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はてなキーワード: 進振りとは

2024-01-16

anond:20240116123310

わいは工学部

科は秘密

工学部って学科ごとに進振りがあるんだよね

2から4コースくらい、学科によって異なる

東大進振りで行きたいところ行けない人もいるって話聞くけど

その点京大入試の段階で行きたい専攻に行けるのが良いとされている

のだけど、そういえばわいは京大で入る学部間違えた上に、二回生くらいから途中で振り分けられる行きたいコースも成績悪くて行けなかったわー

今更ながらダブルパンチだったんだな

2023-11-22

anond:20231116234524

理二から農学部獣医への進振り難易度はどんなもんでしょう?

東大理二と北大獣医入試難易度は理二のほうが多少上ですかね

どうしてもここに行きたいって学生は、北大獣医のほうが圧倒的に多いだろうなあ(言うまでもなく某漫画の影響)

2023-11-14

ボーカロイド音楽論」(ぱてゼミ)は何故あまり批判されないのか

追記そもそも「何故もっと批判されるべきなのか」については、【最後に】の後に追記した(2023/11/15)。

【背景】

 東京大学東京芸術大学では、鮎川ぱて氏(以後、ぱて講師)による「ボーカロイド音楽論」という講義が開講されている。東京大学の方の講義はぱて講師による著書『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』においてその過去の内容が公開されている。このダイアリーの筆者(以後、「筆者」)は「ボーカロイド音楽論」の元受講生であり、書籍を購入し一読した。同講義Twitter(現X)での実況が推奨されておりTwitter上で一つの活発な動きを毎年見せているが、「ぱてゼミ 批判」「ボーカロイド音楽論 批判」などと検索しても同講義に対する明確な批判ツイートはヒットしない(Twitter検索システムが悪いという可能性は保留する)。書籍についても、これに批判的な書評Amazonレビューやブックメーターにわずかに存在するのみである講義内容全体のレビューはそれらに譲るとして、本ダイアリーは、この「批判の少なさ」の原因について仮説を立てることを目的とする。

 本ダイアリーは直接の筆者の特定を避けるため匿名形式をとっている。内容について「そんなの当たり前じゃん」「その仮説は的外れだ」と思う読者もいるかもしれないが、このように書き残さなければ何も始まらないということでご容赦願いたい。また、筆者は全ての年度や東京芸術大学講義を聴講したわけではないこと、このダイアリーの内容は主に『東京大学ボーカロイド音楽論」講義』の初版第一刷(以下、書籍)に基づいていることを断っておく。

【本論】

まず結論として、 「ボーカロイド音楽論」に対する批判の少なさの原因として、筆者は次の4点を提唱する。

1. 媒体:現地で行う音声形式講義では記録に基づく批判が困難であるという点。

2. 受け手資質講義対象となる学生や読者のほとんどはその議題についての非専門家であり、しか批判に割くだけのリソースを持っていないという点。

3. 内容:この講義の内容が批判を先んじて封じてしまうように作られている点。

4. コミュニティ:この講義ボーカロイド音楽が好きな東大生のうち一部を迎え入れるコミュニティ形成する役割を同時に担っており、コミュニティ批判との相性が悪いという点。

以下、これらの点を順に見ていく。

1. 媒体

 書籍が発売される前、「ボーカロイド音楽論」(以下、この講義)は大学の構内の教室で開講されているのみであった(初回の何回かこそニコニコ動画配信されたが)。そこではぱて講師の口頭でのみ内容が話され、レジュメは一枚も配られることなく、板書も最低限であった。言われたこと全てを紙に書きとるのはほとんど誰にもできないだろう。従って口頭の講義に基づく批判は、言った言わないの水掛け論になってしまやすい。現に筆者がこのようなダイアリーを書くことができるのも書籍が発売され、何を書いてあり何を書いていないかを把握し見直すことが可能になったかである

