「卒業研究」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 卒業研究とは

2012-01-08

迫る締め切りとそれを「怖い」と思わない恐怖

大学の4年生で卒業研究の真っ只中である

まだこの時期になっても作業をしていて論文の根幹となるデータが無い状態だ。

どうしてこんなになるまで放って置いたんだ!というツッコミは甘んじて受ける。正直卒業できなくなるんじゃないかという恐怖もある。だけどその怖さをいまだ現実ものとして十分にとらえていないのではないか。現に起きるのが遅くてラボに行くのが午後になったり、休日も作業すべきなのに何かと理由つけて部屋でゴロゴロしている有様だ。このままでは卒論の要旨提出に間に合わないことも頭の片隅に残したまま。

他の同期や他大学に行った高校の同級生は順調に卒論執筆に取り掛かっている一方、私はこの体たらくだ。もう卒業できなくてもいいんじゃないかとさえ思いはじめている。研究に対する熱は今のラボに入ってからどんどん冷めている。ラボ配属当時の熱は今はもう無い。ラボに行くのですら億劫と思っているほどだ。私の性格研究に向いていない。身にしみてわかったことだ。

父が「大学なんて行かなくてもいいじゃないか」と言っていたのがここにきて考えさせられる。自分は何のために大学に入ったのか。学士が欲しいから?モラトリアム続行のため?今まで自分は何も考えてこなかった。ネガティブな考えがぐるぐるしている。

でも、今やっていることがどんなにほかの人と比べて遅くてもやることだけはやらなければこれから人生はないと思ってやっていこう。自分怠惰な心を振り払って進めよう。たとえ周りから蔑まされて自分仕事が評価されなくてもいい。いっぺん精神地獄を味わうつもりでいこう。卒業できればお慰み。

落ちるところがなくなるまで自分を落としていこう。

2011-10-29

他国の情報

私は今大学4年で卒業研究をしている。

最新のことを知るにはどうしても英語論文を読まなければならない。

またあまり学科として設置している大学が少ない分野なので日本語で良い教科書ほとんどない。

なので勉強するにはどうしても英語が必要になる。

別にこれに不満を持っているわけではなくて、日本語しかできないということは手に入る情報がそれだけ限られる。また労力をかけなければならないんだと思った。

また同じようなことを思う機会があった。それはサッカー日本代表ワールドカップアジア三次予選でタジキスタンと対戦したとき

あの時、タジキスタンサッカー代表の情報はおろかタジキスタンという国自体の情報があまり無かった。

この時にタジキスタンで生活していたら生の情報を伝えれてすごい有用だったろうなーとかおもった。

日本人が少ない国に行けばそれだけで重宝されるだろうと。

上手くまとめられないけど、日本語しか出来ないけど色んな情報知りたい人がいる限り、翻訳なり情報を伝える人が活躍出来る場所はずっとあるんだなと思った。

2011-10-09

なんのために生きているんだろう

人の価値はなんで決まって

自分価値って何で決まるんだろう

自分に生きる価値ってあるのかな

また不採用通知が来たよ、卒業研究にも手が付けられてないし、自分がいやだ。

思い通りにいかないといらいらする自分が嫌だし

不採用のために自分に生きるかqちなんてないんじゃないかと落ち込んでしま

正直楽になりたい

なんで生きてるんだろう

2011-10-03

から見てもその内容に納得できて、取り組んだらひと月で終わるような卒業研究テーマはないものか。

うちの研究室では、プログラミング教育のためのシステム開発か、開発したシステムを利用することで何かが便利になるシステムを開発するのが主だ。


しかし、システムを開発するんだからプログラムを作らないといけないわけだ。

システム既存システムの改良版をひと月で作ることができるのか?

2011-09-27

もう手遅れだ、自分でもすでに気付いているだろう

去年の10月に、研究室に配属された。

この研究室ではシステムを作るのが主な研究テーマである

翌年の3月末に卒業研究テーマの案を持って来いと言われた。

提出したのだが、これではダメだと突っ返された。

この時に危機感持って一所懸命取り組むべきだったと後悔している。

ずるずるとテーマ提出を引きずり、閃いた案を出すも、「中身がない」というので突っ返された。

幾度か出したが、下調べが殆ど無かったりや机上の空論のようなものテーマとして成り立たないものばかりだった。

7月ごろに先輩からアドバイスをいただいたのだが、それ通りに動かず、好機を逃した。

それでいまでも研究テーマが決まらないまま放浪している。

このような状況にいるので、精神的にキツい状態に陥っている。

もし今、卒業研究テーマが決まっても間に合わないだろう。(時間的にも技術的にも)

いっそのこと留年して研究室を変えた方が良いと思う。

そうしたほうが気持ちが楽になるだろう。

今の状況が辛いのは今年度卒業するということを考えているからだ。

今年度卒業することを執拗に考えるのは、これは親のためにそう考えているのだろう。

就職しなければならないしや就職後は奨学金の返済もあるからだ。

しかし、留年する場合、様々なリスクが生じるのは抗えない。

2011-07-24

学ぶということ?

高校時代半分死にそうになりながらも勉強して、どうにか大学に入って、ようやく前期も終了しました。で、前期を振り返って、やっぱり大学に入ってよかったなーと思いました。

自分自身、高校時代はホントに勉強が嫌いでした。何のために勉強するのか理解できなかったんですね。けれど、半ば無理やり頭に詰め込んでおりました。じゃないと赤点とって大変なことになってしまますからねw一度取りそうになりましたがどうにかこうにか云々。

で、どうにか興味のある分野の勉強ができそうな大学を見つけたので、まあ少しは勉強に対するモチベーションが上がって、結構涙目になりながらも合格して、晴れて大学入学することになりました。



大学勉強は、高校とは比べ物になるものじゃなかったですレベルとか、内容とか、速さとか、量とか、いろいろ。

けれど、私の勉強に対する考えは大学に入ってから結構変わりました。勉強って面白いじゃないの、学問って結構楽しいんじゃないの?って。



講義中に謎いところがあって、どうしようもなくモヤモヤしてしまったので、担当教授突撃してみることにしました。緊張しながらも、講義が終わった後教授の所に行って、質問してみました。が、ハッキリとした答えがもらえませんでした。けれど、そのまま放置してみるとモヤモヤが増すばかりだったので、まあ仕方ないやと思い、教授からもらったヒントと、図書館ネットで調べたことと、講義中に知ったことを組み合わせて考えをまとめてみようとしました。最初はホントに難しかったです。けれど、すごい楽しかったです。ああでもないこうでもない、と悩んでいるのがすごく楽しいし、自分なりに答えを見つけたとき快感は、一度体験したらなかなか離れられないものですw(これをやっていたお陰でレポートには困らなかった、というのはヒミツw けれど、考えすぎて仕上げるのに結構時間かかったなぁ)

で、ホントにそれでいいのか疑問だったので、自分の考えを教授にぶつけてみたら、その後、すごく興味深い話を沢山聞くことができました。そこでもやっぱり分からないことがあったので、モヤモヤしならも調べたり考えたりすることにしました。今もちょっとモヤっとしてることがあるのですが、夏休みが終わったら全部ぶつけに行こうかと思っております。ぶつけられるように準備しないとなー。

あー、でもまずはテスト終わってからだー、単位落としたくないー。



まあ、こういう動きを見てると周りの方々に引かれるわけですよ。ガリ勉乙、と。でも、私は別にいいんです、それで。だって面白いんだもん!!!!仕方ないんだもん。かっぱえびせんと一緒ですよ。やめられないし、止まらない。それに、楽しい大学に入ってよかったなーと思っておりますよ、今は。

え、それだけだったらただのガリ勉じゃないかって?問題ないですサークルとか恋とか友人ズとカラオケ大会とか学祭とかゼミ会とか、いろいろ楽しいですよ。これだけみるとリア充っぽいですが、たぶん、リア充じゃないです彼氏いないもん!w



ああ話ずれた。



学ぶということってなんなんでしょうね。っていうのが目下の疑問です大学に入った以上、学んで、3年生の後期くらいからは卒業研究もしないといけない。

私のやっていることは「学問」の真似事になってしまってはいないだろうか、とふと思うのです。もちろん、そうやって巨人の肩の上に立たないことには何も始まらないのでしょうけれども。

真似事じゃ、面白ないじゃないですか。やるなら、ガチで、本気で、学問とぶつかってみたいのです。友人たちには言えませんが。こんな事言うとホントに引かれかねないw

まずは、自分がやりたいことを洗い出すと、前提となる知識を付けて脚力をつけることから、始めたほうがいいのかもしれないですね。まだ、分からないことがたくさんあって、手探り状態ですし。

