2019-08-19

大学の両輪は「研究」と「教育」

山梨学院大学で労使紛争が起こっているようである

山梨学院大学で異常事態…「非常勤講師切り捨て」とモラルの崩壊(田中 圭太郎)

しかし私の興味を引いたのは、山梨学院大学教育に重きを置いて高度な研究機関となることは目指さないと公言していることに対して、田中氏が以下の批判をしている点である

言うまでもなく、大学の両輪は「研究」と「教育」であるはずだ。しかし「研究者は今後雇用しない」と受け止められる文言が、ここには堂々と書かれているのだ。

ツイッター上でも大学教員を中心に山梨学院大批判的な声が上がっているが、大学の両輪は「研究」と「教育」である、というのは現代において言うまでもない当然の前提なのだろうか。例えば、『経済学部タチバナキ教授が見たニッポンの大学教授と大学生』(橘木 俊詔)によると、「アメリカ大学ではトップ50までが研究中心の大学、それ以外は教育中心の大学と二分化」されているようである教員キャリアも、それに応じて研究中心と教育中心のそれぞれのスペシャリストとして専門分化しているようだ。

また日本においては、大学教員研究に重きを置くと第一線での研究活動多忙を極めるので、学生教育がその合間になるという実態がある、と氏は指摘する。そこで日本においても米国と同じく、研究中心か教育中心かのいずれかに教員キャリア分岐していくだろう、と氏は予想している。

世界トップ学術業績を出している米国大学研究中心と教育中心に分業しており、加えて研究を重視する教員による教育が手薄になりやすいという日本大学問題意識考慮すると、山梨学院大教育中心に舵を切るという方針は、大学存在意義否定するものとは言い難いように思う。少なくとも「言うまでもなく、大学の両輪は「研究」と「教育」であるはずだ」の一言で終わらせるのではなく、研究中心と教育中心に分化した場合にどのような弊害が生じうるのか、そして米国ではどのような弊害が生じたか、など丁寧な議論を展開した上でこの方針批判するべきだろう。

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