2. 受け手資質

 この講義は主として東京大学教養学部学生に対して開講されたものである。その多くはこの講義で取り扱った多くの思想概念の(多くとも)全てについて専門家であるというわけではない。またぱて講師自身もそれら全ての専門家でないことは講義中に明言している(85ページ脚注5など)。従ってぱて講師によるそれらの援用が妥当でない可能性は常にあるが、そのような観点から検討をすることは学生にとって難しいだろう(勿論専門家のみがそれらを扱うべきだという立場をとることは避けなければならないが)。さらに言えば、進振りのための勉強で忙しい学生にはわざわざこの講義批判するためだけに捧げる時間も体力も残っていないということ(そしてこの講義のもの大学が門を閉める時間まで延長していることもそれらのリソースを奪う一端となっていること)を指摘しなければならない。これは書籍の読者の多くについても同じである

3. 内容

 ここでは書籍でぱて講師が用いた概念の内容が批判を先んじて封じる性質を持つことと、ぱて講師が「論じるべき内容を論じなかった」ことが批判すべき点を覆い隠す機能を持っていることを指摘する。

 まず、ぱて講師はテマティスム(テーマ批評)に則ってボカロ曲評論するとしている。ぱて講師の言うテマティスムとは、以下に抜粋する通りである

「テマティスムは、作家メッセージをその意図の通りに読み取るということではありません。そうではなくて、むしろ作家作品の細部から作家自身も気づいていなかったかもしれないテーマ抽出し、作品価値を読み替えていく。それがテーマ批評という手法です。」(40ページ14行目-41ページ1行目)

さらに、この講義の鍵となる概念の一つとして「アンチ・セクシュアル」をぱて講師提唱している。以下に書籍抜粋を示す。

「本講義の当面のキーワードは『アンチ・セクシュアル』です。性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱う感性が、ボカロシーンには多く見られ、そして支持されました。なにに比してかというと、いわゆるふつうのJポップに比してです。Jポップのチャートを見れば瞭然でしょう。ラブソングばかりです。」(42ページ8-12行目)

「『アンチ』といっても、それは必ずしも単純な否定のことだけを指しません。性愛を疑ってみたり、気持ち悪いもののように言ってみたり、ときにそれは、米津玄師において見られたように、アンビヴァレントな愛憎を差し向けるというかたちをとることもあるでしょう。」(43ページ2-4行目)

 つまるところ、「テマティスムを用いれば、性や愛をめぐる通念を自明とせずに扱う感性(単なる否定に限らない)をボーカロイド音楽から読み取ることができ、そのような音楽がシーンの人気を博した。一方で「いわゆるふつうのJポップ」からはそのような読み取り方のできない曲が人気を博している。」という主張をぱて講師はしているということになる。この主張に当たって用いた「テマティスム」と「アンチ・セクシュアル」の二つの概念は、この主張に対する批判として想定される「作者はそこまで考えていないと思う」型の主張や「この曲は性や愛めぐる通念を否定しているとまでは言い切れない」型の主張を先んじて封じる機能を持つ。このため、読者がすぐに思いつく形での批判ができず、ぱて講師の主張に対する批判が少ないことに寄与していると考えられる。

 もう一つ批判封じに寄与しているのは、「論じるべきところを論じていない」ということである。「いわゆるふつうのJポップ」についての記述に注目すると、ここでぱて講師が行わなければならないのは、