ガチでぶつかりつつも、楽しめれば一番最高なのですが、そううまくいくのかしら・・・w





こんなgdgdなモノをここまで読んで下さりありがとうございました。考えをまとめずに書き始めるとやっぱりうまくいかないwww

2011-03-05

http://anond.hatelabo.jp/20110304145631

知り合いに無い内定の人がいた。(二人とも今は内定持ち)ちなみに同じ学校で同じ学部学科で一般受験

A.いかにもスポーツマン、ハキハキ、さわやかタイプ学業普通というか要領のいいタイプ

高校ではインターハイいってるし学内でも競技会トップ、非認定サークル所属

B.よく言えば大人しい(暗い)、ゆっくり話す、人見知りする/されるタイプ学業比較的よい(なんでも頑張るタイプ)で学校認定のサークルに入っている。

(ちなみに学校認定になると部室が与えられ、活動費も補助が出る。ただ公認になると学校からお金のチェックが入るので面倒。)



このAとBの二人が内定が出なかったという現実は同じだけど、過程がかなり違う。

Aは営業職、BはSE志望で書類・筆記は問題なく通過。ここまで状況は一緒。

Aの場合は一次面接なんか雑談していれば通ってしまう、2次以降はそれなりに準備するけどほぼ全て通過。でも最終面接で落とされる。

(特にAの場合は大手のインターンシップに受かり、インターンシップ後の入社の意思確認程度とされる最終面接で落ちている)

Bの場合は一次面接に通らない。たまグループディスカッションやディペートで通る時もあるけど個人対面接官になるとだめ。

から、数だけ言うとBの方が沢山会社を受けていることになる。

Aいわく「Bは人間的に欠陥があるのではないかフツーにしてたら一次でおとされないでしょ」



BはAからこれを聞き、非常に落ち込んで学校就職課を訪問した

学校主催セミナーに参加しなかったのかなど(Bの落ち度ではないか)と聞かれたが、

Bには第一印象が悪い自覚があったので申し込んだが抽選に外れたと素直に言ったそうだ。

就職課で話を定期的にして自分精神状態は悪いと思ったBは2週間程度全く就職活動はせず、卒業研究に打ち込んだ。

情報収集から始めたので都合1カ月は活動しなかったという。

そうしているうちにやはり試験会場で知り合った落ち込んでいる子と移動時間世間話したりして、

「全部の人から嫌われている訳ではないと」やっとリラックスした状態で面接に挑むことができ、内定に至った。

ちなみにBは内定を2つの会社からもらったが、

偶然2社ともに面接者に身障者がいた(管理職クラス)ので人を受け入れる間口が広い会社だったのでは?

とBは言っていた。



Aはいけどもいけども最終面接で落とされ、これも落ち込んでいた。

そこで業界内でもBtoBで専門的にやっている所よりは、BtoCも展開している規模や知名度の大きい会社アプローチした

すると満足はいかないもの内定は取れたという。

Aは大手メインの秋採用や通年採用にも応募したがBtoBの会社はなく、やはりBtoCの部門のある会社選考が進んだという。

結局、Aは納得のいかないのものの当初内定のとれた会社に行くことにした。(本人が納得していないだけで知名度も規模もある会社




こんな話がありました。参考になればと思います。

あとSEなら民間だけではな公務員や団体の技術職と言う手もありますよ。

2011-02-16

(◕‿‿◕)ラノべえ「そんなことより僕をテーマにして研究生になってよ!」

つい先日、卒業研究を終えました。この日記は後輩やこれから卒業研究を自由に決められる人のためになればいいな、程度に書きました

私は卒研テーマに「ゲームをする人」を掲げ、一年自分のやりたいことを自由にできましたので、非常に幸せしたですので、後輩にもぜひ好きなテーマ卒研をして欲しいと思っていました

私の同じ研究室には、3年生の後輩の一人に、「ライトノベル(以下ラノベ)を読む人」をテーマにして、実際発表した後輩がいましたしかし、後輩に「今の自分研究テーマをそのまま卒研にするのか?」という旨を尋ねたところ、悩んでいるという回答が帰ってきました

どうやら、発表の反応が鈍いことで二の足を踏んでいるようでした

そこで私は思い切って、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NOwikipedia考察いかに素晴らしかたか」という話をしたかったのですが、酒の席であること、他の後輩もいたこと、説得力に欠けていたこともあって、遺憾ながら場は白けて終わってしまいました

この世の果てで恋を唄う少女YU-NO - wikipedia ((http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%81%93%E3%81%AE%E4%B8%96%E3%81%AE%E6%9E%9C%E3%81%A6%E3%81%A7%E6%81%8B%E3%82%92%E5%94%84%E3%81%86%E5%B0%91%E5%A5%B3YU-NO&oldid=28528480))

また、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」は「アドベンチャーゲーム」の代表例として実際に卒業研究になっているようです

CiNii 論文 -  マルチシナリオゲームにおける並列世界モデル ((http://ci.nii.ac.jp/naid/110002942865))

これらを編集、記した方々は私よりも遥かな、確かな、達成感・効力感を持っているに違い有りません。(実際、素晴らしい考察だと思いませんか?)

他にもネットを探すとユニークテーマに出くわせます。例えば「プロ野球選手結婚するための方法論に関する研究」なんて研究もあります

卒業研究は、CiNii - NII論文情報ナビゲータ ((http://ci.nii.ac.jp/))で検索しなくても大学生ならば、各々の大学の概要集を捲れば自然と笑みがこぼれるものです

しかに、「好きだからテーマしますたwwwサーセンwww」なんて動機は発表までに、必ず根本的で大きな壁とぶつかり、ツケを払うハメになるでしょう。ですが、学生の本分は研究です研究について真剣にできるならば、それが真に正しい姿だと思います。

学生のあり方について、素晴らしい文章があります

修士論文の代わりに退学願を提出してきた - As a Futurist... ((http://blog.riywo.com/2009/02/27/120733))

=====以上が、今回の日記意図です

もう一つせっかくですので、私がなぜ「ラノベを読む人」が素晴らしいテーマだと思うかについて書きたいと思います。

論文とは「問い」です。一般的に論文テーマとなる問い(リサーチクエスチョン)は根源的な、直感的なものが白眉であると知られています。

ラノベを読む人」で解釈すれば、「ラノベを読む人はなラノベが好きか」ということになるのでしょうか?

これはなかなか直感的だと思います。もちろん、大きな欠陥があることも否めません。それは、村上龍のこの箴言に集約されていると思います。

「「好き」は理性ではなエモーショナル部分依存する。だからたいていの場合、本当に「好きなこと」「好きなモノ」「好きな人」に関して、わたしたちは他人に説明できない。なぜ好きなの?どう好きなの?と聞かれても、うまく答えられないのだ。「好き」が脳の深部から涌いてくるもので、その説明を担当するのは理性なので、そこに本来的なギャップが生まれるからだが、逆に他人にわかりやすく説明できるような「好き」は、案外どうでもいい場合が多い。」

無趣味のすすめ - 情報考学 Passion For The Future ((http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1021.html))

つまり、「どう好きかは聞き出せない」という点です。聞き出せないならば、研究意義はないのでしょうか?それは違うと思います。つまり、いままで『「説明でき」なかったであろう「好き」の理由』を導ければいいのです

そのためには、誰よりも人一倍考察が半ば前提的に必要になると思いますが。(私も自分の先輩に研究前にコテンパンに全否定されましたが、それがあっての卒業研究になっています。)私の後輩の考察は活き活きと良く出来ていた分、勿体無いという感情がたしかに私の中にはあるのです

さて、前提的な考察は、すなわちラノベの「定義」と、研究する「意義」とに、密接に関わっていきます。まず、ラノベの「定義ですが、混沌としているようですね。

青少年を対象にした娯楽小説

程度で良いと思います。「読む人」に焦点があるならば、よく読む人はおそらく青少年から成人男性20~30代)でしょうから。(成人男性青少年対象の小説を読んでいる点は「オタク」で考察・解説すれば重複すると思うので、日記では割愛します。)

また、文学物語といった点に対する「ラノベ」の遍歴も欠かせないでしょう。ここで、古めかしいものとの接点を設けること、考察をしてるサイト、本から概念引用することが結果を導く前から既に必要となります

例えば、物語的に観れば大塚英志提唱した物語消費」がありますね。また、ラノベではありませんがアドベンチャーゲームとの類似点があると思います。

れとろげーむまにあ: アドベンチャーゲームを振り返って思ったこと((http://nesgbgg.seesaa.net/article/185700949.html))

ライトノベルにおいてもゲーム的な世界観が必要であり、大きな影響を与えてきたということは言われていますね。

また、純文学の外に広がるキャラ萌え世界について詳しい

オタクたちのメンタリティには、教養主義文学性を引きずりながらも、シミュラークルに代表される動物的な消費社会の波に骨の髄まで浸かっているという両義性がある。という指摘をした東の「動物化するポストモダン」(1・2)も取り入れられると思います。

東浩紀動物化するポストモダン|FRAMES INTERVIEW ((http://moura.jp/frames/interview/070423/03.html))

