そこには障害者がいた。
彼女の足は義足であって、その歩行はぎこちなく健常者の半分ほどに遅かった。
ぎりぎり歩けている、という印象をもった
でもそういう人は多くみたことがあるしそのことだけが僕の関心をひいたのではなかった
”障害があっても、剣道はできるのだな”
”もしかしたら、筋力維持のためにやっているのかな”
そう思った。
僕はちらっとだけそう思うと夜食用のカップ麺をかってバスに乗り込んだ
バスの後ろの方の座席に座り、買ったばかりの本を読んでいた。
前の方の席の男性がいささか大きめの声で
「席をお譲りしましょうか」と言った
バスは信号待ちのためエンジンをとめており、その声はバス全体に響いた
バスの混雑のなか、義足の彼女は立っているのがやっとであるようにみえた
ただ彼女は断った。
彼は終始うつむいたままだった
彼は彼女に席を譲りましょうかというべきだったのか
結果として誰もハッピーにはならなかった
むしろ全員が不幸になったと思う
僕としては、席を譲るとき、相手に「席を譲りましょうか」と尋ねるべきではないと思うのだ
それはたしかに親切心の表明ではあるけれど、
同時に「あなたの見た目は席に座るべき見た目だ」というメッセージも暗に与えるだろう
もしかしたら
あと一駅だから頑張ろうとか、まだまだ自分は座る年齢なんかじゃないとか、健康のために立っておこうと当人は思っているかもしれない
だけどそういった気持ちは無視されて見た目が障害者だからとか老人だからとかいったことだけで席を譲りましょうかと言われる
しかもその声は周囲の知らない人にも届き、彼らもまた自分のことを「座るべき人」として認識するだろう
果たしてこれは親切だろうか
「席を譲りましょうか」というのは相手に選択権まで与える一見すばらしく親切な行為であるけれど
本当は座りたくない人にとって、この選択肢はどちらを選んでも最悪ではないか
自分の気持ちに反して座るか
相手の親切心を断って立ち続けるかのどちらかしか道はない
親切ってなんなんだろう
わかるまではとりあえず後ろの席の窓側に僕は座ることにする
全ての老人、障害者、妊婦、太ってる女性が、席を譲ってほしいかほしくないかを意思表示する札をつけるようになればいいのにねえ 電車で目の前で立ってる人に席を譲るべきか判断に...
http://anond.hatelabo.jp/20120520233243 前に2歳の子ども。背中に1歳の子ども。右手にはでかいバッグ。 始発駅から電車に乗った。しばらくすると、見かねられたのか「座りませんか?」と声...
考えすぎて親切にすることができないってなんか悲しい 迷子に話しかけると誘拐犯に間違われるみたいなのに近い
「席を譲りましょうか」は駄目だ。 親切な上に相手の意思を尊重しているようでも、その聞き方には、相手が断れば自分が引き続き座っていられるという構造がある。決して意図した構...