ホモソーシャル・マッチョな文化になじめず、不登校で引きこもっていた。情報探索処理能力がたりないのでオタクにもなれずにいた。
そんな中で昔フェミニズムの本を読んでちょっぴり救われたり、好きな音楽を抱きしめながらなんとか生きていた。
弱者男性論がホットエントリに盛んに上がってきているのは意識してはいるけど、丁寧に追っかける物理的、精神的な余裕もない。
一言で弱者男性といっても定義は定まっていないみたいで、結局のところ何がどうなれば多少なりとも救われるのか、一人一派なんだよね。
ソーシャルメディアでひとりひとりが個人の主張をできるようになって、それは民主的である一方、議論があまりにも拡散している。
おれは頭が悪いのでそろそろ「バリバラ」で取り上げてくれないかなと思う。
バリバラといえば、この前、LGBTQ×障碍者のことを取り上げていて、温度差が人それぞれ違うのでリスペクトしようっていうような趣旨だった。
よくわかるんだけども、それを言い出すと世界には76億通りの自己認識があるので、頭がパンクしそうになる。
弱者男性とかフェミニストとか非モテとかは音楽のジャンル分けに似ていて、これはロックだジャズだ、いや違うみたいな論争がバカバカしい一方、ジャンル分けは他者とのコミュニケーションでは便利なツールでもあってモヤる。人間の脳はまだすべての個人を個別に認識するまでは進化していない。