ここで、「外部性」や「キャラ萌え」(この日記では、美少女キャラに限定します。)が「文学としてのラノベ」のキーワードカテゴリー)として浮かび上がってくるのです。言い換えれば、「外部性」は「社会性」、「キャラ萌え」は「女性性」にあるといえるでしょう。

ところで、先ほどラノベ定義は「混沌」としていると述べましたが、同じく「混沌」とした定義文学に「SF」がありますね。

サイエンスフィクションもまた、外部性の幅が限界まで拡張されることによって何十年も前から定義は揺らいでいました

ここで一つのSF批評を紹介します。

小谷真理の『女性無意識』に対する松岡批評です。なお、小谷真里は、SF研究者であり、ラディカル・フェミニストであるそうなので「文学としてみたラノベ」を知る上で意外に検討する必要があると思います。

最初ハーバード大学フェミニズム文学者アリス・ジャーディンが「ガイネシス」(女性的なるもの)という言葉を造り出した。 (中略) テクノイネシスはそれにもとづいて提案した概念で、

父権的な社会蔓延するなかで女性的な無意識の紐帯が結ばれていく可能性を示していた。

長いあいだ、文明の基準や男性覇権社会価値観のなかでは、普遍的すぎる母性、すべての他者をとりこむ包容力、あるいは基準をいちじるしく逸脱する狂気、説明のつかない無意識などは、しばしば社会の外部に押しやるべき面倒として片付けられてきた。中世魔女裁判だけでなく、近代以降も「女子供の戯言」として片付けられ、20世紀後半になってもこの傾向と対決するためのウーマンリブ運動セクハラ問題が噴出してきた。

では、そのように外部に押しやられた意識をつなげたらどうなのか。あるいは、家庭という内部(実は外部的辺境)に押し込められた意識といってもよい。男性から見れば、多くの家庭は基準社会の外部にあたっているからだ。 ジャーディンはこういう問題を引き取って、そこにはそのままこれらを連鎖させるべきメタネットワークがありうるのではないか、それは女性無意識を象徴するガイネシスになるのではないかと見た。

(中略)著者はこんな出だしで手をゆるめない。次から次へとバウンダリートランスグレッション(境界侵犯)を見せつけた。

また、女性SFに関してこういう考察もなされています。

それにしてもいつのまに、女性こそが文学可能性と限界を語るに最もふさわしい発言者だという情勢になっていたのだろうか。

まずはエレイン・ショーターが父権文学規範の修正を迫ったそうである。ついでパメラ・サージェントが『驚異の女性たち』のなかで、メアリーシェリーの『フランケンシュタイン』に始まる女性SF史がありうることを指摘した。他方、これに呼応するかのようにして、陸続とサイエンス・フィクションに挑戦する女性作家が出てきたようだ。 そこで、ヴァージニア工科大学の英文学者マーリーン・バーが「女流SFフェミニズム理論には相似的な進行があるのではないか」と指摘した

(中略) なぜこういうことがいえるかといえば、マーリーン・バーによると、多くのSFは“外部の他者”を描くわけだけれど、そこには現実を超えた出来事があまりに現れすぎて、文学的にはサブジャンルに追いやられるようになっていた。

しかし考えてみれば、そのように追いやられる宿命をもっていたのは、実は“外部の他者”の扱いを受けつづけてきた女性なのである。これではSFフェミニズムとが連関していて、まったく当然だったということなのだ。

松岡正剛の千夜千冊『女性無意識小谷真理 (( http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0783.html ))

ということで、ここでは「外部の他者」たる女性文学との密接な関連がみえてきました。これは美少女に「キャラ萌え」する「ラノベ」も他人ごとはないのではないでしょうか?

では、そもそも男性にとっての「女性」とはどういうものなのでしょうか?もはや哲学の領域に関連しているように私には思えます

そこで、デリダにとっての「女性」というものを引用します。ちなみに、「動物化するポストモダン」の著者であり、前述した東は

「【デリダとは】仏哲学者20世紀のすぐれた哲学者の常として「哲学なんていみなくね?」というのをすごく哲学的に言って、ややこしくなってしまったひと。でも基本の着想はいいので哲学呪縛から解き放たれればいい仕事できた可能性がある。」

ツイッター上で紹介しています。* ((http://twitter.com/hazuma/status/24868908779446272))

デリダは、「真理が女性であるとすれば」という『善悪彼岸』冒頭のニーチェの仮定から出発して、「女性というもの(=真理というもの)」は存在せず、したがって「性的差異というものも存在しない」という驚くべき帰結を導き出している。(「性的差異」の問題が重要はないと言っているわけではない。逆に、デリダは、ハイデガーニーチェ読解には、「存在論的差異の問題」はあっても「性的差異の問題」がないことを問題にしている。)

ニーチェは『悦ばしき智彗』の中で、「女性たちの最も強力な魅力は、それを遠方性において感じさせること」、つまり「遠隔作用」だとしている。

女性の魅惑を感じるために、「遠隔」が必要なのであり、遠隔のところに身を置くことが必要なのである

女性というものは、「遠ざけるものであり、自分自身から遠ざかるものなので、女性本質存在せず」、「女性の真理は存在しない」。

女性は、真理が存在しないことを知っているのであり、真理の存在を信じない限りにおいて、女性であり、真理であるのだ(女性本質、真理の本質は、それが存在しないということであり、自分存在しないということを知っているということである)。

実際のところ、「女性=真理」を信じているのは、「男性」なのである(この意味で、フェミニスト女性たちは「男性」なのであり、「フェミニズムとは、それによって女性男性に、独断論者の哲学者に似ようとする活動」だということになる。)

ニーチェの『善悪彼岸』の「序言」の冒頭は、次のように始まっている。

真理は女性であると想定すれば、すべての哲学者たちは、彼らが独断論者であったかぎりにおいて、女性たちをうまく理解できなかったのではないかと疑うべき理由があるのではなかろうか。

そして、これまで彼らが真理を探求してきた際の恐るべきまじめさ、不器用な無遠慮は、女の子をものにするためには、拙速で不適切なやり方だったのではないか

デリダ女性も真理も、与えることによって所有するのであって、こうして贈与=所有も非弁償法的な決定不可能性は、あらゆる存在論的、現象学的な解釈の試みを失格させてしまう、とした

つまり、贈与に先立つ固有なものの存在がないのだから女性(真理)というものはないのであり、性的差異といういものはないということになる。という帰結に至った。

(知の教科書 デリダ 著者 林好雄 廣瀬浩司

見事にややこしいこの解釈から女性の振る舞いは虚構的であるという面ががわかってきたのではないでしょうか。

ニーチェ芸術的と指摘しましたが、遊戯的、ゲーム的と捉えても過言ではないでしょう。

つまり、オタク男性)にとって、ラノベとは

女性という存在外部性とを遊戯的につなげている文学メディア媒介装置

であることがわかります。(また、女性性を獲得し、同時に女性に所有されたいという願望を解消するメディアとも解釈できます。)

十数年前に、男性オタク達は「萌える」という言葉発明した;「萌える」という言葉を使えば「セックスしたい」「愛してる」といったストレート表現を避けながら、美少女キャラクターへの思慕をオブラートに包んで表現できる

オタクが豚になった――「萌えるからブヒる」へ - シロクマの屑籠(汎適所属) ((http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20110215/p1))

という指摘もあります

例えば、オタクにとっての現実における外部性インターネットがあります

オタク男性であろうツイッターユーザーアイコンが、イラストアニメ美少女アイコンである可能性が高い点はオタクにとっての外部性無意識に象徴しているのではないでしょうか。

また、ラノベ作家は決して女性が多いというわけではないですが、その必要はなく、いわゆるユング提唱したアニマ(男性女性的側面)による手で書かれている点、それがラノベを好む多くの男性読者に受け入れられている点こそ検討すべきでしょう。これはつまり、女性を真理とするのではなくアニマこそを真理とするさらなる「遠隔作用」をもたらしているとも考えられますね。

このアニマを真理とすることによる遠隔作用の効果としての共時性

先程のツイッターイラストアニメ美少女アイコン無意識的に選択させる要因になっているかどうかを検討することは興味深い対象ではありませんか?

以上より「ラノベ読者はなラノベを好むか」という問いの考察を注意しつつ踏まえ、ラノベ読者(男性)の実際に構築しているコミュニティ家族間の関係、他の好きなメディア媒体等について研究することは簡単には説明できなかったラノベ読者の感性、つまり一つの社会的な側面を知る上で、大いに意義があると思うのです

ラノベ本質は-文学であり-女性性であり-外部性であり、それがラノベ読者の実生活と対照的にどう関わるかが重要なのではないでしょうか?

私はそのことについて考える限り、とても意義ある研究だと断言できると思っています。

2011-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20110210232910

心底驚いた。

そもそも研究目的はそっちが考えることだろ,と言いたいがどうなんだろう.