①「いわゆるふつうのJポップ」を「『アンチ・セクシュアル』な感性を持たないJポップ」以外の形で定義すること

個別楽曲評論を通じて「いわゆるふつうのJポップ」に該当する曲に「アンチ・セクシュアル」な感性が備わっていないことを論じること

③それが「Jポップのチャート」に非常に多く見られることを指摘すること

であるしか書籍の中で「いわゆるふつうのJポップ」についての言及があるのはここのみで、上記3つ全てを行っていない(ぱて講師言葉を借りれば、「瞭然」という「感覚思考俎上に載せ」ていない)。それもそのはず、「テマティスム」と「アンチ・セクシュアルな感性」を用いた読解だけではこのようなことは到底不可能からである。「テマティスム」は確かに「作者の意図」に縛られない自由評論の基礎であるが、それは同時に評論者次第でどうとでも言えてしまうことを意味する。同じ曲が違う評論家によって「アンチ・セクシュアル」であったりそうでなかったりする。もし「そうは言ってもこじつけってものがあるでしょ」と思うのであればそれは「良い評論」の基準として「テマティスム」以外の何かを想定していることになる。さらに言えば、「アンチ・セクシュアル」という概念の幅も広い。同じ言葉賞賛にも皮肉にもなる世界で、「性や愛をめぐる通念を自明のものとせずに扱」っているかどうかを「テマティスム」のみで確定させるのは不可能だ。つまるところ、ぱて講師が「いわゆるふつうのJポップ」を論じないことは「テマティスム」の持つ脆弱性、あるいは、「何でも言えてしまうが故に何も言うことができない」性を(本人の意図とは無関係に)覆い隠し、批判を予防することに寄与していると言える。

4. コミュニティ

現地での講義に付随する活動として、コンピレーションアルバム作成ちょっとした食事会など、ボーカロイド文化が好きな東大生のためのコミュニティ積極的提供する姿勢をぱて講師は見せている。それ自体マイノリティたる若者鼓舞するという目的からすれば妥当であるが、評論の面ではこれが裏目に出ている。余程肝が据わっていない限り人間は、自分を匿ってくれるコミュニティの発起人の言うことに盾突いたその先を恐れる。発起人自身が何とも思っていなくても、同じコミュニティの仲間から邪険に扱われるかもしれない。仲間が何とも思っていなくても、内なる自分が責め立てる...。こうなれば講義批判するのは難しい(批判したとて有耶無耶に言いくるめられるだけだ、という疑念もあろうが)。「肝を据わらせろ」という主張はマッチョイズムなのでしないが、しかコミュニティ形成するとはそういうことなである

最後に】

 「ボーカロイド音楽論」の講義書籍化されたことは、この講義自身にとって、そしてボカロシーンにとっての大きな一歩であると筆者は考える。内容の巧拙政治的立場はともかく、書籍化されたことによってこの講義は「亡くなったボカロPを悼み、内輪でボカロ曲をべた褒めする会」になってしま未来を脱して、元受講者やボカロ関係者を含む全ての人の衆目に晒され、批判され、検討され、洗練され、時に新たな論を生み出していくことができるようになった。後は実際にそうしていくだけである。筆者よりもっと優れた批判をできる人は多くいるはずなので、後は彼らに託してこのダイアリーの締めとする。

追記:何故もっと批判されるべきなのか】

 強い言葉で言えば、

「『ボーカロイド音楽論』などと大層な看板を出しながら、その実著名な学者の業績を形だけ借り"正しい"思想を添えた類推だらけの持論を『教養』と称し、[『教養』]と[『教養』を並べ立てた個別楽曲評論]を弱い脈絡の下で繋げただけの、部分を詳細に語っただけで全体を語った気になっている、評論と呼ぶべきなのかもわからないものが、まともに批判されずに学生の間や世の中に広まることが許せないから」

である(「まともに批判されずに学生の間や世の中に広まる」という心配杞憂であってほしいが)。

 筆者がこの講義書籍の内容が批判されるべきであると考えている理由は3つあり、これらを以下に簡潔に説明することで追記とする(注あり)。

1. タイトル詐欺:「ボーカロイド音楽論」を名乗りながら、その大部分は個別作品の読解に費やされている上、それらを踏まえて「ボーカロイド音楽とはなにか」をまとめて論じている内容が存在しないこと。

2. 「思考俎上」に載せる「感覚」の選び方の恣意性:本論で述べたように、思考必要なぱて講師感覚があるにも拘わらずそれを思考した形跡が存在しない箇所が見られること。

