夏休み明けともなると、人気ゲームの仕様を研究してみたとする自由研究が提出されたりするが、まぁ、当然、低評価する。
なぜかというと、ゲームの仕様というのは単に製作者がそれを選んだからそうなっているというだけのことで、製作者の気持ちが変われば違う仕様になる程度のものに過ぎないからだ。
子どもたちのゲーム研究のほとんどはゲーム内の数字を測定するだけのものに止まり、外に広がらない。
これがせめて天体観測なら、観測データから現実世界が見えるようになるのだが、ゲーム内の数字を追うのはそのゲームに飽きるかバージョンアップされるまでのことでしかない。
もう少しメタ的な視点からその仕様が持つ社会的な価値が示されるならゲーム研究も評価するのだけども、そこまでたどり着く小学生は稀だ。
本人としてはたくさんの数字を調べたと自信満々なのだけど、単純に「それこのゲームの中だけの話だよね」と言っても怒り出すだけなので、うまいこと導かなければならない。
情報工学全否定か?
せめてリバースエンジニアリングするなら情報工学と言えるだろうけど。
ゲームと言っても、普遍的な数学構造は存在するかもしれんぞ