研究目的を他人に決めてもらってそれを「研究」と呼んで良いっていう研究分野があるとは思ってもみませんでしたが、どこら辺の分野なんでしょうか。あるいは、ひょっとして「教授研究の下請け」のことを「卒研」と称しているだけのことなのでしょうか? さもなくば「卒研」というのは「卒業研究」の略ではない、とか。

2011-01-25

http://anond.hatelabo.jp/20110124015917

卒論を書く段階にある学生ならば輪講や参考文献でそれなりの本数の論文を読んでいるし、

研究室にある過去修士論文等を参考にして書けばよいので、教授がわざわざ作文の指導をする必要はない。

学生研究をさせ、ゼミで進捗報告させて議論することが卒業研究教育

ここで適当な発表をしようものなら容赦なく突っ込みが入る。

卒業研究には、そもそも成果など求めらおらず、教授は結論が分かっていて研究テーマを与えている。

なので、卒業論文自体に学術的価値があるわけではないし学生卒業に値するかどうかというのは研究を通して物事を理解する努力したかというだけのこと。

それはゼミで議論していれば分かることなので論文を読むまでもなく点数はつけられる。

2010-11-10

人格が歪むような、大学院生になるなよ?

私の知る範囲での事なので、全てには当てはまらないことを前もって言っておきたい。

というか愚痴だ。


理系、特に理学においては、「研究者になる」ということに、憧れを持つ人は少なくないと思う。

そして、一度はノーベル賞を取ってみたいと願い、

(行動はともかく)燃える時期があるのではないだろうか。


しかし、そんな気持ちはゆっくり熱せられ、急激に冷める。

おそらくピークは学士3・4年。研究勉強の大きな違いにショックを受けるからだ。

多くの学生は、漠然とした興味から研究室を選ぶ。

そして、卒業研究が、彼らの望む研究とは遠くかけ離れたものになることも毎年のようにある。

その傾向は大学卒業後に就職する学生たちによく当てはまる。

彼らに全くやる気が無いわけではない。

1年で(正確には半年強だが)やれることなど、たかが知れている。

時間が不足しているのだ。

だから、担当教員は悩みながら、1年でできる程度の課題を彼らに与える。


不幸なのは、それに気づかず、

大学ではたいしたことなど出来ない」と見切りをつけていく学生たちだ。

彼らの研究室所属の1年が喪失したものにならないことを願う。

あるいは、エントリーシートの数百文字程度の内容には、なっただろうか?


さて、理学を専攻する学生の半分程度は大学院に進学する。

ある学生大学院入試で、さらに高い学歴を狙う。

学歴ロンダリングなんて言葉は、私の周りでは聞かない。

(ここでの定義は、「最終学歴大学院として、卒業大学より上位の大学大学院生として所属すること。

その行為によって学歴はよくなるはずなのだが、己の学歴に対するコンプレックスを逆説的に強めてしまうこと。)

ただ、ネット上や、彼らの中でもコンプレックスの強い人物の心のなかには、はびこっていることだろう。


しかしながら、有名大学の大学院に進学することは悪いことではない。

現実的に、いわゆる上の大学になるほど、科研費その他もろもろにおいて、

資金は潤沢な研究室が多い。

良い研究をするには、良い環境の中でという考えもあるのだから。


問題はその一歩先にある。

大学院に進学したということは、「閉鎖性」に身を置くと同義である。

例えば、

人間関係研究室内で完結する

研究自体が一人=独りで行う

・取り組んでいること自体に特許や機密性を持ちうる

もちろん、例外は沢山ある。持ちつ持たれつで、他の研究室と交流する研究室もある。


これは私の強い主観だが、大学院生が学部生より無気力に感じる時がある。

彼らがモラトリアムを満喫しているのではなく、「閉鎖性」に慣らされてしまったのではないかと、

心配してしまう。


さて、大学院生になると、すぐに決断のときが訪れる。

(本来は学部3年で考えておくべき事だが)

博士になるべきか否か?

ここで就職を選んだ人は幸せ者…と言われる(私はこの考えに賛同できない)

理由は明白である。

博士号取得後の職が不安

・学費をさらに3年以上も払いながら研究する金銭的問題。

・閉鎖的環境に対する嫌悪

・たかが2年の研究の出来に絶望する。

視野が狭くなる

あなたは他にも理由を挙げることができる。

同じ研究室博士性格がアレだから。とかね。


いろいろな問題点があるが、ひとまず「閉鎖性」に焦点を絞りたい。

大学院生が学部生より2万円ほど初任給が高いのは、

この環境での成長や得たスキルがあるためだ。

多く言われるのは、「論理的に物事を話せる(ロジカル・シンキング)」だ。

研究内容も問われることがあるが、たった2年の研究だ。

(就職活動修士1年の10月に始まることが多い)

企業にとっては、その研究内容よりも、学部で学んだ専攻が重要だろう。


すると、「どのような閉鎖性を含んだ環境に身をおいたか」が重要になってくる。

閉鎖性の問題点は先に挙げたとおりだが、メリットもあるのだ。

・一つの物事に没頭できる環境がある

日常生活自由度という点においては、修士が最も高い。学部生には単位の問題、博士には博士号の問題がある。

時間研究に削られるかもしれないが、タイムマネージメントをすることにより、効率的に行動を起こせるようになってくる。

学会発表等の機会が増え、「自分の考えを分かりやすく説明する(コミュ二ケーション能力)」

(社会人には負けるだろうが)

だから、学業就活で頑張ったことに成りえるし、

人間関係学会バイト趣味留学・お隣りの研究室で補うこともできるんだよ。


私はやる気のない受動的な人間ほど、閉鎖性のデメリットをもろに受けてしまうと考えている。


私の立場は、有機化学系の研究に携わり、仕事上ある研究室をちょくちょく訪問する研究員としておこう。

匿名だし愚痴だから、この話を丸々信じちゃ駄目よ。

そこの大学院生物語


彼らの多くは就職先が決まっているあるいは、博士へ進むことが決まっている。

だから、能力企業の人事の眼鏡にかなっている。

けれども、以下の状況からは、その能力を疑わざるを得ない。

・彼らは集団で、気に入らない博士後期の学生いじめうつ病に追い込んだ。いじめられた学生は、病気を患ったまま研究室を去った。

彼の将来の生活は本当に闇。

・彼らはセクハラをする。理系女性が少ないのは周知の通り。

ディタッチはさすがにないが、下ネタを一日10回以上、同じ研究室女性へ敢えて聞こえる言う。

もちろん、性別のシンボルを表す3文字の言葉である。

研究室女性が訪れたときも、敢えて言う。

担当教員は、セクハラに関して「男が多い世界だから仕方がない」とのこと。

・彼らは集団故に、上記の罪悪感は無い。

研究に積極的に取り組んでいるのは少数。あとは担当教員の言いなり。

まぁ、言われたことはやれるんです。

だから、発表できる程度の結果は残し、大学院生としての最低限はクリアしている。

・気に入らない人間を探し、悪口とその人の不幸をいうのが日常の楽しみ

人間関係研究室で完結すると、周りが気にならなくなるからね。

メシウマ!」って叫ぶ人間、初めて見たわ。

残念ながら、彼らはロジカル・シンキングのできる幼児に「成長」してしまったのではないかなぁ。

彼らは大学院生にならない方が良かったのでは?

学部生の時の方が実はピュアだったりして。


研究室が悪いのか?その担当教員管理能力が悪いのか?彼らが悪いのか?

私はそういう原因を探る問いが有効な手段ではないと考えている。

出来れば、研究室自然消滅かなぁ…。そうすると、私の食いぶちがなくなるので困るが。


ともかく、彼らにとって大学院生キャリアになり得た。

彼らの人生はこれからも長い。他人を平気で潰していくのかな?

そして大事なモノを閉鎖性のブラックホールに吸い込まれてしまったのだろう。


願わくば、他の大学院生が彼らのようになりませんように。

狭い狭いアカデミック世界の、小さな愚痴。私も歪みかけているのかな?