3. 「思考」の粗雑さ:「感覚」を正当化する目的しか思考」が用いられていないこと。「思考」に用いた「教養」の内容もそれぞれの分野を専攻した読者から見れば的外れものになっていること(注1)。「類推」や「テーマ批評」などのいくらでもこじつけることが可能手法を用いているのに、何故その手法を用いるべきなのか、その手法限界はどこにあるのか、といった説明がされていないこと。

注1:少なくとも一つの例として、筆者が専攻していた生物学に関連した部分を挙げる。リチャード・ドーキンス書籍利己的な遺伝子』に言及した後、「しかしこれらのような個体利他行動も、種や遺伝子主語にすると、自らを温存するための利他行動にすぎない。」(54ページ8-9行目)と段落を結び、その後「性はこのように、種の都合のための機能主義的なプログラムであるという言い方もできるわけです。」(54ページ18-19行目)と主張している。結論から言えば、この言い方はできない。生物学を学んだことがある人物なら絶対にこのような主張はしない。進化の結果としてある個体Aが(同種とは限らない)他個体Bに利他行動をする形質を獲得する条件はあくまで「それが後に個体A自身生存繁殖に有利となる可能性が十分高い」あるいは「個体Aと個体Bで利他行動に関連する遺伝子を共有している」であり、そこに「種」の概念は一切関係しないかである。(遺伝子自然選択対象となり得るのに対して)「種」という概念は観察者が生物を分類する際の線引きのツールであって、自然選択対象として観察可能ものではない以上、「性は種の都合のためのプログラムである」ということを(観察によって)事実として得ることもできない。つまり「種」を全体と見立て個体」を部分と見立てるような類推は成立しない。百歩譲って「利他行動に関連する(種を問わず)同じ遺伝子を持つ全ての個体」を全体とみなす形で類推を成立させるとしても、それは「類推を成立させるためだけに拵えた全体」であることを指摘しておく。

2023-10-18

anond:20231017193813

まあ、帝国大学ってのは今の総合大学専門課程に相当するわけで、そこに入る前に今の大学入試に相当する旧制高等学校入試突破しなければならなかったわけだからな。そっちの方が大変だったはず。東京帝大の入試は今で言う進振りみたいなものだったのでは?

2023-08-04

失敗なんてない

「だから医学部に行けって言ったのに」じゃねーよ。

6年間で2年のビハインドがあるんだよ。初期研修までやったら追加で2年だぞ。研究者生命は短いんだ。

俺は理学部に進学したことも後期課程に進学したことも後悔していない。

苦しいけど失敗ではないんだよ。お前らが勝手に「失敗」と看做したいだけだろ。

お前は俺が小さい頃から医者さんがどんな素晴らしい仕事かよぉーく聞かせてくれたよな。お前は俗物から基礎研究に携わってる学者よりその辺のクリニックの院長を崇めるような典型的専業主婦だもんな。

俺が理科一類合格した時も「そのセンターの点数なら山大医学部に…」とかブツブツ言ってたもんな。

駒場にいる時も何回も医学部仮面浪人進めてきたし、進振りタイミング東京遊びに来た時も「医学部は全科類からの枠あるんでしょ⁈成績見せて!」って目をキラキラさせながら言ってきたよな。

