『有害な男らしさ』って言うけど、たくましくて感情を抑制できて積極的で、経済力や地位の高い有害な男性を社会も女性も求めてるよね。逆も然りで、女だって気が利いて他人をサポート出来て化粧やハイヒールで着飾った女性らしい女が求められている。まあ最近は男性らしさと女性らしさのいいとこ取りというか、家の外では男性らしく稼いで家の中では女性らしくサポートやケアができることが男女両方に求められてきているような気もするけれど。
それで『有害な男らしさ』とか『脱コルセット』みたいなもっともらしい言葉を作って社会の価値観を変えようとしてるけど、結局それにのってるのは男らしさや女らしさの競争から脱落した、元々半分男や女をやめてる弱男弱女ばっかりな気がするんだよな。マラソンの最下位集団が走るのをやめて歩いたり座ったりしながら「みんな、もう走るのはしんどいからやめよう、下りて良いんだよ」って言ってるけど普通に走ってる人達には相手にされてない、みたいな。
走れなくなった人にそれでも頑張って走れとは言わない。でも男性らしさや女性らしさってそう振る舞うことでメリットがあるからやる人が多いわけで、まだ走れるのに気軽に競争を下りてしまうのはもったいないし、気軽に他人に下りることを勧める人は無責任だよね。有害な男性らしさから下りた先に、クロワッサン症候群や上野千鶴子の結婚っていう轍があるような気がしてならない。