2010-09-22

思考停止」は悪だ、という考え方が悪だ

俺の知り合いに居るんだけど、例えば大学テストがあったときに、とりあえず公式を覚えてある程度の概念を抑えておけば出来る小テストなのに、

公式をほとんど覚えてきてないのね。そんなん参照なしのテストで点取れる訳ないのに・・・って思うんだけど、「公式を丸暗記ってのは思考停止だ」的なことを言い出して、そいつが何やってたかと言えば、もっともっと専門的な本を引っ張り出して学問本質みたいなところから調べてる訳だよ。


お前それを理解する為には、かなりの労力と時間経験が必要になるぞ?何でテストの前日にそんなことやってんの?と思ったんだけど、やめる気ないのね。

結局そいつは単位足りなくて留年して、次に出会ったのは、俺が院一年目でそいつが4年の卒業研究として同じ研究室になったときだったんだけど、

まったくと言っていい程、使えないのね。そりゃ表には出さないけど、このままやらせたらこっちも危険ですよって教授に直訴するレベル



何が言いたいかっていうと、それを最近思い返したとき、「あぁ、思考停止=悪って訳じゃないんだな」って思った。

だって何かにつけて、「本当のところは?」「本質は?」「そもそも何故こうなるのか?」なんて考えていたら、まともに生活すら出来ないし、チャンスをいくつも逃すよ。

自分の専門分野においてきちんと深い部分まで理解するのは大切だけど、「今、自分にとってどこまでが大切なのか」ってのはやっぱり重要な要素なんだよね。


何でもかんでも、何かにつけて「思考停止」を盾にディスるのは簡単だけど、「極端に思考停止をしない」ことに対する問題もあるってことを分かって欲しい人がやっぱり一定数居る気がする。

2010-09-11

生きているんだか死んでいるんだか

時間を1分1秒無駄にしてはいけないという強迫観念らしきものが四六時中頭の中で喧しい。

当面の間しなければいけない事と言えば、生活費を稼ぐためのアルバイト大学卒業研究だけで

スケジュールを立て、それに従って時間を使えば、生活に必要な金額分働きながら研究を進めることも十分可能なはずだ。



だけれどどうにも落ち着かない。常に切迫した気分が抜けきらない感じ。

余暇中に遊んだり、だらだら過ごしていると無為に過ごしているとしか感じられず、無意味に気が焦ってほとんど気晴らしにならない。

予定以上に長く睡眠を取ってしまうと、今日スタートからしてダメだと思い、無気力な気分に陥る。

移動時間やちょっと手が空いた時間をなにもしないで過ごすことに苦痛を感じる。



もっと効率良く事を運べば、働ける時間を増やせるのではないか、

無駄にした時間を時給に換算するといくらになると思っているの?

あともっと生活費をきりつめろ、なんて謎の声が脳裏をかすめたり。



最初は大して気にならないレベルでしかなかったその声が段々と大きくなり、やたらと疲れやすくなった。RPGの毒状態みたいに体力がじわじわ削られていく感触。



とうとうスケジュールを放棄して、最低限やらねばならない事以外、寝てばかりいるようになったここ1ヶ月。

だらけているよなぁとは思うけれど、どうにもならない。



とりあえずどうにか大学卒業まではなんとかしよう。

2010-03-12

http://anond.hatelabo.jp/20100312095621

っていうか、研究落として卒業できなかったってやっぱりあるの?

理系学部だったけれど、なくはないです。

卒業研究が必修だったら落としたら卒業できないです。

理系は必修のところが多いよね。

研究の結果、もくろみがハズレていても、それはそれでデータになるので、

研究落とす=やってない」です。



うちは選択科目だったんで、他で単位が足りてれば取らなくてもよかったんだけど、

卒業研究をやらない=研究室に所属しない=教授OBとのつながりが弱い

なので、みんな取ってました。

毎日研究室に詰めてるのは実際に実験するグループ

そんなに来たくない人は週1~2回くらいの論文調査のグループに入ってました。



多少まずい卒研であっても卒業させる方向だったけれど、

2月頭の学科全体の卒研発表会でもまだ序論までしかできていなくて、

適当にやった実験お茶を濁そうとして、教授に怒鳴り飛ばされた人がいた。

結局卒業半年延期になったんだったかな?

2009-11-25

http://anond.hatelabo.jp/20091125040728

卒業研究といっても学部の卒論は本当の実践的な「研究」としてみられることは少ないので安心すると良い。

遅れていたって、クソみたいな結果だって、本気でやって形になっていれば大丈夫。舐めた論文書かなきゃ大丈夫。新規性なんてよほどの事が無い限りあまり求めらない。

周囲がどのような事をあなたに期待しているか。それは卒業研究を通して研究ノウハウを習得することと、自分のやっている研究が専門分野内でどのような位置にいるかを把握するスキルを培うことだと思う。

考えてみればまともに研究するなんて、初めてでしょ。それに完璧さなんて誰も求めていないと思う。

重要なのは、あなた自信が卒業研究で、研究に必要なスキル理論的か、筋は通っているか等)を習得できるかどうか。そこだと思う。「こいつ、研究のおさえるべきポイント分かってるな」ということを教授はチェックする。

ペースは気にするなとは言わない。周囲のペースはある程度の指針でもあると思うから。けれどちょっとした遅れなら誰にでもあるし研究内容によってペースも変わってくるから、気にしてたらキリないよ。

頑張って!

卒業研究って何のためにあるんだ

自分のやっている研究がいったいなんの役に立つというのだろう

もしかしたら見つけられなかっただけで,先人がすでに同じことをやっているのではないか?

先人が試した結果,良い評価が得られなかったからお蔵入りとなったことをやっているのではないか?

そんな不安ばかり募るよどうしたらいいんでしょうね



こんなんでいいの?ほんとうにこんなんでいいの?

周りの子と比べても進むペースが明らかに遅れているし

評価対象よりも悪い結果が出てしまったし

研究内容に新規性があるのか疑問だし

もしだめだったらこの半年間のプロセスをやり直さないとダメなわけで

ほんとうに卒業できるの?俺。

2009-09-12

本気になれない

卒業研究が上手くいかない。

何故卒業研究が上手くいかないのかを考えた結果、自分は「頑張っていない」のだと気付いた。

いわゆる「他人と比べて自分が頑張っていないように見える」「自分過小評価している」状態ではなくて、本当に頑張っていない。

本とか論文なんて殆ど読んだ記憶がないし(せいぜい先輩の修士論文を読んだくらいだ)研究室なんて用がなければ行かない。最近は用があるのに行きたくない

 

こんなときによく発声練習さんとか卒業研究に関する話とかやる気に関するライフハックとかどうたらに目を通す。そしてやる気が湧いてくる。湧いたやる気でお茶を淹れて寝る。翌日には何も残っていない。

何故こんなにだめ人間なのかということを考えた結果、自分は「本気になっていない」のだと気付いた。「なれない」のかもしれない。22年間生きてきて自分がこれを本気でやったな!と思えるようなことがひとつもない。授業はさっぱり聞いていなかったが中の上くらいの成績は取れた。体育に至っては必修でないことをいいことに履修すらしなかった。趣味も広く浅い感じだ。就職活動はちょっと頑張ったが、それでも終わってみると本気で取り組んだとはとても言い難い状況だった。

そもそも「本気」というのがどういうことなのか、改めて考えてみてわからなかった。ちょっと怖いと思った。

人生80年あると仮定して、その1/4が終わっているのにそんなことすらわからないだなんて、いよいよ自分大丈夫じゃないかもしれない。

 

 

「本気を出す」というのは「何かに集中して取り組む」ということなのだろうか、と考えてみた。そうすると、やはり自分は本気になったことがない。

昔から飽きっぽいのは自覚があった。人の話を10分真面目に聞いていられない。気付いたら全く別のことを考えながら適当に相槌を打っている。

興味がある話題でもこのざまなので、人と対面して話をするのが苦手だ。メールメッセンジャーのように何度も繰り返し読めるものでないと頭に入ってすらこない。

 

 

考えることに飽きてしまったので辞書を引いてみることにした。

(名・形動)[文]ナリ 冗談や遊びなどでない、本当の気持ち。真剣な気持ち。また、そのような気持ちであるさま。

「―を出して頑張る」「彼の言ってることはどこまで―なのかわからない」

――にする 人の言ったことなどを本当のことであると受けとめる。

冗談を―する」――にな・る 真剣になる。

「―・って怒り出す」

ほんき【本気】の意味 国語辞典 - goo辞書

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/180736/m0u/%E6%9C%AC%E6%B0%97/

 

 

本気にすることならしょっちゅうあったが、その話はどうでもいい。「本当の気持ち」ということらしい。

本当の気持ちを言ってしまえば「卒業研究なんてやりたくない」。身も蓋もない。そういえば高校1年生のときに「卒業研究なんて自分には絶対向いてないから大学行きたくない…」とぼやいていたことを思い出した。当時の自分自分の事をよくわかっていた。何故高校3年生の自分先生の「おまえは勉強ができるから○○大学も夢じゃない」という言葉に喜んでしまったのだろう。「○○大学は正直無理だと思うけど△△大学くらいなら」と思った自分、ちょっと待て。どっちにしろ卒業研究がある大学じゃないか。

 

 

研究楽しい!」という正の方向から本気で取り組めないのなら、負の方向から本気で取り組めないだろうかと考えてみた。「卒研ができないと卒業できない!」かれこれ7年くらい考えていることだった。効果は今のところない。思えば追い込まれた自分正攻法で頑張ったこともなかった。「○○ができなければ××できない」という状況に陥った時、○○は大した苦労なく実現できることであったし、そうでなければ××は代替手段で叶えてきた。具体的に何をしたかと言えば、匿名ダイアリーですら書くのを憚られるようなことをした。自分生き方はいつだって不当なものだった。

「卒研ができなければ卒業できない」。今回は代替手段がない。卒研ができなければ留年するしかない。そして、自分ダメ人間だということは十二分に自覚しているので、留年したらもう坂を転がるように休学退学引き篭もりニート自殺となる自分の姿が容易に想像できる。