理学部卒業して理学研究科に進学した時には「子育て失敗」扱いしたよな。

別に俺は失敗なんかしてねえよ。後悔はない。

別にお前らに迷惑はかけないよ。普通に結婚して家庭を持つような収入が得られる職に就けなかったってだけの話。死ね解決する単純な話だろ。

後片付けだけよろしく

2023-06-05

anond:20230605120141

進振りは2年生の夏休み後だから10ヶ月後では無い。

とりあえず既に東大理系には入学しているとして、とりあえず成績良くしろしか

2023-04-03

anond:20230402141536

やっぱ進振りは偉大だ

地方から天狗で入ってくるも打ちのめされるが進路変更して大成、という道を作ってくれる

そしてそうじゃなかったばあい落ちこぼれ無気力を防いでくれる

2023-03-30

社会に出荷される前に残しておこう

はいつ気付くのだろう。自分は何者にもなれないし、特別なことを成し遂げるなんてできないことに。俺は高校生くらいで何者にもなれないんだろうなと気づいたけど、大学に入るまでは多少は成功した人生を送れるんだろうと思ってた。特殊な家庭に生まれ東大に現役合格した俺は少しは特別存在なんだろうと。高校には俺よりも裕福な家庭で生まれ、俺よりも課金され、俺より長い時間勉強しているような奴らがいっぱいいて、でもそいつらは聞いたことのないような大学に進学して、そんな中で東大に進学した自分特別だと思っていた。家庭環境自分自身に対するコンプレックスを乗り越えるためには、自分特別だと信じるしかなかったし、これから未来成功夢想するしかなかった。

でも4年間過ごしてわかったのは、俺は一切特別人間ではないってこと。元々何かを学ぶことは嫌いではなかったけど、授業を聞くとか机に向かって勉強するとかが苦手で嫌いだった。そんな俺が落ちこぼれるのなんて一瞬だった。進振りはもちろん希望学科には行けなくて、定員割れするようなところに進学することになった。机に向かうのが苦手だけど行動力があるとか求心力があるとかそういったタイプでもないから、凡庸大学生活を送った。なんとなーく就活を始めて、この先未来が見えないようなところに就職して、4日後に入社式を迎える。

俺が特別でないって分かったって書いたけど、それと一緒で他の人も特別じゃないってことにも気づけた4年間だった。そいつらは特別から優秀なわけじゃなくて、特別から成功する未来約束されているわけではなくて、日々の積み重ねがあるからそういった存在になれるんだって。確かに才能とか遺伝子レベルでの強さとかそういったものの違いはあると思う。だけどそれだけで戦えるような世の中でもない。あいつらは普段から未来を見据えて、自分の信じる道のために努力を続けている。頑張っている。よく「頑張る」ことができるのも才能だっていうし、実際その通りなのかもしれないけど、それで片付けることは僕にはできない。俺の部活にもめちゃ大企業に行くやつとか官僚になるやつとか外資初任給で一本もらうやつとか卒論の段階で成果を残しているやつとかいっぱいいるけど、そいつらの頑張りを常に側で見ていたからこそ、才能があるからとか特別からなんて言葉で終わらせてしまうのは彼らに失礼だと思う。結局は自分の目指すべきものを信じ続けることでしか道は開けないんだろう。道が開いた上でちゃんと行動することで前に進むことができるんだろう。

俺は俺の道を信じる。そしてこれから人生後悔がないように動き続ける。この気持ちを忘れないように、誰にも見られないようなこのインターネットの海に残しておく。

読み返すとこの文章一貫性もクソもなくてやばいな。だから俺はダメなんじゃないか、、、

2023-02-11

東大卒の先天性心疾患持ちだが、我々の前でマスクを外す人間は我々の生まれてくる価値否定する人間だと思う

自分は先天性心疾患だ。人口の1/2000で生まれてくる。自分病気幼児のうちに手術しなければ、ほぼ100%死ぬ。手術しても全回復はせず、一生心臓ケア必要になる。しかし、見た目は健常者にしか見えない。新型コロナウイルス感染すれば重症化し、死亡確率もぐんと上がる。もう5回、ちゃんワクチンも打った。心房中隔欠損でも心室中隔欠損でもファロー四徴症でもなく、もっと重いやつ。

我々のように、見た目健常者と同じなのに変な病気を持っている人間配慮するのが面倒くさいと社会で思われていることはよく知っている。そういう人間が、存在自体迷惑だ」、「生まれてこなければいいのに」と思われていることもよく知っている。少しでも生きる価値がある人間になりたいと思って、東大理Ⅰに入り、そのまま東大の院に行って、コロナ禍のだいぶ前に修了して就職した。オリ合宿とか進振りとか同クラとか他クラス聴講とかシケ対とか、懐かしい東大用語も知っている。

