2009-02-28

昔話

大学院中退した人の日記が話題になっているようだ。http://blog.riywo.com/2009/02/27/120733

自分大学院中退したことがあるので、昔話を書いてみたいと思う。といっても件の人とは違い、確固たる考えがあってやめたわけではない。

地方の進学校高校にいた自分は、たまたま勉強ができたので東大に進学した。

東大を選んだのに特に意味はなかった。

自分の成績と照らし合わせた結果、たまたま東大になったという感じ。

(一時期は京大に興味もあったが、数学過去問を見てできる気がしなかったので東大にした)

進振りのときも、将来のキャリアプランなどについては全く何も考えず、専攻を決めた。

キャリアプランについて考えることすら思いつかず」と言った方が正しいかもしれない。

4年生になると、当たり前のように大学院受験した。

働くなんてことは想像もつかなかったし「勉強」は嫌いじゃなかったので、大学院を受けないなんてことを考えすらしなかった。


卒業研究研究室に入ってから様子が変わった。

これまでは与えられたことを勉強していればよかったが、研究はそうじゃない。(指導教官の力を借りつつも)自分で問題を見つけ、解決していかなければならない。

しかし自分は、明確にこれをやりたいというものがあるわけではなかったし、論文の探し方すらロクにわからなかった。

一番の問題は「自分に熱意がなかった」ことだろう。

ある問題に対して寝ても覚めても、毎日毎日考えられるような熱意がなければ、研究はやっていけない。

でも自分は、専攻領域に興味はそれなりにあったが、人生をそれ一筋に染めるような熱意は到底なかった。

卒業研究は、全くのまぐれ当たりで面白い結果が出たので取りつくろうことができた。

M1のときの健康診断で、医者だったかカウンセラーだったかの人に対して「やっていけるか不安です」って答えたのを覚えている。

日に日に、自分の中での不安劣等感は膨らみ続けた。

M2のとき限界に達し、修士論文の中間発表に出たのを最後に全く学校に行かなくなった。(中間発表までいったのにもったいないと思う人がいるかもしれない。でも、ぶっちゃけ修士になってから出した成果なんてほとんどない。卒業発表の焼き直しみたいなものだ)

家にずっと引きこもり続けた。

電話も鳴ったが、全く出なかった。電話が鳴るのが恐かったので、電話線を抜いたりしたこともあった。

その後もろもろあって指導教官と数度話をし、結局、籍だけは3年間置いてもらったものの、研究に復帰することなく退学した。


そのあとどうなったかというと、退学後も半年くらい引きこもり続けたあと、このままやっていくこともできないなと思いハローワークに行った。

自分プログラミングしかできることがなかったからプログラマー募集してる会社を探し、そこで見つけた会社に入社した。

今は最初に入った会社とは別の会社で、それなりに楽しく働いている。


今から考えると、修士を取ることはできないことはなかったのだろうなとも思う。

病院に行って適切な治療を受け、研究方法についてわからないことは何でも研究室の先輩や指導教官に聞くべきだったのだろう。

まあでも過ぎたことだし、修士を取れなかったことに対して今は特に後悔の気持ちはない。

そもそも、研究に熱意のない自分が流れで大学院に進んだこと自体が間違いだったのかなと思っている。

退学という強制ルート変更がなければ就職なんて考えられなかっただろうから、退学になってしまって逆によかったのかもしれないけど。

一連の経験自分が思ったこと。

  • 進路についてちゃんと考えよう。
  • 研究したいという強い熱意がなければ、大学院に行くべきではない
  • わからないことがあったら、誰でもよいので聞こう。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。
  • うつ状態が続いたら、怖がらずに病院に行こう。
  • 心の支えになるのは友達だったり仲間だったり家族だったりする。その人たちを大事にしよう。
  • 大学院に行くばかりが人生ではない。
  • 人生、大抵のことは何とかなる。
  • 俺の彼女が東大院で事務員だか秘書だかやっていた。増田とはたぶん学部が違う。 専門的な、守秘義務にひっかかること抜きに、日常業務の面白い話しをよく聞かせてもらった。 その中...

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