 

 

「やらないことにああだこうだ理由をつけているくらいならやれ」全くもってそう思う。思うだけでやらないという状況に名前をつけてくれ。

できれば「人間クズ」以外で頼む。

2009-07-22

ダメな人

思うところがあって、メシを食いながら色々考えた。



一定の割合で本当にダメなやつがいる



ということだ。

振り返ってみてほしい。学生時代、同じクラスに1人ぐらい、本当にどうしようもないやつがいなかっただろうか。勉強ができないとかグレてるとかそういうんじゃない。ましてやはてブでよく話題になる非コミュとかでもない。そんなのはまだまだかわいいほうだ。



  • 話が通じない
  • 人とコミュニケーションをとりながら連携できない
  • 今その時にやらなければいけないことがわかっていない
  • 人の話を理解しておらず、すでに通過したネタで参入してくる
  • 教えてもらったことを数時間~数日で忘れてしまう
  • きつく叱られ、二度としてはいけないと言われたことでも数時間~数日で忘れてしまう
  • それでも自分モテる仕事ができる、やればできるんだと思っているだけ思っている


・・・書いてみたがうまく表現できていない気がする。とにかく物事の理解が一般的なところから大きく逸脱しているやつだ。

そういう人は何か1つ特殊な才能を持っている、というのはあくまで稀有な例だ。ジミー大西とか。大抵のこういうやつは周りの人に迷惑をかけながら迷惑をかけていることに気がついていない。



ケース1:同い年のA君

windowsがMeだった頃、IT系の専門学校で同級生だったA君。高校卒業専門学校入学という、普通パターンで進んできたやつだ。

彼は最初から最後まで成績が振るわなかった。しかもそれをどうにかしようという気がない。

専門学校なんてのは学校から伸びたパイプを使って就職先を決めることが、ただそれだけが強みなのに。

他にも勉強が出来ないやつは多かったが、こいつは本当にどうしようもなかった。

しかも性格が悪い。なぜか人を見下し、人を利用することしか考えていない。


果てに、彼が定めた卒業研究は「SQLホームページを作る」だった。



ケース2:だいぶ年上のBさん

A君と同級生のBさん。同じ学年だが、就職専門学校に入りなおしという一定数いるパターンの人。当時30歳。

30歳で専門学校に入学なんて、かなりのつわものか何も考えていないバカのどちらかだろうが、彼は後者だった。

同じように就職専門学校に入りなおしの人は、年齢に関係なく大抵前者であり、成績もほとんどが上位にあり、資格取得にも積極的だ。当たり前だ。普通社会人経験があれば、専門学校に入りなおしなんてのはよほどの覚悟が無ければできない。

Bさんは何も考えていない人だった。典型的ブサ男のくせに、やたらと同じクラスの女子にアタックを仕掛け、散り、その日のうちに別の同じクラスの女子にアタックするアホだ。もちろん女子側はきっちりとした情報共有ができているわけだが・・・。

成績も底辺。A君がいるからビリではない、という程度。卒業研究で何をやったのかは知らないが、卒業後に入社した会社をほんの数ヶ月でやめたことは風の噂で聞いた。



ケース3:少し年上のCさん

これがこの長ったらしい文章を書くきっかけだ。

この人は物事を結びつけて考えることが出来ない。野球で例えれば、マウンドに立った時にゲームの流れや点数を忘れてしまうキャッチャーみたいな感じ。全体を見渡して判断することができない。できないレベルがハンパじゃない。多分、アスペルガーとかそういうやつだ、と勝手に思っている。



聞いてみたい

少し思い出してみるだけで3人もでてきた。きっと結構な割合で本当にダメなやつがいるのが社会ってもんなんだろう。

一定の割合で存在するとして、こういうダメな人たちと仕事をしなければならない世の中の人たちは、どうやって彼らと仕事をしてるんだろう。本当に心からの疑問だ。スケジュールを任せたら見当違いのものを出してくるし、技術を教えてみても多角的に見ることが出来ないせいでわけわからんことを言うし。



私は自分の周りの人に比べて気が長いようで、やんわりと彼らと付き合ってきたが、そろそろ限界だ。切り捨てたい。彼らが必ずしも悪いわけではないと思ってる。Cさんのように病気っぽい人や家庭環境に難があった人など、自分ではどうしようもない人もいるだろう。理解したつもりだった。ただのつもりだったようだが。

2009-02-28

昔話

大学院中退した人の日記が話題になっているようだ。http://blog.riywo.com/2009/02/27/120733

自分大学院中退したことがあるので、昔話を書いてみたいと思う。といっても件の人とは違い、確固たる考えがあってやめたわけではない。



地方の進学校高校にいた自分は、たまたま勉強ができたので東大に進学した。

東大を選んだのに特に意味はなかった。

自分の成績と照らし合わせた結果、たまたま東大になったという感じ。

(一時期は京大に興味もあったが、数学過去問を見てできる気がしなかったので東大にした)



進振りのときも、将来のキャリアプランなどについては全く何も考えず、専攻を決めた。

キャリアプランについて考えることすら思いつかず」と言った方が正しいかもしれない。


4年生になると、当たり前のように大学院受験した。

働くなんてことは想像もつかなかったし「勉強」は嫌いじゃなかったので、大学院を受けないなんてことを考えすらしなかった。




卒業研究研究室に入ってから様子が変わった。

これまでは与えられたことを勉強していればよかったが、研究はそうじゃない。(指導教官の力を借りつつも)自分で問題を見つけ、解決していかなければならない。

しかし自分は、明確にこれをやりたいというものがあるわけではなかったし、論文の探し方すらロクにわからなかった。

一番の問題は「自分に熱意がなかった」ことだろう。

ある問題に対して寝ても覚めても、毎日毎日考えられるような熱意がなければ、研究はやっていけない。

でも自分は、専攻領域に興味はそれなりにあったが、人生をそれ一筋に染めるような熱意は到底なかった。

卒業研究は、全くのまぐれ当たりで面白い結果が出たので取りつくろうことができた。

M1のときの健康診断で、医者だったかカウンセラーだったかの人に対して「やっていけるか不安です」って答えたのを覚えている。

日に日に、自分の中での不安劣等感は膨らみ続けた。

M2のとき限界に達し、修士論文の中間発表に出たのを最後に全く学校に行かなくなった。(中間発表までいったのにもったいないと思う人がいるかもしれない。でも、ぶっちゃけ修士になってから出した成果なんてほとんどない。卒業発表の焼き直しみたいなものだ)

家にずっと引きこもり続けた。

電話も鳴ったが、全く出なかった。電話が鳴るのが恐かったので、電話線を抜いたりしたこともあった。

その後もろもろあって指導教官と数度話をし、結局、籍だけは3年間置いてもらったものの、研究に復帰することなく退学した。




そのあとどうなったかというと、退学後も半年くらい引きこもり続けたあと、このままやっていくこともできないなと思いハローワークに行った。

自分プログラミングしかできることがなかったからプログラマー募集してる会社を探し、そこで見つけた会社に入社した。

今は最初に入った会社とは別の会社で、それなりに楽しく働いている。




今から考えると、修士を取ることはできないことはなかったのだろうなとも思う。

病院に行って適切な治療を受け、研究方法についてわからないことは何でも研究室の先輩や指導教官に聞くべきだったのだろう。

まあでも過ぎたことだし、修士を取れなかったことに対して今は特に後悔の気持ちはない。

そもそも、研究に熱意のない自分が流れで大学院に進んだこと自体が間違いだったのかなと思っている。

退学という強制ルート変更がなければ就職なんて考えられなかっただろうから、退学になってしまって逆によかったのかもしれないけど。



一連の経験自分が思ったこと。

  • 進路についてちゃんと考えよう。
  • 研究したいという強い熱意がなければ、大学院に行くべきではない
  • わからないことがあったら、誰でもよいので聞こう。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。
  • うつ状態が続いたら、怖がらずに病院に行こう。
  • 心の支えになるのは友達だったり仲間だったり家族だったりする。その人たちを大事にしよう。
  • 大学院に行くばかりが人生ではない。
  • 人生、大抵のことは何とかなる。

同年代より就職の餞を

エントリ

http://blog.riywo.com/2009/02/27/120733/

に対するコメントとして書いたら非常識な長さになってしまったため,

仕方なく日記にしてしまったものです.今更推敲するのも面倒だし.修論締切やばいし.

以下コメント



私,ちょうど現在修士論文の提出用最終稿を書いている真っ最中です.

卒業を諦めかけ,それでも卒業できることになりそうな身の上の者が,修士までの研究卒業について書きます.



あなたのエントリを読ませていただいて,一番強く感じた疑問は,「卒業は誰のためのものか?」です.

私は卒業とは自分保護者のためのものではないかと感じています.

日本的お優しい環境なので(学部)卒業できた~」とありますが,研究室先生研究者純粋教育者ではありません.

