「自分の権利を侵害されている場合であろうと空気読め」とか誰も言ってないじゃん。そうじゃなくて、非コミュがどーだとか話ベタなんですとかメソメソ言ってるから「それはあなたの話しぶりを見るにたぶんあなたが空気を読まないタイプだからなのだとぼかぁ推測するんだけど、ためしにこれこれこういうふうなことをしみてたらいかが?」と提案してみてるわけでしょ。
それをなんだ、mixiは自分の気持ちを思いのまま書けないからイヤだとか、正しいことを正しいといって何が悪いだとか、挙句の果てには「飲み会で無理やり飲まされるのが空気なら俺はそんなの拒絶する」とか言い出して。誰がそんな話をしてんだっつーの。
「空気」って概念に対する印象がうんだかんだ言ったって意味ねーからこっちは「空気」の中で自分をうまいことマネジメントするコツみたいなものを提示してるのにさぁ。あんたの好きな「本質的な話」ではなく、小手先のテクニックの話をしてんの。理屈こねてないで実践してみろと言いたい訳だよ、そこまでのステップはなるべく細かく刻んで心理的な抵抗も小さくしてミクロな成功体験を積み重ねていけるような具体的な方法を考えてみてそれをお伝えしてるわけだよ。
一言で表現しちゃえば価値観を変えろと言ってるわけ。おまえさまの価値観を否定してるのです。こういうのを全否定と言います。そこでまたその言葉にヒステリックに反応して感情に任せてギャーギャー言ったり揚げ足とって満足しててもしょーもないでしょーが。バカバカしい。俺は寝る。
なんとなく、この世は本音で生きてる人達の世界とそうでない人達の世界が混じり合ってるんじゃないかと思う。自分で物事を判断しない人の言説は、本音のつもりでもそれは本音ではない。権威に従うのは本音とは違う。そういう分別ね。その両者は、交わる必要が生じた場合にのみ、かかるコストをざっと計算した上で、面倒ながらも交わってきた。インターネット以前は。ネット上ではそういったコントロールは効かない。疑問や感情や好奇心や偶然が、いつ両者を引き合わせるかまったく読めなくなった。そういう状況だから、面倒でもあらかじめ「批判ではないのだが」というような前置き、予防線が必要ってことなんだと思う。
はじめに断っておくが、私は憲法だとか法律、政治その他に詳しくない自信がある。
世間では憲法改正、特に九条改正が注目され、議論や意見交換が頻繁に行われているように思う。
そういうのを聞いていると、その要旨は
b.改正賛成:憲法を現状に合うように。↑の奴らは甘い。戦力保持の明記。
のどっちにするか。又はどれだけ相手をこき下ろせるか。
しかし、これはオカシイ。
憲法は国の最も重要で、基本的な方向性を示すものだと習った気がする。自分はそう思っている。
だから憲法には、この国、日本が今、そして将来どのような国として、どのように存在していくのかが書かれ、
そして法律、政治はその指針に従って行われるものだと思っている。
それは現状に合わしたりするものではないはずだ。
合わすべきは現状の方である。
もちろん、昔に作られた憲法がいつまでも矛盾することなくいられるとは思わない。
改正が必要になるだろうし、そのために改正の手順が決められている。
だがしかし、現状に合わせるためという短期的見通しで変えられては困る。
a、bどっち?とかいう2択の議論をされても困る。
今すべき議論は、この国がどうありたいかということである。
それが決まって初めて憲法が作れる状態になる。
次に、どのようにして、が来る。
ここは総意を採るのは難しいだろう。
が、目標を決め、方法、計画を立てて実行する、というのは当たり前のことで、
id:tinycafeが訴えを起こしたこと、はてなアイデア、blogのエントリー、コメント欄から、合理的に判断してはてなを訴えた可能性が高いということを他のはてなユーザーに知らせたいというのがエントリーの目的でした。
id:tinycafe晒しやインターネット上でのいじめが目的だと指摘するエントリー見受けられたので、そのような目的を持って行った事ではない事を記しておきたいと思います。
いずれにしてもid:tinycafeが何らかの訴えを起こしたことはblogのエントリーを信じれば事実のようです。
一増田民に戻り、今後の経過を見守ることにします。
サラリーマンがあまり意識していない源泉徴収の額が来年からかわりますよん。
・・・あまり話題になってないよね?