価値がある人間になれた、コロナ禍前はそう思っていた。他の基礎疾患者と違って、我々は不摂生で基礎疾患者になったわけではない。変な病気を持って生まれ申し訳ないと正しく思っている一方で、本来なら死ぬはずだった自分を手術して直したのも日本社会なので、日本社会で「生きる価値ある」と思ってもらえる東大を出れば、日本社会に「生きる価値がある人間だ」と思ってもらえると信じていた。

3月13日からマスクを外すのが個人自由になった。俺の前でもマスクを外す奴がたくさん出てくるだろう。もちろん、基礎疾患者であることを伝えれば、マスクを着けてもらえるだろうが、嫌な顔をされるだろう。嫌な顔をするという事は、やはり、「人口の1/2000だか何か知らないが、変な病気を持って生まれてきやがって、東大を出たぐらいで生きる価値があると思いあがるなよ」という風に、内心では思っているという事なのだと思う。人口の1/100は何らかの心疾患を持って生まれてくる。マスクを外して歩けば、普通に心臓患者とすれ違うことぐらい、ちゃん義務教育を出ていればわかるはずなのに、マスクを外すという事は、「先天性心臓患者など生まれてくる価値がない」と思っている差別主義者だという事なのだろう。

少なくとも自分はそう思っている。だから自分の前でマスクを外した人間を記録しておき、自分感染重症化したら、「僕の生きる価値を認めなかった差別主義リスト」として、Facebookにでも一覧を公開しようと思う。

どのみち、我々先天性心疾患を持って生まれてくる人間は、何をやっても「生まれてこないほうがいいのに」と社会から迷惑に思われており、存在が軽視されているのだから名前の一覧が公開されようが何だろうが大して問題ないだろう。99%の人間は健常者として生まれてくるのだから、やろうと思えば憲法改正でも何でもやって、そもそも、法的に我々が人間ではないという事にすることも理論的には可能だ。実際、つい80年ほど前は、そういう社会だった。この80年、たまたま運が良く、我々の生きる権利を認めてくれただけで、我々が迷惑存在であることには変わりないので、ちょっと時間がたてば逆戻りしてもおかしくない。

岸田首相開成卒で東大3回受験して落ちて早稲田法学部合格から東大卒の基礎疾患者の生きる価値は認めなかったという事なのだろう。

2023-02-04

東大卒ニート休日

小中高と皆勤で、大学受験も2年間東大合格者のいなかった県立高校から東京大学文科一類に現役合格した。しかし、大学から何故か怠惰かつコミュ障を発揮。進振り法学部ではなく、今思えばどう考えても雰囲気が合わない国関にしたことから留年を何度も重ねてなんとか卒業現在地元の小さな塾でバイトを週2、3回入れて小遣いのみ稼ぎ、衣食住は実家寄生しているニートである

父は「まともな就職先を見つけろ」と口煩く言うが、「今更A.T.カーニーにも、アクセンチュアにも、ゴールドマン・サックスにも、三菱商事にも、官公庁国家総合職)にも入れないのにまともな就職先など軽々しく口にしないでもらいたい。大学に進学してすらいないあなた物差し物事判断しないで欲しい」と一喝して小言を撥ね退けている。

そんな僕の趣味ドライブであるAppleミュージックお気に入りアルバムを流しながら館山箱根静岡浜松などへ繰り出し、景色を堪能する。そして、現地のグルメに舌鼓を打つ余裕はないため、セブンファミマチョコホイップロールパンコーヒーを買い腹を満たす。今日コンビニのイートインでロールパンを食べ、外の灰皿で一服しながらこれを書いた。

