2014-01-21

言葉にこびりつく善悪イメージ

とある言葉を見たり聞いたりすると、それが「いいもの」か「わるいもの」か直感的に判断する仕組みが脳にある(と思う)。

それは、今まで生きてきた経験や親や先生から教えられてきたことを学んでいる証拠でもある。


例えばこんな感じ。

核兵器 : わるいもの

殺人 : わるいもの

笑顔 : いいもの

思いやり : いいもの

私は、私個人はこのように分類した。あくまで直感的に。


本題。

私は、自分が持つ歪んだ平等主義へんてこりん擬人化嗜好のせいなのか、何の罪もない「言葉」君に勝手善悪イメージを付けられるのがひどく許せないのだ。

言葉」ちゃんはただ、そのもののことを指すモノであり、それ以上でもそれ以下でもあってはならないと思う。

言葉」様は私の中の平等精神を満足させるすばらしい「ヒト」なのだ


核兵器」という言葉に何の罪もない。なのに言葉自体が悪者扱いされる。

逆に、「笑顔」善意的な響きによって、何事も許されるようなイメージ存在し、これもまた怖い。


確かに、深く考えて、理性を持って熟考すればこれらのイメージを払拭できる場合もある。

しかし、直感的に、本能的に効く言葉と言うのは、脳の中に深くこびりつき根を張る。

頭で考えるより、心が揺さぶられてしまうのだ。


『心が揺さぶられる?いい事じゃないか』と思った方は、『心が揺さぶられる』という言葉にいいイメージを持ってる証拠である




結論:私の歪んだ平等主義へんてこりん擬人化嗜好は、やっかいにも程がある

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