あなたの保護者ではないのであなたが卒業研究から何か得ようが得まいが関係はありません.

たとえば博士課程後期にでもなれば自分研究利益をもたらす可能性が多少高まるので積極的に構うでしょうが,

学部生レベルじゃ「留年すると担当教諭として面倒だから単位やっちまえ」くらいに思っているかもしれません.

(特に東大ではその傾向を感じるのですが,ここでは言及しません.根拠となるデータなんてないので.)

だから卒業できた,いやさせられたのではないかと感じました.

何しろ卒業生の優秀さはその先生研究者としての評価に直接は関係ないのですから,ある意味当然の振る舞いかもしれません.

あ,念のために注釈すると,それでもやる気のない生徒を卒業させようと頑張ってる先生は大勢います.

理由は研究者を育てるという教育者の責務に駆られたとか単純に甘いとかはそれぞれなんでしょうが.



結局,卒業にこだわるのは本人とお金出してくれてる人だけ.あと内定先の採用担当もいれましょうか.

そして,本人以外は卒業事実だけで充分.学校生活の内容にこだわるのは本人だけ.

卒業までの短い期間で自分が満足いくまで研究するのも,就職予備校と割り切って卒業に必要なだけの研究をするのも,

こんな短い期間じゃ研究なんてできっこないと決めて何もしないのも本人次第.

大学ってある程度自由な選択肢があるところなんですよ.授業出席やテスト勉強に限らず,卒研さえも.

勿論明言はされませんが.

それに気づけるかどうかも本人次第.

そこに18歳だから気づけないとか22歳だから気づけるなんて因果関係はないと思います.

私は齢22にして卒研の意義が分からず,とりあえずやってみて,そんなもんかとがっかりしたクチです.単純ですね.

あなたは,同じ状況で頭を働かせ,とりあえずやらなかった.それだけのことでしょう.

そこに新卒採用制度が絡んであなたの問題を複雑化させているのはわかりますが,

結局就職できるようですし,結果オーライのご様子.

就職先で卒業研究の内容を駆使することが求められるわけでもありませんしね.

卒業研究なんてただの飾りです,偉い人には~なんてね.



そうそう,私がなぜ卒業を諦めかけたかの話が抜けてました.

(どうでもいいなら一段落すっ飛ばしてください)

すごくありがちな話で,ビョーキです.

学校に行きたくても行けない期間は辛かったでした.

なぜって,内定をもらってるのに卒業できないかも,という恐怖が常に襲ってきたので・・・

でも,半年も研究室にいなかったのに無事卒業できるようです.

その時に再び思ったのですよ.

あー,やっぱり卒業研究は成果じゃなくて,本人が頑張ったらOKの世界なんだな,って.



この曖昧な文章に無理矢理結論づけるとすれば,

あなたが「学問」できなかった,しなかったのは,他でもない,あなた(のせい)だということ.

そしてそれにうちひしがれて自分から退学を願い出たということ.

担当先生でもなく,就職予備校でもなく,学の府でもなく,あなたがね.



あなたは学問したいのであれば,きっと研究者を目指せばよかった.

でも,卒業研究ができなくて就職,という(逃げ)道を選んだから,あなたの中で大学学問する意義がわからなくなってしまった.

大学院に行くということは,就職のために行くのではないという,オトナ達からの刷り込みによる思い込みのためだけにね.

大学院での研究生活は就職だろうと研究だろうと,人生の糧になりうるものですのに.



そして私がこれを書きたいと思った動機は,あなたが研究室に入ってくる生徒達にとてもよく似た考えをしているから.

研究室に入りたてだった頃の彼らに.

毎年,あなたみたいな考えの人が研究室にきて,無駄なことはいやだと最短ルートの入口を探し,

仕方なく研究を始め,いつの間にか慣れ,卒業を迎える.

それが正しいのか,抗うべきなのかはわかりません.

でも,私は毎年こう声をかけてきちゃいました.

「とりあえず,研究っぽいことやってみなよ.

 頭で考えられる範囲で研究になるかどうかわかるようなテーマ研究ではないから.単なる演習だから.

 卒業研究は成果よりもやってみることが大事だから.

 やってもみいくちゃ無駄かどうかわからないことにチャレンジするのも,長い人生,たまにはいいんじゃない」と.

私は今でもそう思っていますから,うっかり言ってみたくなったんです.

卒業研究大学の意義について悩んだ挙句,私とは別の選択肢をとったあなたに,私の考えを.

所詮は終わってしまった選択肢,戯言ですがね.



なにはともあれ,就職おめでとうございます.

あなたなりに納得のいく人生が送れることを切に願いつつ.

2009-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20090224234606

元増田です。答えになっているかどうかわかりませんが、書いてみます。

(1)について

基本的に

研究の意義を理解しているかどうかは、ディスカッションが出来るかどうかには直接関係ない

に同意します。その上で、ディスカッションが出来るための条件として2つあげます。

1. 議論のテーマについての基礎的な知識があること。

2. 自分意見を発言することに対して自信が持てること。

一つ目は、極端な例としては、四則演算も理解してない小学生量子力学を論じろと言ってもそりゃ無茶だろ、という話です。基礎知識が足りないとディスカッションは出来ません。二つ目は、気持ちの問題です。自分の発言に自信が持てない、話したくない、という人とはディスカッションは成り立ちません。

そして、1と2はリンクしながら悪循環に陥ります。議論が理解できないことでますます自信がなくなっていく、ということです。結果として自分研究ダメだ、と研究の意義までも見失うこととなります。だから、もう一度スタート地点に立ち返ってみよう、ということです。

(2)について

優秀な人が落ちこぼれのことを理解できないのと同じで、ダメ学生だった私も優秀な人のことはよく分かりません。個人的な感想を書きます。

ひとつの指標として、失敗、挫折の程度の問題がある思います。段階的に学習をしていった人は、上で言うような悪循環にならない程度に失敗、挫折を繰り返して成長しているように見えます。悪循環に陥って鬱になる人は、たいてい「研究テーマチャレンジングすぎる」「あまりに基礎知識が足りない」のどちらかもしくは両方のことが多いです。特に後者は、卒業研究という初めて「自分の」研究というものを持った時点で突然露呈します。テストの点数はそこそこだけど、公式を丸暗記していただけでちゃんと理解していなかったので応用できない、とかそうゆうことです。いきなり、というのがポイントだと思います。

これで答えになってますか?

2009-02-24

http://anond.hatelabo.jp/20090224225918

大学での卒業研究は「卒論を書くことを通じて研究手法や考え方等を学ぶ」ことを目的としてるんだぜ?

ならなおさらなんじゃないか。

研究ってのは自分の考えを出すことを要求されるものだってことだ。

それが嫌なら卒業研究が出来ないじゃないか。

http://anond.hatelabo.jp/20090224224737

とにかくそういう対応が要求されているのにそこから逃げている時点で自分責任だろ

大学は学府なんだからそれを要求しちゃだめだろう。っていうか、どこの大学卒論を書くことを要求するんだよ。大学での卒業研究は「卒論を書くことを通じて研究手法や考え方等を学ぶ」ことを目的としてるんだぜ?仕事しろって場所じゃない。

あの卒論はなんのためにあったのだろうと

http://d.hatena.ne.jp/next49/20090222/p2

君が卒論に苦しんだ理由は自分でも分かっていると思うけど、常に外部に正解を求めたことにあるんだ。私が「どうして、それが正しいと思うの?その理由を教えて。」と聞くと、いつも君は表情を凍らせて黙ってしまったね。

幸いにも私自身は卒論で苦労しなかったが、今でも、あの卒論はなんのためにあったのだろうと疑問に思うことがある。「どうして卒論を書かせることが正しいと思うの? その理由を教えて」という問いに明快な論理で答えられる教授がどれほどいるだろう。

ほとんどの人はそれぞれ固有のどうしてもできないことを持っている。私の知人は、自分のことを一人称で呼ぶことができない。彼は「僕」とも「俺」とも「(自分名前)」とも言うことができない。別の知人は、「ひ」と「し」の区別がつかない。彼の出身地は東京ではない。私もテレビを見ながら食事をすることができない。他の人から見れば、どうしてそれができないのか理解に苦しむことでも、やはりどうしてもできないことというのは存在し、ただし周りの理解さえあれば日常生活に問題はない。

同じレベルで、卒業研究がどうしてもできない人というのも多く存在するのではないかと思う。教授には理解できず、本人にも言語化できない理由で、卒業研究ができない人というのがいるはずだ。そして、卒論が書けなくても社会生活は送れてしまう。

