2021-03-21

愛する妻のためなら内心まで犠牲にしなきゃならないかもしれないという話

ちょっとだけ愚痴を聞いてほしい。

私は服を買いに行くのが嫌いだ。

から妻が選んだものをそのまま試着室で着て体型があえばそのまま買う。私の意見はないからそれでいいし、最適解だ。

私の服を買う場合はそれでいいが、妻や、妻の母と一緒に買物にいくとなかなか大変だ。女の買い物は長い。それが衣類ならなおさらだ。私は運転と息子の面倒をみる係だ。

愚痴の内容はこのこと自体じゃない。愛する妻が好きなことをサポートするのは夫の義務だろう。別にそれは構わない。運転もするし息子の面倒も見よう。

問題は妻と、その母がことあることに「貴方も楽しんで」と言ってくることだ。顔に楽しくない様子が浮かんでいるらしい。そしてことあることに色んな男のものの服を見せてくる。

そのたびにいう。「自分の買い物に専念してください」

私は私の服に興味がない。服を買うのが楽しいという概念がない。それは個人差だからそれを楽しいと思う人がいることになんの不思議もない。だが、「貴方も服選びを楽しんでくれ」と言われると困ってしまう。楽しめないものをどうやって楽しめばいいのか。

頼むから私のことは放っておいてくれ。私は運転と、子供の面倒をみるだめだけに休日を潰すのに文句はない。それが義務だ。しかしこれは更に踏み込んで内心まで捧げろと言われているのと同じだ。服選びが苦痛であることまで捨てさせないでくれ。

  • 選んでんじゃん。M体型だからLLとかをかって、だぼだぼできている。 まぁSでもいけなくはない

  • ・自分は服選びを楽しめない ・服選びを楽しいと思う思考回路がない →妻は何をどう楽しんでいるのか、詳しく教えてもらう →その思考回路をインストールできそうならする→解決 →...

    • 方から起こしてもらうことも 1990年代とかの古着を集めることもあるが 普段はきにしない。やすけりゃいい。

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