2023-01-27

anond:20230124203859

セックス科学医学部でやれると思うけど、ジェンダー学も東大が強いのかなあ

とりあえず理3入っておけば進振りの時にやりたいほう選べるか

セックス科学をやるなら医学部ジェンダーなら文学部

2023-01-15

進振り前の東大生は今年の共通テストくらいはだいたいが満点を取る

その上高校時とは比べ物にならないほど勉強一般教養専門科目にとどまら

単位をとるのはもちろんのこと人格知識に幅を持たせるため積極的講義以外でも教養を高め産学官の諸先輩方と交流自己研鑽に励み他人を啓発していることは当たり前で

スポーツで体力筋肉作りも怠らずある者は高度な専門知識を極めんと猛勉強に励む

そのうえ一番力を発揮できる集団の中でリーダーシップを発揮し異性交遊も清純かつ洗練されている

受験生諸君は頑張ってくださいよ

2023-01-10

anond:20230110131825

なるほど

障害者も健常者も助け合いながら生きていく社会だもんね

勉強で分かんないとこがあったら他の東大生に教えてもらうと良さそう

進振りもできたら本人の希望を通して欲しいな

2022-11-14

anond:20221113111747

そもそもなんで田舎から東工大第一志望なの?

志望する学科が絞り込めていないのなら東大理1・2の方が入ってからの間口が広い

東大進振りが嫌なら京大学科指定受験したほうがいい

理系だったら地方旧帝の理学部工学部でも東大京大カリキュラムとそん色ないし、院から東大京大東工大に進学する人も多い

東大京大には学力が届かないので偏差値的に東工大って志望動機なら入ってからかなりの確率落ちこぼれるよ

東工大は、ボーダーライン近くの微妙学力学生よりは、多様性を重視していくんだと思うし、それは間違っていない

2022-11-12

anond:20221112100234

東京一工に行けるなら東大がいいと思う。

入った後に進振り文系にも行けるし。

2022-08-16

anond:20220816014148

東大数学科卒論ないってので有名だったよ

卒論が必修の単位であることは入学時や進振り時に調査しておけばわかったことだろうし

実際のところ卒論が必修でない学科存在する(他大は知らんが)わけで

卒論寸前でごねてるのは無能証明しかえんな

二流私大駅弁かしらんが自分を優秀だと思い込んでるのが本当に痛い

2022-03-24

ガチャ当たったけどフリーター特定覚悟で語る。

タイトル通り。別に連絡取り合う友達もいないし、しがらみもないので特定覚悟で語る。もし同級生がこれ見て「あいつか」ってなったら笑ってくれ。

まあ親ガチャは良かった。祖父東大卒医学者で都内千葉独法病院で勤務していた。父は東大経済卒で日銀職員。母は西宮女子大を出てお見合いで父と結婚した薬剤師。ただ学歴とかそれ以上に家族はみんな優しかった。てか今も優しい。きっと父が普通サラリーマンでも幸せだったと思う。あと妹が一人いる。

目白台にある女子大附属の幼稚園川崎にある私立小学校西日暮里男子中高一貫校を経て東大に入った。ここまで苦労はない。勉強は塾や親の言うことを程々に聞いておけば間に合った。部活も楽しかったし友達もたくさんいた。男子出身だったが、中3から幼稚園ときの幼馴染と付き合い始めていた。

ただ高校から予兆はあった。高入生で学年人数が増えたあたりから人前でスピーチをしたり移動教室の時、動悸がやばかった。緊張とかあがり症レベルではなかったと思う。友達から顔青いけど大丈夫か、とか言われてたし。それでも中高は乗り切り、大学に行った頃からおかしくなった。まず階段教室の授業が怖い。うちの高校からは大量に東大に進んだため友人はたくさんいたが、毎回常に友人とかたまって授業に行くわけじゃない。授業が始まれば怖くなくなるんだけど、授業前や授業後のザワザワとした空間が怖くて、そこに一人でいることがパニックになる。だんだんひどくなり、ついに門をくぐるどころか電車も無理になった。それで大学2年にして子ども部屋で引きこもりスタート単位など取れるはずなく進振り希望すら出してなかった。両親や妹はガミガミと怒るでもなく、極度に不安視するわけでもなくそっとしておいてくれていたしそれがありがたかった。同級生心配して連絡をくれたが、無視するうちに来なくなった。彼女にはスマホ一方的に別れたいと言った。親同士も知り合いなので、幼馴染とそのお母さんがとても心配してくれたが顔を合わせたくなかった。

