2015-09-17

立場を明確にすることが争いの原因なのでは

世の中で何か争いごとが起きた時、誰もがその解決を望むのは当然のことなのだけど、この時にどうしてもどういう立場からその争いごとに取り組もうとするかを明確にすることが求められると思うんだ。

そうすると、今後はその立場に対する責任を求められて結局は立場のものに縛られてしまうことになる。

当然そうして立場に縛られることが原因で争いに巻き込まれることだってある。

日本周辺国に対する立場を明確にする為に安保法案を通そうとしている。

それに反対する立場を明確にする為にSEALDsが立ち上がりそれに賛同するようにあつまった市民政府と衝突を繰り返している。

なんか、もっとなんとなくじゃダメなのかな。

「どういう立場からどういう正義をもってどういう悪を裁きます」と宣言しなくても、「なんとなく人が苦しんでいて、なんとなく助けたいからなんとなく参加します。」でも、十分に世の中は良くなっていくし、もしそうして取った行動が間違っていれば方向転換だって簡単なんじゃないかな。

こういうこと書くと、責任感がとかって始まるかもしれないけど、つまりそういうことで縛ろうとすることが、世の中に無駄な潮流を産んで、その結果苦しむ人を増やしていると思うんだよね。

世界中人間全てが誰に遠慮することもなくマイノリティでいられる。

本当の自由ってそういうことなんじゃないかな。

ぼくは増田からね。今日自由お腹を壊した話を熱心に綴っているよ。

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