https://anond.hatelabo.jp/20170901172529
追悼文の問題とか、ややこしすぎてあんまり言及する気にはならないのだけれど、上記トラバ先の増田がたった一点「震災当時の東京に6000人の朝鮮人はいなかった」という点にこだわってるみたいなんで、それが妥当なのかどうかを考えてみた。
まず、根拠は国勢調査ということだけど、これは大正9年。震災が起こったのは大正12年。そして、震災が起こる前年、朝鮮半島からの渡航規制が緩和され、一気に朝鮮からの労働者が増えた。
この資料ね。
http://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/files/public/4/42108/20160528051714670665/oer_016_4_107_145.pdf
上記資料によれば東京には1920年時点で2053人の朝鮮人が在住していたが、5年後の1925年には10818人に増加している。
さらに、こっち
http://teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/bitstream/10083/12347/1/003809.pdf
によれば、もともと学生が多かった東京の朝鮮人だが、この増加時期にはスラム居住の肉体労働者が増加しているらしい。スラムは統計の把握がむずかしい地域で、他地域に流入していた労働者が就労場所を求めて統計外に流入していた可能性はけっこう高い(そうだという証拠まではない)。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jshhe1931/37/4/37_4_131/_pdf
関東大震災発生の1923年の在日朝鮮人の総数は80415人。で、東京の占める割合はその数年後には13%程度というわけだから、比率が大きく変化しなかったとしたら(仮に10%と低めに見積もっても)震災発生時には統計上だけでも8千人程度がいたと推定できる。
どの程度の割合で殺人が行われたのかわからないけど、在住者の過半数ぐらいにも上るような大殺戮なら、非公式在住者まで含めれば6000人はあり得ないことでもないように思う。だから「ある」という話ではないよ。けど、国勢調査の数字だけで「ない」というのも、けっこう根拠が薄いんじゃないの、っていうこと。要は、確実な証拠はない、ということだろうと思う。その中で関係者が「ま、このぐらいかな」と大雑把に推計した数字なんだろう。それが正確でないということは、いまさらあげつらっても仕方ないのじゃないの?
朝鮮人をめぐるデマは、どうも、この震災の数年前から労働者として朝鮮人が急増していたということが背景にあるんじゃなかろうか。「見かけない連中が増えてきた」という心理が、デマの拡散の下地にあったのではないかと。このあたりは教訓にすべきかもしれないよな。
肌感覚として6000人というのは十分な武器弾薬と組織だった虐殺システムが不可欠なんで「あり得ないことでもない」とは思えないかな。 6000人説の出どころを調べようと思ったら先人が...
やっぱ日本人に武器や権力もたせたらダメだな