2018-09-11

ファンってなんだろう

10年来好きなグループの1人が過去最大の炎上してしまった。

片隅の界隈なので、広い世界で見れば些細なボヤだろうけど。

誰もが名前を知っているはずのグループなのに、片隅と形容せざるを得ないのも侘しいことだけど。

それは置いておいて。

文章を読んでいたりいなかったり、擁護と励ましの声だけをかける人がいた。

貶し愛」を掲げ続けている人が、長い文章をしたためた。

本人と長いやり取りをしようとして、叶わなくて、一連のまとめを作った人がいた。

わたし看過できない部分に、思わずエゴサにかかるような書き方をしてしまった。

「あの人はこういう人だから」といつも通り目をつぶりきれなかった人もたくさん見た。

全員、「ファン」と呼ばれたり、「ファン」を自称したりする人のはずなのに、反応はさまざま。

盲目に信じること、貶しを愛と呼ぶこと、「こういう人だから」と諦観しながら付き合うこと。

付き合い方は多様なのに、みんな「ファン」と括られる。

肯定するのも、斜に構えるのも、都合のいい距離を保つのも、ぜんぶ「ファン」なのか。

騒動の本人は、さまざまいるファンの中でどんな人だけを「ファン」として見ているんだろう。

彼らにどんな「ファンであることを求められているんだろう。

アーティストという記号の奥に生身の人間がいるように、ファンという記号の奥にも生身の人間がいる。

どういう風に在るのがお互いにとっていちばん心地いいのか、たまに分からなくなってしまう。

こういうことを考えてしまうから、都合のいいファンわたしは決してなれないんだろうけど。

騒動の人1人だけで成り立っているわけではないから、人数分の価値観とこれからも付き合っていくんだろうけど。

盲目的に信じることがいいとも、愛を免罪符に貶すことがいいとも思わない。

好きな人たちについて諦観を持ちたくないから、「こういう人だから」なんて距離の置き方もあまりしたくない。

プチ炎上自体はやはり醒めた目で見てしまっているけど、うっかり飛躍に飛躍を重ねてしまって、

どういう感情の形が、距離感が、自分の中で最もしっくりくるのか、分からなくなってしまった。

ファンであるって、どういう形がいいんだろう。

どんな感情であればわたしは躊躇わずファンと名乗れるんだろう。

ゲシュタルト崩壊の末、途方に暮れている。

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