ほんとにそうかなあ。
日本でも他のアジア諸国でもだけど求められているのは反省を可視化するための手続きだと思うよ。
精神の部分に異常にこだわるのは悪目立ちする活動家みたいな人だけ。
パラに関わるわけではないとわかって落ち着く人もいる。
実際に精神の部分は関係ないよね。反省の手続きが行われたかどうか。
元増田の「許す」についてだけど。
手続きとしての禊が済んだと見做すとか武士の情けとして温情をかけるとか「許す」とは関係のない受容がいくつもあるので、社会的には形式が重視されているんだと思うよ。
当然その形式を逆手に取る人は出てくるわけだけど、そこを追求しすぎても社会的な利益がないという判断をするのが一般的な考え方だよ。これは形式的なものを受容することで、社会が罪を共有したとか内面化したとかというスタンスだろう。
ただし、直接の被害者は別。直接の被害者が心の中を整理する過程は社会とは距離ができるのが当たり前。
被害者に過剰に感情移入する人は、社会に対する形式的手続きを受容する性質がない。想像上の被害感情に基づいているのだから、追求することを延々と止められない。
加害者が被害者に対してする手続きと社会に対しての手続きは別のもの。
罪を犯したとき「反省」を求める、というのは実は日本含むアジアに特有の考え方らしいんだよな。 西欧思想が普通罪人に求めるのは、贖い。具体的な応報が必要で、ある意味で精神...
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