もはや、卒業研究ができるかできないかというのは、「ひ」と「し」の区別がつくかつかないかという能力を測る程度の役割しか担っていないのではないかと思う。そして卒論を書かせるというのは「ひ」と「し」の区別がつけられるように訓練するくらいの意味しかないのではないかと思う。たまたま適性のない人にとっては単なる苦行以上でのなにものでもない。もし、それ以上の社会的役割があるというのなら、「その理由を教えて」ほしい。そう、もちろん、「間違っていてもかまわない」。ただし、周りがみんなそうしているからといった「精神的な背骨」のない回答は望ましくない。

http://anond.hatelabo.jp/20090223034908

元増田です。予想以上に反響があったのでびっくりしています。

普段だったらスター付けてお礼代わりにしてたのですが、増田だとそれが出来ないので、かなり蛇足になりますがちょっと書きます。

批判的な意見ばかりとりあげますが、別に反論したいわけじゃないので、そこんとこよろしく。

まず、id:next49さん。

「黙っているしかないじゃん」をどうにかしたい - 発声練習

http://d.hatena.ne.jp/next49/20090223/p2

と、そのリンク先も拝見いたしました。特に、

卒業研究修士研究時の悪循環を防ごう - 発声練習

http://d.hatena.ne.jp/next49/20081019/p2

は、もう自分のこととしか思えませんでした。つか、別に私が言及することもなかったみたいですね。

b:id:he-na-he-na この人は何のために院までいったんだろうか?

b:id:chnpk なんか全然知らない世界なので余計なことはいいたくないが、なにしに大学院なんて行ったんだろうというのが気になった。

はてブを見た後で自分の文章を読み直して、あ、これじゃ確かになんで博士課程に進んだのかさっぱり分からんと思いました。本題とは関係ないと思って書きませんでしたが、博士過程に進んだときのことも書いておいたほうがよかったですね。いろいろと複雑な事情もありますが、端的に言うと博士課程進学時に研究室を変更したからです。やっぱり変なプライドもあって研究から逃げたと思われるのもいやだったし、研究に対する興味自体がなくなったわけではありませんでした。単に教授とうまくいかなかっただけです。

研究室を変更したときは、

「やっぱり前のボスは、今のボスに比べるとやっぱ嫌なやつだったなぁ。」

とか、

「まぁでも人間関係なんだから人と合う合わないもあるよな。たまたまボスと私の相性が悪かったんだ。」

とか思ってましたが、今考えると単に私が未熟だっただけですね。たぶんどこの研究室でも同じことになってたような気がします。ただ、悪循環の中でうまくいかなったボスとちょっと距離を置いて、研究環境を変えてみたというのは結果的にはよかったと思っています。

たぶんどこでも、卒業研究は1年、修士が2年、博士が3年なので、それぞれの過程の途中で研究室を変わるのはなかなか難しいのは分かります。でも、それぞれの過程が終わった段階で研究室を変わることは、もう少し積極的な理由として、研究に対する視野を広めるという観点からも、もっと推奨されてもいいと感じています。私の場合、大学院進学時も所謂「学歴ロンダリング」をしているし、博士号取得後も同じ研究室に留まらず居場所をコロコロ変えてます。ちょっと乱暴な議論だけど、学振PDなんかは明示的に研究室を変更することを推奨しているし、最近転職流行ってるのも同じような理由だと思っています。

b:id:puchiban なぜやる意味のわからないことをずっとやり続けられるのかが不思議。なんのためにお金時間を使って大学院にいるのだろう?意味なんて見けるか、教授に聞けばいいんじゃないの?と思ってしまう。

b:id:haru666 研究目的が理解できてないって、空気嫁よ…。それが出来ないと何も物にならないんじゃないかね。僕の周りにもいるが、居ても邪魔になる。判断基準が育たない奴っている、でもそれを伝える事もまたアレだしな。

b:id:kkobayashi 研究が面白いかどうか、少なくとも面白そうかどうかも分からずに研究室に入る理由が理解できない。「単位取りやすいから」的な理由で入ったのだとしたら、いくら説明しても時間無駄な気がする

b:id:y-kawaz そんなもん大学で教わるものじゃないだろう?それが分からないような人は院なんていかずにとっとと就職でもしてればよいと思うよ、自分の為にも周りの為にも。

b:id:minoru-n ”間違ってることが分かっている”ならその部分を直して再度教授に問いかければいい/自分勉強するってそういうことでしょ?やることやってないで何を言っているの?

b:id:lestrrat 言われたからやってるんだ、って人はなんで大学院言ってるんだろう。大学院って義務教育だっけ。見切りをつけるのも自分責任なんじゃないかなー。

b:id:iflancy その教育お金を払う、ね…与えられたものでしかないとかいう人が博士に行くんだ…がっかり

もうほんとその通りだと思います。でも、ちょっと言い訳を。

分野によると思うのですが、私の分野だと、科学が発展しすぎちゃって最先端にたどり着くまでに大学教育だけでは間に合わない、ということがあります。修士課程入ったばかりだと研究会出ても宇宙語にしか聞こえない人がほとんどだったりします。ぶっちゃけると、大学卒業時で分野の研究の意義が本来の意味で理解できる人は皆無です。たまに超優秀な東大生にそうゆう人がいますが、数年に1人のレベル。それじゃ人が足りなくて、私みたいに無自覚でよくわからんけどなんか面白そうって理由で研究始めた人、もうちょっとモラトリアムでいたい、という人がある程度人数いるから日本最先端科学は保たれてるという側面があります。

研究の意義の理解」も先の「背骨」の話もいろいろ段階があって、単純に分かってる・分かってないの○×問題じゃないので、ちゃんと議論すると長くなりそうだし言い訳はこれくらいにしておきます。

b:id:lisagasu 自分でものを考えることを教えるって、大学先生仕事じゃないよ。

b:id:rajendra 大学院先生ならボクに自立心をインストールして下さい的な話。

b:id:takeshiketa 「背骨を与えきれない貴方教職として能力不足」ってこと?なんかおかしい気がするなぁ。商品を買うんじゃないんだからお金出して通ってるだけじゃ駄目だろうし、在学中に完璧になる必要もない。ていうか大学だぜ?

b:id:RM233 背骨を形成するパーツを与える、くらいじゃないかな大学先生に要求されるのは。それができてない先生もたくさんいるのは事実。でも背骨を丸ごとくれっていうのは酷だよ。

b:id:mitsuki_engawa 学部生ならまだ暖かい目で見られるけど、院生でこれはないわ。

すみません。書き方が悪かった。あれじゃ誤解されても仕方ない。

ブコメで補足してくださった方もいるけど、大学教育ってのは「背骨」を与えることなんだから、教育者としてはそれが達成されなかった理由を学生責任に転化しないで欲しい、というのが私が言いたかったことです。たくさんの学生を教えれば中には理解できない子がいる。それは仕方ない。でも、そこで先生が「わからないのは本人のせい」、とは表立って言わないで欲しかっただけです。だから、辛抱強く、と書きました。

b:id:metamix お金払えばなんでも身に付くというわけでもあるまい/教授なんて元記事の人くらいのドSでちょうどいいと思う、個人的には。人が育つには適度なプレッシャーは必要。

プレッシャーはあってもいいけど、フォローは大切だよね。筋トレと同じ。

b:id:yoshiyoc 教授学生弟子を取るのは、新しいアディアを「盗む」ため。一方、学生弟子教授権威などの恩恵にあずかっている。ただし、教授は寝首をかかれないように、弟子自分研究能力を見せつけないといけない。

これは明確に反対しておきます。学生にとって教授は、いつかこえなきゃならない壁です。幸いにも私の周りには弟子アイディアを盗もうとしている教授はいません。そもそも教授なんてほとんどが終身雇用保証されてるんだから、本人が成果なんて出す必要ないと思うんです。すくなくとも私がいる分野では、教授学生が出した論文数を含めて自分教育成果として評価されます。だから、教授は、人の成果盗んで自分論文書くくらいなら、アイディアをどんどん提供して学生にどんどん論文書かせた方がみんな幸せになるようになってます。そうでない分野もあるらしいと聞きますが、それがよいとは思えません。

b:id:nekora 教授実名なのにAnonymousときたら…

すまんね。自分ブログで書くと全然アクセスないのでスルーされるから。あと、こうゆう発言するとそれが付いて回るのがいやです。だって博士号持った人だと分かると、おっぱいおっぱい(AA略)、とか書けなくなるじゃん。書いてるわけじゃないけど。

b:id:carrion-crow 自分には教授が皆その研究重要で素晴らしいと思っているかどうかについて、増田氏ほど確信は持てないけど

自分研究がいかに素晴らしいかを説明できない人は、教授としても研究者としても失格だと思う。本当に素晴らしいと思ってるかどうかは知らんけど、少なくともそれを人に伝えられないようだと、現実的に研究費や研究室ポストを取って来れなくなるから困るんじゃないかな。

あと最後に、

http://anond.hatelabo.jp/20090223115758

b:id:kanose

ありがとうございます。

編集ページに「はてな記法が一部使えます」って書いてあったのですが、[URL:title]記法だとリンクにならないし、そもそも「一部」ってどれのことなんだよ、と思ってました。ちゃんと伝わったようで安心しました。

- 転職ならen
- 派遣ならen
2ページ中1ページ目を表示(合計:42件)