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2008-10-25

橋下がやけに賞賛されてるけど

痛いニュースなんかでは、やれ女子高生が泣いた、男子高生が「いじめられたから私立しかいけなかった」とかよくわからないことを言ってる高校生とバッサリ切り捨てる橋下しか書かれていないが、高校生も一応言うこと言ってるんだよな。まあ、確かに、稚拙ではあるが。

「ちゃんと税金取っているなら、教育医療、福祉に使うべきです。アメリカ軍とかに使ってる金の余裕があるのなら、ちゃんとこっち(教育)に金を回すべきです」と涙ながらに訴えると、橋下知事は「じゃあ、あなたが政治家になってそういう活動をやってください」と切り捨てた。

さらに高校生が「それは、わたしが政治家になってすることじゃないはずです」、「高速道路なんか、正味あんなたくさんいらないと思います」と税金無駄遣いがあると指摘すると、橋下知事は「それは、あなたがそう判断しているだけで、わたしは必要な道路は必要だと思っている」と反論し、一歩も引かなかった。

道路とかまずなんとかすべきでは?」にたいして

「それは、あなたがそう判断しているだけで、わたしは必要な道路は必要だと思っている」

ってこれ、反論じゃないよォオオオ!?

なぜ必要か根拠も示さない。議論になってねぇw

一方が「こう思うのだが」(まあこの高校生も、もう少し具体的に指摘するなどしたほうがよかったんだけど)と言ったら「それはあなたの意見。私はこう思う」って、反論じゃねぇw「意見交換」って銘打ってるのに、意見全然交換する気ねぇw何て意味のない場なんだ!

そこはしっかり、きょうは議論したいと思いますので

って言ってるのにこれっておまw

議論してねーよw

初めから「俺の意見はこうだ。あ?高校生意見はそう?ああそう、でもおれはこう思うから」

って意味わかんねーよw議論じゃねーよwジャイアンリサイタルだよw

大体こいつ、反論なんてほとんどしてない。高校生高校生で何言ってるのかわからんのも多いが。「16歳は壁にぶつかって、ぶつかって」とか「今は自己責任が基本!」とか、反論でもなんでもない。だいたい言ってることがイメージ的すぎ・曖昧すぎ。議論でもなんでもなくて、「オレの考え発表ショー」でしかない。だって高校生が「反論」(稚拙だが、むしろ高校生の方が一応「反論」はできている)したら「それはあんたの考え、オレは思わない」んじゃ議論もへったくそもねーだろがwで、挙句の果てに「だったらお前がこの国変えれば」って、結局「オレはこう思う。だから従えよ。従えないなら出てけよ」ってちょwww独裁国家ktkrwww民主主義びっくりwwww

橋下徹の、『オレが日本を変えてやる』ディナーショー」はもう腹いっぱいだよwwwwww

これに「そのとおりだ!」「正論だ!」っていってるやつはなんなんだよw

小泉の「痛みを伴う改革!」

「え?痛みって具体的になによ」

「痛みは本当に伴わねばならないのか?」

「ていうか漠然としすぎじゃないのか、結局具体的には何やるんだよ?」

等と本来は皆が冷静になり疑問に思わなければならなかったのに

「確かになんか、改革するっていったら痛みは避けて通れない感じするなぁ」

感覚レベルでついていった日本国民の地は結局未だ変わっていないw

「確かに、自己責任だよなぁ」「学生は甘えたこといってないで勉強しろ!」

何も議論なんかねぇ。初めから心地よい一般論をただ主張してるだけ。

ニホンジン、ギロン、デキマセーン。

この高校生たちはこう応対すればよかったのに。

「やっぱり16歳はぶつかって、ぶつかって」

橋下知事、失礼ですが、僕は知事の個人的な人生観を聞いているわけではありません。

具体的な言葉で説明をお願いします』

知事道路にはメスをいれない改革派ということで有名ですが

教育財政を削る以前に、不必要と思われる道路等の財政の見直しが先ではないでしょうか。

知事の発案された「大阪プログラム案」を調べましたが、

道路ダムなどの大型公共事業予算はそのままで、教育医療などの予算は大幅削減する、という内容になっています。

例えば新名神高速道路なんかは、あまり必要性の低い道路であると僕は考えますが、これは1キロ180億円もの金額がかかります。一方、私学への助成金は、28億円です。

勿論、大阪府財政状況が大変厳しいものであることは、僕たちもニュースを通じて知っています。本当にどこをどう削ってもこれ以上どうしようもない、私学の助成金も削らざるを得ない、そうであれば僕たちも勿論大阪府民として了承せざるを得ないとは思います。

