2021-12-03

命と痛みと科学宗教

こんな投稿が、数日前にホッテントリに上がった


https://twitter.com/DividedSelf_94/status/1465862459244298244


植物も命というのは宗教

我々は「痛み」を科学的に定義して、命の選別をしているのに

みたいな意見になるんだろうか


「痛みを減らしたいか動物を食べない」まで行ったら、それは科学ではなく宗教

「痛みが規定されたのだから安楽死させるべき」ならば、それはぎりぎり科学だろうか?私はこれも宗教に思う

「痛み」というライン科学アプローチ規定しても、「それをどう扱うか」は思想であり、時に宗教だろう


これらの人は、家にネズミが出たとき安楽死約束する駆除業者を頼むのか?

「痛み」を与えないように、ネズミ避けを置いてみるだけなのだろうか?

昨今、野良犬など郊外でも峠などに登らなければほぼ見ない

昔は都内にもいたが、保健所が大活躍した結果、まず見なくなった

畜生他人の所有物でない限り煮るなり焼くなり自由と主張する余地はもうない

らしいが

ほとんどは保健所殺処分される

狂犬病、怖いからね

食べるために安楽死が許されるから、住環境のための安楽死は当然に許される、みたいな感じかな

多分、この人が主張したいのは、虐待はだめだという事で、行政殺処分は違うと切断されるだろう

罠猟は間違いなく虐待だが狩猟免許があれば合法

猟銃で痛みを与えてクマシカイノシシを殺すのも合法

特にシカイノシシ害獣だ、農家もにっこり

ジビエ料理が食えて消費者もにっこり

さてこれらは切断されるだろうか?

猿をエアガン撃退するのは虐待正当防衛

「雑に断言する」とは何を指すのだろう?

「何喋ってるか整理」するのは、存外難しいのではないか

  • 批判も擁護も、安易に植物を対置するのはなんだかなぁって思うんだ 食肉という「見える殺傷」よりも、「見えない殺傷」の方が多いだろうし それらは、食べるための植物を守るために...

  • 「屠殺にしろ駆除にしろ動物に無駄に苦痛を与えてはいけない」で簡潔にまとめられる話。

    • 猿の撃退は?

      • 苦痛なく撃退できるならそれに越したことはないし、現状でどうしても苦痛を与える必要があるなら仕方ないが、今後は苦痛なく撃退できる方法を研究すべきだろう。

        • なるほどね、人が規定する、必要に無駄と ま。そんなとこですよね

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