まぁ去年も変わってたのかな?よくしらないけど。
取れるところからとっていきましょう!
メディアが提供する話題ばかり追いかけてると自分にとって有利なポジションというか、戦況を見誤るぜ?
その第一歩がこの文章を読んだ後あなたが何をするかだ。
たとえばグーグルの株式の1割を使えば、株式交換で日立グループ885社を全部買収できる。むしろ買収された方がいいんじゃない?
はてなとか。
うそごめん。
今まで何となくスルーしてたモノ。その分野での草分け的存在とか、金字塔とか呼ばれるようなモノ。
密かに話題になっていて、やっと自分の耳にまでそれが届いたモノ。
こういったモノに触れてみて、感動やら衝撃やらを与えられたときにいつも思う。
もっとアンテナを伸ばしたい。こういう「既に世界にあった僕の大好きなモノ」を
限りなく素早く、そしてまとめてキャッチできるようになりたい。
Webは確かにこういったことへの大きな助けになってくれたが、まだまだ精度が甘いし、分散しすぎてる。
願わくばアンテナなど必要もなく、好きなモノたちを入力するとか、脳をスキャンするとかしただけで
まだ未知の、そして僕が大好きに「なる」モノたちを確実に教えてくれる。
そんなことができてしまう時代を生きてみたい。
探すだけで時間が足りなくなってしまう時代から、気が遠くなるぐらいの好きなモノラインナップに
触れているだけで時間が過ぎていくような時代への変遷を体験してみたい。
もしかしたら、そんな人間の感情とか、モノたちが与えてくれる何かが全て分析しつくされ、
カテゴライズされてるであろう世界は、逆にとてつもなくつまらないのだろうか。
好きなモノが何かそもそもわからない子供たちに、はじめに触れさせるモノはどうするかとかの
大論争が巻き起こったりするのだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20070108012614
http://anond.hatelabo.jp/20070108014709
ということらしいです。
http://sociologbook.net/log/200701.html#eid74
なので、どんなに客観的に恥ずかしい内容でも、それが当の本人にとって意味あることだったら、書くことに意味があるということになります。
「ならば『悪質な業者に「うちは警察へリンクさせてもらっている」などと利用されることが問題だとおっしゃるが、それはリンクを許諾制になんかしてるからそうなる。』という指摘は不適切ですよね。」という返答でよろしいか。
私の解釈では「ノー」。理由は前述した通り、無断リンク問題だけにフォーカスしている啓蒙だから。
ただ、あなたがそう解釈していて、私や閲覧者を説得できる程度に根拠のある反論を思いつかないまま「不適切だと思っている」と宣言することを妨げるつもりは無い。まぁ単なる感覚の宣言なのか根拠を省略した反論なのが分かりにくい今回のような場合は「なんでなんで?」と聴いて、それを確かめることはすると思う。
それにスルーされたら、単に感覚を宣言しているだけで、特に論理的な根拠は無いと見なす事が出来るしね。
どこからマーケティングとか出てくるのかさっぱり。
「化かしあいが目的なら上手い事言ってるなと思うけど」の"化かし合い"を、マーケティングと言い換えたところが俺の出所。
もし"化かしあい"と"マーケティング"は違うというのであれば、それは指摘してほしい。
ただ、この文脈で違いが有るようには思えていない。
もし違うんなら元記事を「他の人の事は知らないけど、ひろみちゅは化かし合い的に「正確な主張だけでなく、煽りを含めて話題として広まる方法」を書いているから、それは正しい感想じゃないかなぁ。それとも「化かし合いで主張を広めようとする人は不誠実だよ」という誠実さを利用した化かし合いをしているの?」と訂正するけど、どうします?
何かよく分からないけど、『「リテラシーの低い人間の、リテラシーの低さを改善するために、リテラシーの低さを利用して相手を化かす事で”啓蒙”する」という壮大なギャグ』って事なら割と面白いと思う。
それは全く同意するよ。
というか、ひろみちゅはわざと日記を注目集めるように書いているんだから「ギャグ」とかで皮肉言ってバカにした気に成っているとしたらお気の毒としか言いようが無いよ・・・(あ、反応はいらないから)
ブログにしろ何にしろ、WEB上に文章を書くと言うことはどこに意味があるの?