それから一年間引きこもって、コンビニとかは行けるようになった。大学に連絡を取り事務所で今後のことを話し合った。話し合ったというか、ほとんど大学に出てなかった俺がこれから授業や単位をどのように取得していくかというシステム淡々とした説明。恥ずかしながらこの頃はまだ一人では行けず母に着いてきてもらった。そこからゆっくりではあるが、ようやく大学に復帰し単位スローペースで取った。一人で電車通学も可能になった。倍率が低く小人数の駒場学科に進んだため本郷に行くことはなかった。てか行けなかっただろうし。研究室教授や年下の同期は本当にいい人たちだった。そのおかげで同級生より3年遅れで卒業することができた。

大学卒業するのが精一杯で働ける気もしなかったため就活はしなかった。大学卒業後は小さなから顔見知りの近所のおばさんが自宅でやってる公文教室で採点、小学生高学年や中学生英語算数を教えたりというバイトしている。おばさんの人柄のおかげで居心地が良い。給料は月4万円。半分は親に渡し、もう半分は使うわけでもないため通帳に入れている。

20代の期間も残す所わずかだが、この生活が変わる様子はないし、正直変える気もない。世間一般から見たら失敗人生だろう。最近ガチャだの反出生だのとよく聞くので、親ガチャで当たりを引いた人間でもこうなるという例を紹介しようと思い自分語りをさせてもらった。

2022-02-15

anond:20220214175025

文科だと、どこに就職できるかの競い合いだし、理科だと、とりあえず大学院海外出るかでないか考えながら過ごすことになるわけだが、どっちにしても、楽して突破しようとしてる奴は大成しないよな。理科進振りあるから、そこで実力差を見せつけられる。

2022-01-23

anond:20220123205213

離散はどうしても数学物理を続けたい人のための設計になっており、理学部も選べるよ。

そこが普通医学部と違う柔軟さだよね。

京医や阪医は最初から医学部なので進路変更はできないし、医科歯科そもそも学内理学部がないので転部もできない。

本当の強者はあえて頭脳証明するために離散に合格した上で、進振りの時本当にやりたかった分野に進む。

2021-12-16

進振り失敗しなきゃな。

進振りであの学部を選ばなければな。

興味がもてなさそうな講義もあったり、就活にも向いていなさそうだったし。

まりにも合っていなくて欝気味になっていたな。

研究室でやりたかたことに近いことをやってみたが、あまり活発な研究室ではなく、馴染めなかった。

院でより興味のある研究室に進めたが、学部での基礎ができておらず、大した成果を出せなかった。本当に興味を持ったテーマ研究室も良いところだったので本当に残念だった。

そんな中で就活して、なんとか就職できたが、キャリアに繋がりづらい環境だった。

それまでの失敗から転職に踏み切ることができず、人生行き詰まりそうである

進振りの時に現実が見えていなかった。

就職ということ、スキルを身につけることに向き合えていなかった。

壮大な理念に惹かれて進路を進んだが、現実を知って心が折れてしまった。

せめて、研究室選びや就活タイミングでそのことを振り返っていればなと思う。

進もうと思っていた情報系に進んでいれば良かったのだろうが、気の迷いで進路を誤ってしまった。

選んだ進路でも情報系の勉強ができると思ったが、内容が雲泥の差だった。今でも自分スキルに自信を持てずにいる。

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