2020-06-05

格好の悪い冷笑

根暗だったりすると、冷笑家のキャラは狙いやすポジションのようだ。

慌てず動じない感じ、多少なりとも知的な感じ。

クール物事洞察し、判断を謝らず、冷笑武器に場を収めさえする。

そういうポジションに寄せていった立身というのは、分かる話ではある。

ただ、冷笑の格好の悪さ、というもの自覚する機会は少ないのかもしれない。

なぜだろう?なぜ「格好の悪い皮肉屋」というのが溢れるのだろう?

それがずっと疑問だったが、わかった気がする。

客観を騙っている」から、格好悪いのではないだろうか。

冷笑家の素振りとして、世界距離を置くことは覚えたものの。

だがそういう連中のうちのある割合は、自身を含めた俯瞰のという技法に気づかないまま過ごし得るのではないか

「客体に徹する」上で不可欠な自省・自己からの脱却(に努める)という機構が働いていないのではないか

から騙りに過ぎず、つまり不徹底で下手くそ冷笑家が多いのだろう。

そういう仮説を得た。

気になるのは、

インターネットはその存在可視化しただけなのか、または増殖させているのか、(逆に減ったのか、)

その仮説はまだない。あなたはどう思われるだろうか?

  • ただの自己紹介じゃん

  • 何が格好が悪いのか冷笑なのか解らないけれど、 客観的とは、論理的に自分でも相手でもなく第三者の視点に基づいて議論しようとする姿勢 主観的とは、感情的に自分の主義主張に基づ...

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