書くことに意味があるの?
読まれることに意味があるの?
そんなこともう何回も重ねて議論されてるかもね。
著作権法の関係で検索エンジンのデータベースは海外のサーバを利用しているというニュースを聞いて思い出したこと。
かなり前のJASRACのサイトの話なのだが、楽曲使用に関するQ&Aのページがあって、質問の1つに
「歌詞の一部分を入力して検索ボタンを押すと、そのフレーズが含まれる曲のタイトルを表示するサイトを作りました。この場合利用料を払う必要がありますか?」
って言うのがあって、その回答として「検索結果として歌詞が表示されないのであれば利用料を払う必要はありません」って書いてあった。
回答の冒頭に「よく思いつきましたね」みたいな誉め言葉が書かれていたのでなんだか印象に残っているのだが、今JASRACのサイトを見てもそんなFAQは載ってなくてあれはやっぱり駄目だったという事なのだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20070107222255
・ハルヒの作中パーソナリティをみる限り、発症するなら統合失調症じゃないような気がする。それと、言っている内容はかなり妄想めいてはいるんだけど、「自分が電波を受信する」「自分に入ってくる」ような自我障害は認められない((ただし、DSM導入後、シュナイダーの一級症状としての自我障害が統合失調症に特異的な症状であるという見解に疑問符はついているが))から、統合失調症の妄想臭さを感じないんだよなぁ。彼女は、自分はまともで周りに面白い人がやってくると期待しているけれど、統合失調症の妄想なら、もっと自分にまつわる体験を妄想するような気がするんですよ。
・もうちょっと影のある性格なら、(何でも出来るのは親の自己愛を備給する為のスーパーガールとして詰め込まれたからという設定で)境界性人格障害系列のメンタリティを持っているって話になるんだけど、それにしては屈託が無さ過ぎる。
・じゃあボーダーっ気の無い自己愛パーソナリティ障害の可能性ならあるかもしれない?
→キメるべき肝心な場面では自分と対象との区別がしっかり出来ているのがなぁ。団員を自分の手足のようにコキ使う態度や「超監督」などと名乗るメンタリティはいかにも自己愛パーソナリティ障害っぽいんだけど、もっと、「私をみてみてみてみてみて!」とか「団員への心配りの無い冷淡さ」とか「私が楽しければ他の団員が楽しくなくない状況は無視」ってところがまだ弱いか。
結論:現時点では病気っぽさが無い。敢えていくなら自己愛パーソナリティ障害のケがある?
あ、そうだ。双極性障害を忘れていた。軽躁状態??軽い鬱状態の巡回するハルヒ、か。これなら無理やりこじつけられるか。脱抑制や観念奔逸を呈する手前ぐらいの、ごく軽いhypomanic stateとみるなら、一応当てはめられないことはない。でもこじつけチック過ぎるなぁ。やっぱり駄目だどれも上手く当てはまらないなぁ。
別に当てはまらなくてもいいよ、そんなの。
生き残りの運営が途絶えない限り意伝子は巡る
評論の繰り返される一方、
語らない玄人は淡々と運営を続ける。
彼らは論じず、しかし示す。
ひとつの文章をもって語るかぎりで、
信念や志向はねつ造できる。
日々の運営とは行動である。
ひとつのサイトを企てることはできない。
友だちができない時期っていうのは、人生の下積みの修行の時期だって思うよ。ぜいたく言わないで、ひとりで力つけろって。人間って、何かやるときは、いつもひとりでやるんだよね。
この一節が心にことんと嵌った。最近常時考えていることがあったから。
というのも…書いている私には今友達が…と。
否定したい。友人、と呼べる人間は何処にも居ないわけはない、と思いたい。
しかし其れが私の独りよがりだとしたら、と考えると。私は或る人を友だと思っている、しかし其の「或る人」は…と想像し始めると。
考え出すと切りがない。ぐるぐると思いを悪い方に巡らせて、友人不在と認識する自分の存在、自分の思考に悲しくなり、気づけば一掬の涙を流している。
そんな日々が続いているの。毎日のように其れを繰り返すのだ。