り分けて調理するのって絶対「娯楽」だろう。ちょおワクワクするでしょ。苦労して倒したイノシシをいまから食う!そのために切り分けて串に刺してさあ焼くぞオラー!超たのしい。
それがどうだろう、狩りとかじゃなく、魔法の国で、毎朝起きたらムラの真ん中にイノシシの死んだのが転がってるとしたら。「あーあ、こいつ食うためにまた切り分けなきゃなんねーよ…。おい昨日俺がやったんだからお前やれよ。寝てるから終わったら呼んでね。」こんなやりとり、想像できないだろーか。
これとはまた別の話で、カネとかいう無機質なもんがあるから、いろいろ体感的な楽しさがなくなるってのもある気がする。
楽しいのはどっちだろ。
仕事って、なんか就職とかそういうシステムの中で働いてると、まるで「仕事」っていう一定量の定まったパイを取り合うような、そういう感覚になってる大馬鹿者が多すぎやしないか。仕事なんて、他人に何か貢献すれば、それが仕事だろう。他人に愉快を与えて、その対価として自分が愉快になる。前者が「労働」で、後者が「消費」だ。これに限界なんて無い。なるべく多くの他人になるべく質の良い愉快感を覚えてもらえるようなことをする、そうすれば、自分も他人からたくさん愉快な気分を味わわせてもらえるんじゃないだろうか。
社会は大きすぎて、他人が見えない。大馬鹿者は想像力が足りないから、こういうことがわからない。まずは尽くせ、楽しませろ。そしたら返ってくるだろう。コミュニケーションが不足して、なんとなく機嫌が悪くなって、人を悪く言って人に不愉快感を与えるヤツばかりが増えるなんて、ほんっとダサい。人をたくさん不愉快にさせるヤツにはたくさんの不愉快が降り注ぐだろう。それじゃ愉快じゃないだろう。
元記事は間違いだらけだが、どうやら核融合装置を作ったこと自体は事実っぽい。
ちょっと科学に明るい人間なら、核融合と聞いてトカマクとかヘリカルコイルのような巨大装置を想起するだろう。これは核融合による発電を目指して研究がすすめられているものだが、発電できない核融合ならもっと簡素な装置で済む。
http://d.hatena.ne.jp/hujikojp/20070521/fusorなんかで取り上げられているが、慣性静電閉じ込め核融合炉という方式なら小型で簡素な装置でも核融合反応が得られる。ただ、これは中性子を発生させるのが目的のようなもので、発電にはまったく役立たないが。
それはそれとして原子炉と核融合炉、核分裂反応と核融合反応は違うものなので注意するように。ましてや常温核融合などではないし、核兵器が作れるという話でもない。
少しだけフォロー入れるとすると、
好きな人とじゃないと一緒に御飯食べたらいけないんだよ。」
っていう言い方は、元増田は私のこと好きじゃないでしょ、というカマカケかもしれない。
「じゃあ、俺君のこと好きだから一緒に食べてもいいね」くらい言ってみたらどうよ
それで断られたら、まあ、本物だ
「別にホントは誰でも良いんだけどね」
これがカマカケなのか、本気の発言なのか。
カマカケなら相手のやり方がへたくそ。
本気の発言なら、あなたが想っているほどに相手はあなたのことを想ってない。
安全性々々(ママ)と言うけれど、一体どれだけの人がそれを必要としているのやら。
や、けっこう大事よ?
大学時代の話になるけど、地方大学だったもんで6割車持ちで、うち3割は廃車経験有り、という感じだった。イニDも流行ってたしね(だからってコルサで山を攻めるな!)。田んぼに突っ込んだり、縁石に乗り上げて一回転ジャンプしたり、カマ掘ったり掘られたり、ガードレールと合体したり。
実数で言うと、友人関係でのべ20件以上。
でも、そのうち「重傷」は1件のみで、それはWagon-Rの助手席で脚骨折。おれもライトエース横転さしたけど、無傷だったし。
それを踏まえて、「少なくとも運転席にいる限り、最近の車ってけっこう安全なのね」という実感がある。
車はけっこう事故る。それは現状の密度では不可避。ならばせめて死ににくいように、というのは皆が思うことなんじゃないかな。少なくとも地方住まいは。
http://anond.hatelabo.jp/20070318091324
http://anond.hatelabo.jp/20070318111530
ブラウザの検索で全強調してみたけど、そういうのではないみたいですよ。