しかしながら、あまり必要とも思えない道路放置し、一方で国の基本ともいえる教育の、それも道路一キロ分の6分の1ほどの財政を細々と削るというのでは到底納得できるものではありません。

知事はそのあたりについてどうお考えなのでしょうか』

「それは、あなたがそう判断しているだけで、わたしは必要な道路は必要だと思っている」

『はい。私はそう判断しているだけです。しかし知事のご判断も、それはそれで知事がそう判断しているだけですね。

その知事の判断の理由、妥当性について私は問うているのですが。なぜ、必要だと思っているのか、それを問うているのです。道路が必要にせよ不必要にせよ知事が必要だと考える理由、根拠。必要だとしても教育より優先すべきか、という議論。その辺をしたいといっているのですが』

『失礼ですが、この会は意見交換の場だったのではないのでしょうか。僕は僕なりに僕の考えの根拠を示し、知事に提示しました。知事がそれに反論するのなら、それ相応の根拠と説明をもってしてもらわなければそれは「反論」にはなりえません。

最初から「高校生はそう思うのかもしれないが、知事である自分はこう思う、だからそれでいい」のならば、意見交換以前の問題ではないでしょうか。知事はさきほど「議論をする」と言っていた記憶がありますが、知事の言う「議論」とは最初から知事の考えをゴリ押しする、高校生が何かを言ってきても「それはお前の考えだ、自分は違う」と切り捨てることだったのでしょうか、ご返答お願いします』


日本自己責任が原則」

生徒『それは新自由主義者の考え方ですね。そういった考えが、今日本・米国を初めとして

主流であるのは認めますが、日本憲法にそう示されているわけではありません。

知事個人の思想を、大阪府政治に持ち込まないよう深くお願いいたします』

「いいものを選べば、いい値段がかかる。条件を比較して、あなたが選んだのでは」

生徒『僕はこれだけの助成金が支払われている私学を、その通り比較して選んだわけです。

その前提を知事が変えようとなさっているので、こうして反対しているわけです』

「最後のところを救うのが今の世の中。生活保護制度がちゃんとある」

生徒『知事、その台詞生活保護制度が実際にきちんと実行されているのが前提で言える言葉ではないでしょうか?』

「今の世の中は、自己責任がまず原則ですよ。誰も救ってくれない」

生徒『それは、日本国憲法にそう書いてあるのですか?漠然とした感情論精神論はやめていただきたい。また、知事個人の思想政治に持ち込まぬようお願いします。また、知事の言う自己責任とは何でしょうか、きちんと定義をした上でお願いしたい。僕は自己責任というのは、そもそもその個人が自由に選択をできる場が保証されているのが前提で起きるものだと考えます。例えばですが、一種類の道しか目の前にない、あらかじめ他の道を実質削除されているのに、その道を進んだ結果起こった事が全部お前の自己責任だとするのは、それは本当は他者の責任であったものも、ある一人へ全て背負わせているだけの、ある種の「甘え」ではないでしょうか?勿論これは一つの例であり、僕たちが全てこうでるとは言いません。僕たちの責任もあります。しかし現状を全て自己責任自己責任と切り捨てるのでは本当の問題が見えてこないのではないでしょうか?自己責任だといって、知事権力のもと、ただ切り捨てるのは簡単ですが、それは独裁政治とどう違うのでしょうか。知事はどういうつもりで自己責任という言葉をお使いになっているのでしょう、お聞かせ下さい。それを聞いてからでないと、何かと言えば「どれもこれもあれも自己責任」では、初めから議論にも何もなりません』

 
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